ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

働きアリの法則は割りと正しい  

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働きアリの80:20の法則ってあるよね。
せっせと働くのは全体の2割で、あとの6割はまぁまぁ普通に働いて、残った2割は全然働こうとしない。
でも、真面目に働く優秀なアリ達を集めても、やっぱり2割くらいは働こうとしなくなって、真面目に働くアリの割合は常に一定だ、っていうやつ。

あれって、「あぁー…まぁ確かにそんな感じなのかな」程度にしか考えていなかったけれど、なんだかすごく核心をついてる話だってことに最近ようやく気づいた。


なんでそんなことが起こるかというと、アリの個体でそれぞれ反応に対する閾値を持っていて、その値がバラバラばからなんだそうだ。
言われてみると、僕はそこそこキレイ好きだけど、めっちゃキレイ好きな人の中にいれば全然掃除しないだろうし、逆に清潔さのかけらもない人達の中でだと、せっせと掃除をし始めるだろう。
それは僕の中で「このラインを超えたら流石に掃除しなきゃヤバイ」っていう閾値があって、そのラインに引っかかるまではすごくキレイだろうがちょっとキレイだろうが、あまり気にならないからなんだな。

僕はなぜか子どもの頃から極端な奴だって言われてて、確かに自分でも極端だなって思うことがよくあるんだけど、それはつまり僕の中の「閾値」がめっちゃ高いか低いかのどちらかしかないっていうことなんだなぁって気づいた。

というか、そういう極端な状態が好きなんだ。
すごく何かにのめり込むか、徹底的にほったらかすかどっちかがいい。それが気持ちいい。
会社に入ってしばらくして感じた違和感の中に、「これ僕がやる必要あるか…?」っていうのが多々あった。
何かをやって、で、お客さんや上司や先輩に「ありがとう」って言われるんだけど、何かスッキリしなくて。
今思えば、「自分じゃない他の誰かでも出来ること」っていうのが不満なんだったんだと思う。

高校時代に独学で京大いったろうって思った時も、それは周りの同級生がみんな勉強してなかったからだ。
大学までエスカレーターだったし、そこそこ知名度もあったので、あえて推薦を蹴ってまで他の大学に行こうなんてほとんどの人が考えてなかった。
でも、そこで僕の閾値が反応して、「みんな勉強してない」っていう状態に危機感を感じてた。
誰しも「自分だけの価値」を感じられる瞬間ってすごく生き生きしてると思うんだけど、僕にとってはこの状況がそれに当てはまった。
だから、みんなが東大や京大を目指すような学校に通ってたら、「こいつらはなんで何の疑問もなく勉強ばかりしてるんだろう。いい大学に行く事がそんなに重要なことか?」とかいって一人でわけわからんことしてたと思う。なんか言い切れる。

我ながら単純だなぁって思うけど、僕はそういう人間なんだよね。
じゃなきゃさすがに会社辞めるレベルにはならないと思う。
会社でも結局自分で自分の居場所を見つけられなかった。
自分だからこそ出来ることを見つけたり、自分がやらなきゃいけないんだっていう気持ちが芽生えなかった。
毎日が誰かの代わりをしてるっていう感覚しかなかった。
業務知識のテストも、同期が何百人といて、下から何番とかそんなレベルだったと思う。
なんかみんな頑張って勉強してるし、じゃあ僕はいいやって感じで。
もし銀行に居続けるとしたら、新人なんかには到底任せられないような仕事を無茶ぶりされてる方がよかったんだろうなぁ…。

お金は使わないからたまる一方だし、仕事は歯車だし、そのくせ時間はない。
僕が仕事を続ける理由はなくなって、とうとう閾値を超えて、全く働かない2割になってしまった。
大学時代に、「若者はなぜ3年で辞めるのか」っていう本を読んで、そこでは
「就職難の時代を勝ち抜いた若者は紛れもなく他の人より努力し、成果を残してきた人たちで、そういう人たちに対していつまでも雑用をやらしてばかりでいて、彼らは我慢の限界がきた」
みたいなことが書いてあって、当時は「プライドばっか高い奴は使えないなー!ハハハハ!」とか思ってたけど、実際自分が似たような状況になったわけで。
そうするとプライドとか我慢とか以上に、自分がいる意味を感じられなくて生きた心地がしなくなるっていうことが、これほど辛いことだったんだっていうことが初めてわかった。

いろんな人がいるけど、僕は多分、働く2割の人間になりたいんだろうな。
働きたいっていうか、やるならとことんまでこだわってやりたいタイプで、それが無理なら完全に放棄って感じなので、僕は常に働く2割か、働かない2割のどちらかだ。

でも、今の社会で働く2割になるにはどうしたらいいんだろう。
流石に高校時代のように学校単位の世界だけを見ていればいいっていう話でもないから、そうなると地域とか国とかになるんだろうか。
もしそうなら、僕はこれからずっと働かないかもしれない。
なぜならこの国は豊かすぎて、到底僕が働く閾値を超えないからだ。
もっとサービスも落ちていいし、もっとみんな適当になれって思う。そうはならないだろうけど。
僕は満たされすぎてるんだろうか。
でも家を出るとか、自分の家族を作るとか、何か大きな借金をするとか、そういう迂遠な方法で働く理由を作りたくない。
それは結局お金が手に入ったらまたそこで壁にぶちあたるから。

全力で生きるに足る理由や意味はどうやって見つけたらいいんだろう。
人間の行動や生きてること自体には客観的な意味なんてないから、あるとすればそれは自分で作らなきゃいけないっていうことはわかってるんだけど。
「自分にしか出来ない、自分がやらなきゃいけない」って思えることってどこにあるんだろう。わからん!!
そもそも自分を見つめることで発見できるのか、世界を見渡すことで発見できるのかもわからない。
わからないことだらけだ。僕の能力と体力とやる気はどこにぶつければいいんだ。
もっと行動すべきなんだろうか。とりあえずまたどっか社員になってみた方がいいのかな。

偉人の伝記とか、自己啓発本とか、人生の哲学や宗教観みたいなのって、いいこと書いてるとは思うけど、結局その人自身の能力と環境と時代があったからこそそうなったとか、あるいは観念的すぎて実生活で使えないとか、そんなんばっかりだ。
「人生をどう生きるか」「生きる意味は何か」について、観念じゃなく実践的に、人の心の仕組みそのものを解明して、捉えたような本ってないんだろうか。

あー。これって、もしかしたら需要あるんじゃないかなぁ。
お金でも地位でもなく、勝ち負けや成功失敗でもなく、その人自身がありのままにその人らしさを感じられる生き方をするにはどうするのか。
理想や観念にとどまらず、第5段階と言われる「自己実現の欲求」を満たすメカニズムを解き明かして、誰もが自分らしさを発揮できるようになるにはどうするのか。

人間は豊かさを求めずにはいられなくて、そして次は「自由を求める時代」って前に書いたけど、自由ってのはこれっていうやり方があるわけじゃなく、「自分が自由だと感じる状態」のことであり、つまり最終的には「自分らしさを常に発揮できている状態」に落ち着く。
けど、自分らしいってなんだろう?っていう疑問から始まって、本当の意味で自分を理解して、そして社会とありのままの自分との接点を探るノウハウとか機会ってないよね。
そういうサービスあってもいいなぁ。キャリアコンサルタントみたいな感じになるんだろうけど、もっと深く自分の人間性について考えられるような。深層心理から最適な職業、職種、企業、ライフスタイルまで呈示してくれるような。流石に甘え過ぎかなあ。

そういや第5段階の欲求を満たしたその上には、「自己超越」とかいう段階もあるらしいよ。
なんやねんそれ。神か。

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category: 人間

コメント

会社で働いてる反動かもしれませんが、私は働かない2割になりたくて仕方がないです(笑)

真相心理とまではいかないけど、自分を知るにあたって四柱推命とか意外と参考になりますよ

URL | きゅー #-
2013/06/25 13:00 | edit

Re: タイトルなし

>>きゅーさん

まぁ自分がどのグループというかレベルに属するのかはあんまりわからないでしょうけどねー。占いは統計的にある程度の確からしさがあるんでしょうね。それを知ってからどうするかが問題ではありますが、自分を知るというのはとても大切なテーマだと思います。

URL | ゆとりさとる #-
2013/06/25 15:07 | edit

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