ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

人生の目標は…  

あらゆる物事には正の面と負の面がある。前の記事ではゆったり気ままなフリーター生活みたいな感じに書いていたけど、もちろんそんな良い感じな話ばかりじゃない。

まず僕は毎日「なんで僕はこんなことやってるんだろう」と100回ぐらい考えながら仕事をしている。そしてそのたびに「そうか、ニートやってても自分の心と向き合うばかりでしんどいからだったな…」と思い直すんだけど、それでも仕事に慣れてくるとだんだん働きながらでも自分の心と向き合ってしまっていて、結局なんのために外に出ているのかという気持ちになってくる。

朝起きるのも辛いし、ストレスもたまる。前は1ヶ月1万円あれば余裕で暮らせてたのに、今は衝動買いしたり無駄にお菓子食べたりで、月に4~5万円くらいないと生きられない体になってしまった。体重も無駄に増えた気がする。かといってニート生活になると朝起きるのが辛くなくなる代わりに昼夜逆転でしんどくなるし、生活費は安くなるけど収入も無くなる。

何かが満たされれば何かが欠けて、しかもそのどちらも本質的には僕にとってどうでもいいことなのに、そのどうでもいいことに振り回れている自分がいて、そのことに気づくたびに心がどっと疲れるような感覚になる。

「もっとこうなれば、ああなればいいのにな…」と思うこともあるけれど、少し考えただけで「けど本質的に自分が変わってないから結局一緒だな」とわかってしまうから、夢みたいなものをむやみに追いかけようという気持ちにもならない。
最近だと、「こんなに自分の心を見つめたり反省したりしないで、もっと他人とか他の事ばっかりに夢中になれればいいのにな」とか思ったりしたんだけど、昔の自分がそうだったことを思い出すことですぐにそれはそれで大変な部分があるってことに気づいたり。

仏教という救いにも出会ったわけだから、ここまで来るともう死んでしまってもいいのではないだろうかというのもよく考えるんだけど、なぜか人間として一生を全うする必要があるような気がしてしまって死ぬこともできない。だから僕の人生の目標は、最低限の人間らしい人生として終わりまで完走することなのかな、と思ったりしている。

そのためには少なくとも自分が生活していくだけのお金を稼いだり、親の面倒を見たり親戚づきあいもこなしたり、犯罪もしないようにしたり…なんだか書いていてすごく面倒な気持ちになってきた。なんで僕はこんなことやってるんだろう。
そんな感覚だから就職とか結婚とか起業なんてとんでもない、もう自分一人がなんとかやっていくだけで精一杯だ、と思う。

人生は作業なのだろうか?そんな感覚にすらなってる僕は相当心が硬くなってるんだろうなーとも思うんだけど、やりたいことが無いっていうのはこういうことなんだろうね。

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最近の暮らしと感覚  

あまり更新してないとブログに広告が勝手に貼られるようになるのがなんだか寂しいと感じるので更新。
今回は去年の夏から続けている今の生活について。

本当にやりたいことをやろうと言って会社をやめて、最終的にやりたいことが特にないなと気づいた(あるいはやり終えた)2017年のこと。そのままニートなりなんなりでの生活を続けていくのも悪くはなかったんだけど、ひたすら自分の空間にこもり続けて自分と向き合い続けるのが飽きたというか疲れたというか、逆に軽く何かに縛られる方が生活リズムも乱れないしいいかなという理由で働き始めた。

それまでは世間体だったりお金のためだったりで働いてたわけなので、一応これが初めて自分が「働くことそのもの」を望んで働きはじめた第一歩と言えるかもしれない。とはいってもその理由はニート生活が飽きたという程度のものなので、相変わらず意識は低いしバリバリ働く気なんてない。散歩やジョギングを新しく日課にしてみようかな、というくらいの感じと一緒だ。

目標が家を出て外で暇をつぶししようってなもんなので、働く時間に関してはある程度長めでもいいかなというのもあったし、一つの仕事を始めたもののそれが合わなくて辞めてまた探すのが面倒だったので、いきなりダブルワークで始めることにした。これなら働く時間はそれなりに長いし、一つが嫌になって辞めてももう一つがあるという精神的な保険もかけられるからね。

流石に急な生活リズムの変動で最初の2~3ヶ月くらいはしんどかったけど、半年も経つとかなり慣れてきた。しんどい、とはいっても会社に入った頃みたいな精神的に泥をかぶるような嫌な感じではなくて、筋トレを新しい日課にして続けていく時のしんどさみたいな感じ。そういうしんどさなら、むしろ大学までずっと部活とかもやってたので割と慣れてるかな。

朝はスーパーのキッチンでパートのおばちゃんや店長としょうもない話をしながらお弁当や惣菜を作って、午後から夜にかけてはアフタースクールの子どもたちのじゃれ合いに付き合いながら家までの送り迎えをする。責任もないし人間関係も軽い。割とマイペースにやれてるのがいいのかもしれない。もちろん瞬間的に嫌になるときや、やっぱやめようかなぁ…と思ったことも何回もあったけど、そのたびに「じゃあまたニート生活やるのか」というのが頭をよぎって、それもそれで今はそういう気分じゃないなぁと思いつつ。

あとは全く違う二つの仕事をやってるというのが僕にとってはかなり良いというのもあるかな。一日同じ仕事をするのはダルいし、昼休憩中に気が滅入りそうな気がする。またこの仕事が~時まで続くのか、みたいな。人間関係も狭くなるしね。さっきも書いたけど、二つの仕事をすることで気分が切り替えやすいというのと、一つが嫌でももう一つがあるやってのがかなり精神的な薬になってると思う。その分給料は最低時給くらいのもんだけど、そこらへんは元プロニートなので気にしてない。

生活に関してはそんな感じかな。その日に使う分をその日に稼いで、みたいな暮らしだけど、それでいいと思う。何か大きな目標に向かっていったり野心をもったり、競争したりするのは疲れる。経済がどうとかマーケティングがどうとか自分の実生活に関係のないことを仕事にするのも虚しい。僕には地元のスーパーで飯でも作ったり近所の学校の子どもを迎えにいくくらいの、自分のリアルに少しだけゆるくつながってるような場所で働くほうが向いてる。お金が稼げることではないけど、でもその方が、なんだか働いてる感じがしてる。

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最近のやってること、思ってること  

2,018年で初めての記事になります。今年もよろしくおねがいします。

ここのところは相変わらず休み無しのアルバイトを続けながら、ゲームやったり仮想通貨に投資したりして暇を潰しながら生きてる。
バイトはとりあえず半年続いてるので、特に大きな問題さえ無ければ今年も続けていけそうかなぁという感じ。ゲームとかの趣味に関してはプロニートの必須スキルみたいなものなので、これも相変わらず色んなゲーム・人との関わりに手を出しながらうまく暇つぶしてるなぁという感じ。投資に関しては1月の頭にものすごく儲かったあと、今ものすごく損を出しててまさに仮想世界のジェットコースターに乗ってるような感じ。

けど、何をやってても周りがどうなろうと、人生の根幹みたいなものは結局変わらないなぁって思う。相変わらず何かの悩みを抱えてはそれを解消したり別の悩みを抱え込むことでまぎらわしたり、めまぐるしく変化する周りと自分の感情や思考に振り回されながら生きてる。暇があるとそんなことを考えては「それが生きることなんだ」って理解することで少し自分自身を俯瞰して見てるような達観した気持ちになるんだけど、そんな薄っぺらい感情はすごく脆くてすぐに目の前の強烈でわかりやすい変化に押し流されていく。どこまでも安心できる何かを求めて、どこまでも安心できない自分自身で有り続けてる。


今年はそんな感じでスタートです。それ以外って言うと、投資ですごく儲かったらゆとりハウスをもう一度やりたいというくらいかな…。相変わらず自分がお金を使うのは苦手なので、自分の手に余るようなお金ができたのなら自分が困っていたのと同じようなことで困ってる人のために使いたいかな。

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悩むっていうおくすり  

自分が悩んでたり、誰かが悩んでる姿を見ると「悩むことを通じて人生楽しんでるな」って思う。

こんな話があって、人間ってうまく行ったときよりもうまく行かなかったときのほうが脳内の興奮物質が多くでるらしいんだよね。確かに自分の心を見つめてみてもそんな気がする。うまく行ったときはもちろんテンションも上がるんだけど、どちらかと言うと「スッキリする」という感じで、心の中が平和になる感じなんだよね。平和になったらあとはもうやること無くなって寝るくらいしかない。だから感情のうねりというのか感動の激しさという点で言えば失敗した時のほうが大きいなぁっていうのは前から感じてた。で、それを知った時から「あ、人間ってやっぱ悩むことを通じて人生楽しんでるんだな」っていうのが自分の中でほぼ確信に近いものになってる。

人は生きてる以上は必ず何かの動きを取っているし、何かを感じて何かを表現しようとしてる。そしたら必ずうまく行く時と行かない時がくるわけだけど、どっちにしても僕らはそういうことを通じて生きてる実感みたいなものを得ているというか、暇つぶししてるんだと思う。それぐらい何もしない状態が恐ろしいし、無理なんだなって思った。

だから人はなぜ悩むのかっていう問いに対しては、「悩んででもいいからとにかく何かしたいからだ」ってな感じに答えられるんじゃないかな。なんでかはわからないけど、人は何もしないということができない。嫌なことがあるならそれに関係するすべてを捨てさればいい話なのに、僕らにはそれができないんだよね。空白に耐えられないというか。捨て去ったとしても結局また何か見つけてそこで新たな悩みに自分から巻き込まれに行くんだと思う。そんなことを繰り返してる自分を見てるとそういう心の動きが本当によくわかる。

悩んでる真っ最中の自分は心の中ですごく嫌だと感じてるし早くどうにかしたいと思ってるんだけど、でもそれのおかげである意味目標ができて生きる原動力になってるし、まるで映画の中の悲劇のヒロインにでもなったような気分にひたれるんだと思う。こう書くと誤解されるかもしれないけど別に悩むことを肯定してるんじゃなくて、悩むという名前のおくすりにはそういった副作用がありますよー的な感じ。

悩みそのものを楽しむことはできないけど、悩んでる自分を楽しんでるというか、とにかく没入感がすごいよね。

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最近のよく心に浮かぶこと  

人生はガチャだ、と思う。

明日の朝起きたときの気分が良いのか悪いのか、今の僕にはわからないしなんの対策もとりようがない。気分が良くなったときのことを思い出してそれをなぞってみたりしても、繰り返せば繰り返すほど劣化していって飽きたりめんどくさくなってる自分に気がつく。でも思ってもみなかったふとしたことで気分が良くなったりもするので、これはもう毎秒ごとに気分ガチャを引いてるようなものだなって感じるようになってきた。

あとは自分の意思って最高に弱いなということとか。

どれだけ志があったり信念があっても、表面上の動きにどうしても抗えない自分がいることに気づくときがあって。わかりやすい例えとしてはお腹が空いたときとか眠いときとか。睡眠とか自分の意思でその行動を選んだことなんて一度たりともないんじゃないだろうかって思うくらいだ。眠くなるから寝るわけだけど、それは眠いからであって寝たいからではないと思う。食事にしても、実はお腹が空いてるからというよりストレス解消のためだったりその場の瞬間的な気分で食べてることが多い。
意思というよりも反応って言葉のほうが正しいんじゃないかな。そんなことだらけで僕の人生は構成されてる。

あとは人生はコンテンツだということとか。

絶対的に正しい価値観とか物事がない以上、何をやってもただのコンテンツだとしか思えない。ゲームだったら数十時間くらいのコンテンツ。結婚だったら数十年くらいのコンテンツ。社会は大小いろんな規模のソシャゲで溢れてるみたいだ。その中で僕という主体はまるで体験型の映画でも見るかのようにそのコンテンツに取り組んで、一喜一憂を味わいながら時間を消費していってるんだなーと。

人間という動物の性質上なんのコンテンツもやらずに過ごすということはできなくって、必ず何か表面的な行動や思考を取り続ける存在だと思うので、だとするとやっぱり仕事とか家庭っていうのはスパンの長いコンテンツだから、いちいち選ぶ手間暇が省けて良いんだろうなと思う。それやっときゃとりあえず安心、みたいな。あとはそこで毎秒ごとに気分ガチャ引いてどうぞって感じ。

最近、仕事に慣れてきてしまって作業しながらこんなことが頭をめぐるようになってきたので、ブログにも書いてみようって思った。
この記事読んで疲れたとか面白かったとかそれも全部ガチャだから。

明日はどんなガチャ引けるかなー

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