ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

cm: --

学校の勉強ってこれから必要なん?  

お勉強







「学校の勉強って結局なんなのよ?」「大人はとにかく勉強しなさいって言うけど、なんで?」
そんな子どもの純粋な疑問、昔はみんな思ってたところなんだろうけど、子どもにいざ説明せい!って言われると、ちょっと言葉が出てこない。そんな気がする。

※今回の記事はやたら長いです…。


思えば、僕は仮にも京大に入ったんだから、学校のお勉強というジャンルについては一家言持っててもおかしくないわけなんだけど、今の僕にとっては自分の幸せとあんまり関係ないから今まで触れてこなかった。
そんなわけで僕は人一倍勉強は頑張ったつもりではあるけれど、勉強そのものはわりとどうでもよかったんじゃないかっていう考えがある。
あるんだけど、自分が何をしたいのか?っていうのを見極めるための試金石として、勉強も含めて学校生活そのものっていうのは、結構役に立ったかなぁって思う。

まず、これはなんだか常套句みたいになりつつあるけど、基本的に人間なんて何をやっててもいいものなんだよね。
だから、まぁ学問やってもいいし、絵を描いてもいいし、機械を作っててもいい。その人がその人らしく、生き生きとできているかが問題なわけ。
何か辛いことがあっても乗り越えられる人ってそういう人なんだと思う。

ただそうはいっても、じゃあ「自分が何をやったら生き生きとできるのか」が最初から明確な人はほとんどいないだろなぁって話なわけ。
最近はスポーツや囲碁将棋なんかでも小さい頃からずっとやってて、僕と同い年くらいで日本一になってる人が各ジャンルでたくさんいるんだけど、そういう人はまさに「自分が何をやったら生き生きとできるのか」という問題を運よく?最初からクリアできてるような人なんだろうなぁって思う。
でもそんなの、何百万人に1人とかそういうレベルでしかいないよね。
大多数の人はそんなのわからないし、仮に親が何かやらせたとしても結局は途中でやめてしまうだろうし。

そこで、やりたいことがないならとりあえずやってみようということで、学校という存在が出てくる。
以前どこかの記事で書いたように思うけど、学校というのは基本的に、日本の企業に適応しやすくするための訓練の場といっていい。
数十人単位でコミュニティを作り、先生という従うべき存在があり、勉強を通じて日々与えられるタスクを処理する訓練をするところというわけ。
成績を含めて、クラス内での人間関係だとか、学校生活というものを順調に送れるということは、すなわち企業から求められる人材に適しているということを意味してる。

だから親は、世間の大人は、「勉強をしろ、いい成績をとれ」っていうんだよね。
勉強ができることそのもの自体に意味があるわけじゃなくて、良い企業に入るために意味があるわけ。
よく「二次関数なんて解けて何の意味があんの?」みたいな疑問を投げかける子どもがいるけれど、まさにその通りで、はっきりいってそれ自体に意味なんてない。
中身に対して意味を求めてるんじゃなくて、意味はわからなくても学校という組織から与えられた課題をクリアするというところに意味があるんだよね。
余談だけど、中身について意味を求めたい人は、「学校のお勉強」じゃなくて、「学問」の世界に行ってくださいということになる。

そんなわけで、学校とは何かというと、企業に入る前の訓練の場であり、成績ってのは、その訓練の結果って言える。
こう書くと偏見なのかもしれないけど、学校の成績が悪いっていうことは、頭が悪いということじゃなくて、単純に「企業に入って従順に仕事をこなす」のには向いていないというだけでしかない。
逆に成績が良いってことは、勉強などというそれ自体何の意味もないものを与えられてるのにきちっとこなしてくる能力があるということだから、従順かつ素早く仕事を処理してほしい企業にとっては、実に優秀な社員として見えるっていうことになる。

その学校の成績の最後の結晶として、死ぬまでその人の称号として与えられるのが最終学歴なんだよね。
言わば名札をつけてるようなもので、それを見せるとどの程度の能力があるのかというのを勝手にランク付けされる。

けどいま、学歴社会が崩壊するとか言われたりもしてる。
まぁ一般的にどういう意味で言われてるかはわからないけれど、僕もこれからは学歴がそこまで大切になるとは思ってないんだよね。
それはなんでかっていうととても簡単なことで、日本の大企業に入ることが必ずしも幸せではなくなってきたから。
もう終身雇用だとか、年々給料が上がるとはいえない上に、仕事そのもののハードルがかなり高くなってきたというのが具体的な理由として挙げられるんだけどさ。
まぁこの辺については、過去の記事に詳しく書いてるのでそっちを見てください。

大企業に入ることが幸せにつながらないなら、そのための条件である「順調な学校生活」も送る必要はなくなるし、「いい成績」を取る必要もない。そもそも大企業に入ろうと思ってないわけだからね。
それよりも、「自分が生き生きと出来る何か」を見つける方が、実はよっぽど将来性があるんじゃないかっていうこと。そのことに気づき始めた人が多くなってきたんじゃないかなぁと思う。

この前NHKか何かの特集で、スイスだかの腕時計職人になった日本人を紹介していたんだけど、その人は学校の勉強というのが嫌で嫌で、自分は何がしたいんだろうって悩んでいたらしい。
そして、ある時ふと目に止まった時計の雑誌を見て、自分もこれが作りたいと思い、高校から独学で語学を習得して、超難関といわれる時計学校に入り、それからずっと時計を作り続けて、今では職人たちを取りまとめるリーダーとして活躍しているっていう話だった。
他にもフランスで菓子職人として若いころから単身修行しに行った人の話だったり、なんかふらふらしてた人が裁縫に魅せられてスーツ職人になった話だったり、日本企業に馴染むための「学校という訓練」とはおおよそかけ離れたところで活躍している人が、実はたくさんいた。

僕はそれを見た時に、「生きるってのはこういうことだよな~!」って1人で感心して盛り上がってたんだけど、つまり学校っていうのは良い企業に入るための訓練の場でしかないわけで、自分が生き生きとできる何かがあるかないかという話とは無関係なんだよね。

そんな風に考えると、学校の成績とか、学歴ってのは、なんというかすごく枝葉末節な部分の話に思える。
人生という広い領域の中の一ジャンルの中のほんの一場面の話だなぁって感じ。

でもね。じゃあ大企業に入ってもどうなるかわからない時代だし、成績なんてどうでもいいし、学校なんて行かなくてもいいんじゃないの?っていうと、そうでもない。
このNHKの人達の共通のポイントとして、小さい頃から迷いなくそれに取り組んでいた言わば天才だったわけではなくて、普通に学校に通って、でも自分はそこに合わないと感じてて、その悩みや葛藤を超えて、それぞれが「生き生きとできる」生活を掴み取っていったというところがある。
テレビじゃあんまり触れられてなかったけど、時計職人の人にしても、王道とされてる「いい大学にいっていい会社に入る」っていう道と決別するときっていうのは、すごく悩んだんじゃないかなぁって思う。
でも、その悩みがあったからこそ、自分が生き生きとできる何かを見つけられたとも思うんだよね。

こんな風に、「最初は何がしたいかわからなかったけど、とりあえず何か1つのことをやってみることで、自分の適性を見つけることができる」っていう点で、学校生活というのは言わば試金石みたいなものなんじゃないかな。
だから、僕は学校の成績が悪いっていう子がいたとしても、なんにも気にならない。
それよりも大切なのは、その子が「学校生活を楽しく送っているか」っていうこと。
会社でもいたんだけど、仕事はできなくてもなぜか憎めないやつで、回りから助けられてお客さんからも不思議と気に入られたりする人もいるんだよね。学校でも、成績は悪いけどやたらクラスの中心みたいになって、毎日笑って生きてる人もいるし。
だから、成績がどうとかってよりも、まずは生き生きと学校に通っているかどうかってのが僕は気になる。
学校っていう存在がこれだけ普及してるってのは、やっぱりそれだけ大多数の人に受け入れられやすい存在だったからなんだろうし。
逆に成績が良くても生き生きしてないなら、それがその人にとっての人生の節目というか、自分の生きる意味を考えるターニングポイントになってるのかもしれない。
もちろん、成績が悪くて悩んでる子がいたとしたら、それは自分にとっての適性を考える最初の一歩になるだろうし。

みんながみんなNHKの人たちのようになるってわけじゃもちろんないんだけど、学歴社会が崩壊するということは、そういう人たちが増えざるをえないっていうことだと思うんだよね。
僕も23歳にして自分の人生に一度ストップをかけて、何がしたいのか?ってことを考え直しているわけだけど、これからはそのタイミングがどんどん早くなってくると思う。
もちろん、何の疑問もなく生き生きと学校生活を送れるならそれはそれで幸せな話なんだけど、いつかは必ず考えなきゃいけない時代になってきたから、それならむしろ学生でいるうちに悩める人の方が幸せなのかもしれない。

なんだろう。つまり成績が良かろうが悪かろうが、笑って学校生活を送ってようが送ってまいが、それぞれ意味があって必ず将来役に立つ、素晴らしいことだからなんでもいいってことになるのかな。あっはっは。
関連記事

category: 社会

コメント

こんにちは。始めまして。今日初めてこのブログを読みました笑

今まで頭おかしいんじゃないの?って思ってたからあまり見ないようにしてました笑もちろんゆとりさとるさんのことは何にも知りませんけども

でも貴方が幸せかどうかは別として今のままでもこのブログ書籍化でもしてテレビもでれそうだし生きていけそうだと思いました笑

全く羨ましいです 親に感謝するべきだと思いますやはり京大までいくと違うなーと思いました。

評論家とかにもなれそう。

後はやっぱり勉強してそんはないと思います何をするにも選択肢が広がるし やっぱり学歴が高いにこしたことないですしね

やりたいことみつかるといいですね


まったく羨ましい

私なんて自信がないし意思も弱いし


学校の先生とかも向いてそうだななんて思ったけどなー


生きるって難しいですね私は自分のこと考えなくちゃ

URL | とら #-
2012/11/06 22:40 | edit

あ、過去記事読んだけどいいすぎだったかも笑


まぁやりたいことがみつかることを祈ってます!

URL | とら #dPPT3HLQ
2012/11/06 22:45 | edit

Re: タイトルなし

>>今まで頭おかしいんじゃないの?って思ってたからあまり見ないようにしてました笑

実際僕の回りからもそんな風に思われているかもしれないですねー。

>>私なんて自信がないし意思も弱いし

同じく、自信がもてる、自分が自分らしく生きれる居場所をどうやって探すかっていうのも僕の課題です。
よかったら僕が悩んでる姿をみて何か得られることがあれば嬉しいですね!

URL | ゆとりさとる #-
2012/11/07 00:16 | edit

確かに勉強は今は良い企業に入るためですね。
そして良い企業に入るのは良い収入を得るためだったり社会的地位を得るためだったりしますね。
そして良い社会的地位や良い収入は良い「生活」をするために必要だと思われていたのですよね。

ですが、子供には中々これがわからない。
なぜかというの「今」ではない遠い未来の確証もないことのために、
普段から勉強をしなければならないからです。

私もいつも名無しの哲人など嘯いた名称を使っておりますが、
実のところ高卒ですからね、当時は勉強が嫌いで嫌いでしょうがなかった。
高校にいったのも親がどうしてもというから仕方なくいったまでで、私としてはなんの魅力も感じなかったことを覚えています。
しかし、それは「意味」がわからないからなのでしょうね。


例えば、子供が「数学とはなんであるの?」という問いに対して、答えられる人はほとんどおりません。
そして子供は実は「直感的な疑問」を捉える能力は恐ろしいものがあるのですよね。
例えばご家族が亡くなった時、「なんで死ぬの?」とかを聞いてしまう。

子供は勉強は嫌いですが、学ぶ力は高いのです。
ここでいう学ぶ力というのは、「知ろうとする意思」のことですね。
これは必ずしも本人の勉強レベルには全く関係ない。
たとえ全知全能で全てを知っていようと「私はもう全部知ってるか何も知らなくていい」と断言する人物は学ぶ力、すなわち本当の学力は0といってよろしいでしょう。

逆に、たとえ一切のことを知らなく、無知な人物がいたとしても、
その人物は「私は何も知らない、何もわかってない。だから知りたいし分かりたい」と願う人物には学力がある。

ここが大事なのですよね。
例えば試験に関係なくても、昆虫が好きで昆虫を必死に調べていたら、その人は立派な学徒なのです。
無論勉強をするなというわけではありませんが、大切なのは数値で計れるような学力ではないということだと私は考えています。


金持ちであろうと善人はいます、そして悪人もいます。
貧乏であろうと善人はいます、そして悪人もいます。
勉強ができようと善人はいます、そして悪人もいます。
勉強が苦手でも善人はいます、そして悪人もいます。

大事なのはその人の人間性です。
ゆとりさんの言うように。これといって「知りたい」といったリビドーがない人間は、とりあえずの安息所として学校での勉強を集中してみるのもいい、何がどう繋がるか、人生とはまさにわからないものなのです。

ですが、その安息所を、ただ一つの人間が向かうべき天の国のように見なしてしまったことから、学校教育の崩壊は始まったような気がします。
そして、昔とは違い反発感で勉強を離れたり、反骨心で勉強で向かう人間が少なくなり、今は興味の欠落や、勉強という概念そのものの意味を考えすぎた結果学問を離れていき人間と、ただ言われたから言われるがままにやる、とりあえず良い生活で良い職業につくためだと言われたから、一切の思考停止を行いテスト勉強を行う人間の二つに分かれている気がします。

URL | 名無しの哲人 #-
2012/11/08 11:15 | edit

記事にして下さってありがとうございます。

自分の思いがなかなかまとまらずコメントできませんでした。今でもはっきりしてませんが。

私も何で勉強するの?ってずっと思ってました。勉強というか学問の意味を少しながら分かるようになったのは子どもを産んでからでした。

確かに勉強ができるかどうかよりも学校が楽しく幸せな毎日を送れているかの方がずっと大事なことですよね。でもそうは言っても今の世の中では、勉強ができた方が学校も楽しいし過ごしやすい場になるんじゃないかと思ってしまいます。また、知識や思考力が高い方が人生についてより広い視点で考えられる気がします。私にはゆとりさとるさんのような素晴らしい文章が書けないという点でも単純に憧れます。私は大人になってもっと勉強しておけば良かったって思ってます。

子どもが好きなこと、興味があることを見つけてくれればそれが一番幸せですが、ほっとけば探してくるのかなあとか悩みます。

全然まとまらないコメントですみません。

URL | オレンジママ #-
2012/11/08 22:35 | edit

初めて投稿させていただきます。実は僕も2か月ほど前、金融業界の大企業を辞めました。僕もいわゆる一流大学を卒業していて、今回の記事のように一流大学→一流企業に行くことが一番の幸せと思っていました。しかし、記事にもあるように日本の大企業はすでに崩壊しつつあります。巷では「大企業はまだまし」と言われますが、やはり賞与カットやパワハラ、うつ病による休職や事実上のリストラなどが日常茶飯事にあります。

会社を辞めて地元に戻り、地元の友人に会う機会があったのですが、彼女はとても幸せそうでした。中学の時は
成績は下位のほうで大学にも行っていませんが、結婚し今は子育てが大変とのことです。しかし彼女を見て、学歴=幸せではないことに気づかされました。

いままでの人生はもちろん楽しかったですが、これからはもっと自分の思ったように生きてみようと思いました。
これからも何度か拝見すると思うのでブログの更新頑張ってください

URL | 大企業辞めました #-
2012/11/09 00:24 | edit

幸せの期待値を下げるより先に、水平思考的能力を磨く事が重要なのでは?

半年位前からあなたのブログを読んでいます。
私はこの記事を以下のように理解しました(・・ちょっと違うかもしれませんが)。
「学校の勉強の最終目標は一般的に一流企業入社すること。しかし、今の時代それが必ずしも幸せに直結しないと実感した。だから、一流企業入社に必要な学歴を手に入れる為に勉強する必要ないかもしれない。その代わりに自分の得意分野で一生懸命頑張って幸せになるべきだ」

同意します。
僕もあなたと同じように考えて、勉強に取り組んできました。
しかし最近、大企業では幸せになれないかもしれない思うようになりました。
幸せになるために強い意志を持って突き進んで来たのに、学校の勉強で報われないとわかった。じゃあどこに向かえばいいの?となってしまった。
しかし幸せになりたいという強い意志は依然として自分の中にある。だからどの道を選択すれば良いのか悩んでいる。


この問題はロジカルシンキングの中に垂直思考と水平思考を用いて考えるとわかり易い気がします。
垂直思考はある定められた問題に対して深堀していく手法、水平思考はどの問題に取り組むかを決定する手法。
一般的に日本人が得意なのは前者、後者は苦手であるとされます。
僕もあなたも例外ではなかったのだと思います。
つまり幸せになるために、学歴を手に入れたり大手企業に入る為に努力する垂直思考は得意であったけど、幸せになれる道を決定する水平思考はあまり得意でない。だから人生どう生きようか悩んでるのではないかと。

だから人生の悩みを解決する為に磨かなければならないのは水平思考的能力だと思います。
たぶん、僕もあなたも1つコレだ!というものを決めれば、突き進んで行く垂直思考は結構得意だと思います。


あと、あなたが書いた昔の記事に「幸せの期待値を下げればすごく幸せになれる」的な内容がありましたが、あなたには厳しい気がします。
もしそれができたなら、年収1000万で地位も名誉もあるけどすごいストレスな環境でも何とかやっていけた気がします。
幸せの期待値を下げるより先にまず水平思考的な能力を磨くのが良いのでは?

あとがき:めんどかったらコメントしなくておkです^^

URL | ゆとりんご #-
2012/11/09 20:53 | edit

Re: タイトルなし

>>私も何で勉強するの?ってずっと思ってました。勉強というか学問の意味を少しながら分かるようになったのは子どもを産んでからでした。

僕が勉強をやろうと思った理由はちょっと変わっていると思うので参考にならないかもしれませんけど、例として簡単にお話してみたいと思います。
まず単純に勉強ができる人間がかっこいいっていうのがありました。いわばステータスが欲しかったんです。
思春期の頃って体制に反発したり、異性と遊びまくったり、ほんとみんないろんな方向にエネルギーが向かうものですけど、僕はそれが勉強だったんですね。
あとは、全国にいる自分と同じ年齢の人間と、一生に一度きり、同じ舞台で競争するっていうのが、すごく楽しかったっていうのもあります。自分はどこまで走れるんだろう?って感覚でした。
なので、学問そのものが好きだったのか?というと疑問です。実際、大学に入って3ヶ月もしないうちに勉強がつまらなくなり、退学しようか真剣に悩んだほどでした。

>>でもそうは言っても今の世の中では、勉強ができた方が学校も楽しいし過ごしやすい場になるんじゃないかと思ってしまいます。

あるコミュニティに属するのが楽しいかどうかを決めるのは、僕は人間関係だと思います。けど、実際実力が高いほうが自信もつきやすいので、勉強やテストもきちんとこなせる方が、学校生活は楽しいといえるでしょうね。
でも、自分にとっての芯というか、やりたいことというか、そういうものを勉強以外にもっているなら、学校生活も楽しいとおもいますよ。

>>知識や思考力が高い方が人生についてより広い視点で考えられる気がします。

これはいろんなタイプの人がいると思います。感性で物事を捉える人が、理屈で物事を判断する人に劣っているとは思えません。
それに、勉強ができるできないと、思考力があるかないかは別問題です。
要はその人の興味がどこに向かうかという話であって、絵画やPCについて深い造詣や考察力があっても、学校のテストは0点という人はいるでしょう。

>>子どもが好きなこと、興味があることを見つけてくれればそれが一番幸せですが、ほっとけば探してくるのかなあとか悩みます。

探してくるとおもいます。というか、そこまで親に頼るというのも考えものだと思いますよ。
一時的に、人生に迷ったような状態になることはあるかもしれませんが、そうなったとしてもそれはその人が自分で解決して、乗り越えていくものです。僕はその真っ最中ではあるんですが。

URL | ゆとりさとる #-
2012/11/10 15:26 | edit

Re: タイトルなし

実際に辞められたんですか!
悩んでる人は結構多いと思ってたんですが、本当に辞めるっていうのはかなり勇気がいる決断だったと思います。

その地元の友人さんはとてもいい方なんでしょうね。僕も今職業訓練に通っていますけど、高卒とか中卒とかの人のほうが性格も穏やかで毎日を精一杯に楽しんでいるなぁって感じます。

もちろん、ブログの更新も続けていきますので、楽しみにしていてください。

URL | ゆとりさとる #-
2012/11/10 15:30 | edit

Re: 幸せの期待値を下げるより先に、水平思考的能力を磨く事が重要なのでは?

コメントありがとうございます。半年前っていうとほとんど開設してすぐからですね!

>>あと、あなたが書いた昔の記事に「幸せの期待値を下げればすごく幸せになれる」的な内容がありましたが、あなたには厳しい気がします。
もしそれができたなら、年収1000万で地位も名誉もあるけどすごいストレスな環境でも何とかやっていけた気がします。

まったくもってその通りです。幸せなんて主観的なものなのだから、今が辛いならその主観を変えればいい。
理屈はそうなんですけど、実際問題として僕のように欲のかたまりである人間には不可能なことです。
それができればまさに神ですよね。

>>幸せの期待値を下げるより先にまず水平思考的な能力を磨くのが良いのでは?

これもその通りだと思います。日本人が水平思考的な能力が苦手というのもなんとなくわかります。
優柔不断だったり、よそ者を嫌ったり、変化を嫌うのが日本人の気質ですし。

自分の人生のジャンルをどうやって決定するか、というのが今必要な水平思考的な能力と受け取りましたが、僕もまさにここに取り組みんでいる真っ最中です。
そのためにWEBの職業訓練を受けたり、自分でイラストを描いてみたり、友達を増やそうとしてみたり、ほんとに今までやってこなかったことを試行錯誤しています。
そうしているうちに自分の生きる意味のようなものと出会えればいいですね。

URL | ゆとりさとる #-
2012/11/10 15:55 | edit

Re: タイトルなし

>>ですが、その安息所を、ただ一つの人間が向かうべき天の国のように見なしてしまったことから、学校教育の崩壊は始まったような気がします。
そして、昔とは違い反発感で勉強を離れたり、反骨心で勉強で向かう人間が少なくなり、今は興味の欠落や、勉強という概念そのものの意味を考えすぎた結果学問を離れていき人間と、ただ言われたから言われるがままにやる、とりあえず良い生活で良い職業につくためだと言われたから、一切の思考停止を行いテスト勉強を行う人間の二つに分かれている気がします。

自立心がなくなってきているということでしょうか。
豊かであるということが逆に依存心を強くしているのかもしれませんね。
それはある意味、昔より生きるのが難しい時代なのかもしれません。
まわりに流されず、常にニュートラルな自分があって、そこに自分の行動基準を置くということを意識できるか。
それを知るきっかけのために、学校生活があるくらいに僕は考えています。

URL | ゆとりさとる #-
2012/11/10 16:04 | edit

学校の成績はある程度しか参考にならず

入社4年目、私も農学部卒業しました。

非常に分かりやすい文章で非常に頭の良い方なんだと感じました。

ただ、1点だけ指摘します。

学校の成績が良かった人=企業の求めている人材と述べられていますが
実際には、違う(少なくとも)と思います。

学校の先生が指示していたことと反対のことを実行して過去に失敗したり、悩んだりした人が役員になったりしております(少なくとも私の会社は)。反対に、東大出身でも課長止まりだったり、形だけの役職で会社人生を終えてしまった人はたくさんいます。机上の理論で考えがちで、抽象的な意見が多く、現場とずれたことをしている人が多い傾向に
ありました。

URL | 26歳より #-
2012/11/16 16:58 | edit

Re: 学校の成績はある程度しか参考にならず

コメントありがとうございます!

そうですね。表現があんまり良くないと思ったので書かなかったんですが、僕の言う企業が求めている人材とは、幹部連中の手足となって動く平社員~課長クラスの人間のことです。
厳密に言うともちろん幹部候補の採用のことも考えて書くべきだったんですけど、それは全体からするとごく少数の話なので省かせてもらいました。

おっしゃるとおり、通り一辺倒のことしかできない人が、突出した地位にはつけないと思います。
やっぱり地位や権力を得る人間というのは、それだけ苦労もしているということなんでしょうね。

URL | ゆとりさとる #-
2012/11/16 19:09 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://hjkd8yg.blog.fc2.com/tb.php/98-2f025a26
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。