ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

日常という雲間から見える才能  

入道雲




職業訓練校から通知がきて、Webクリエーター養成科の受講が決定したよ!

やったー。
正直、他府県からの受験だったし、応募数も募集人数よりかなり多かったっぽいし、落ちたやろなーと思ってたけど、受かってよかった。他の人に比べて若かったからよかったのかな。

スキル身につけたら、このブログデザインを変えよう。
借り物なのにこんな事言ったらなんだけど、ちょっと見づらい部分も多いので。

学校に行けるのはすごくうれしいんだけど、職業訓練というからにはこれでスキルを身に着けて就職することがゴールなわけで、じゃあ自分はwebを作る会社に入りたいかというと、あまりそういうイメージはわかない。

で、例によって自分に合う職業について考えてたんだけど、いわゆる学生が就職をするときの自己分析ってのは、想像以上に大切なことなのかもしれない。



僕は今でこそニートに甘んじているけれど、別に働くことが嫌というわけではなくて、
興味のないことをしたくないというだけだ。怠惰でいたいと思ってるわけじゃない。

じゃあ、何がしたいんだって言われるんだけど、そうなると答えられない。
けど、それっていきなり職業を決めようとするからわからなくなるのであって、
問題は職業名が何かということではないように思うんだよね。

だって、例えば「自分は○○の仕事が天職です」なんていう人がいたとして、それは今だからそういう仕事があるけど、仮に500年前に生まれてたら、全く同じ仕事なんてないわけで。
じゃあその人はその時代に生まれていたらもうどうしようもなく不幸か、というと、そうではないような気がする。人間はそんなに単純じゃない。

職業ってのは、いわば「自分の思い」「やりたいこと」を成し遂げるための手段であって、単純にそれをやってさえいれば幸せや充実を与えてくれるっていうものではないんだよね。
食べるためとか、そういう理由もあるんだろうけど、その理由だけで何十年も仕事を続けられる時代じゃなくなってきたし。

そう考えると、人はそれぞれ生まれ持った世界というか、指向性・ベクトルがあって、それに合致した職業を天職って感じられる。
それは今までも言ってるように「才能」ってことなんだけど、才能ってのが何なのか、最近ようやくつかめてきたのかもしれない。

まず、一般的に言われるような、才能とは人より優れたセンスのようなもの、とは僕は思ってない。
いわゆる能力の優劣は実際あるのかもしれないけど、それと自分が幸せかどうかってのは関係がない。
才能ってのは、そういう表面的な能力の高い低いなんて次元の話じゃなくて、
その人の人生を根本的に豊かにしてくれる何かであるはずなんだよね。

というかそういうものを才能っていう言葉で表現してるだけなんだけど。

となると、それはすでに僕らの人生に登場しているはずなんだよ。
才能とは、あまりにも日常に溶け込みすぎてて、自分じゃ気づかないことなんじゃないかっていうこと。

例えば、一日10時間家にこもってゲームをしている人がいたとして、
これはもうどう考えても何かしらの才能の顕現なわけ。
だっていくら娯楽といっても、それだけの時間何かに没頭出来る人って、そんなにいないんじゃないか。
逆に、全然違うタイプで、毎日誰かと会ったり、何か予定を入れないと気が済まない人とかっている。
それも何かの才能のように思う。

けれどここでポイントになるのは、「ゲームを10時間できる」とか、「毎日人と会う、予定を入れる」っていうのは、あくまで結果として出ている表面的な事象に過ぎなくて、その原因となっているような、その人にとってもっと根本的な「何か」があるということ。

ゲームを10時間できる、という事象には、その人自身の深いメッセージというか、欲求があるんだと思う。
それが何なのかってのは、その人じゃないとわからない。
例えば、ストーリーを追うということに豊かさを感じているかもしれない。ゲームという限られた世界の中で紡がれる物語の、儚さみたいなものに味わいを感じているかもしれない。こういう人は文章や映像を吟味するような仕事をすると幸せになれるんだろうな。
はたまた、自分の思うようにキャラをコントロールすることに快感を感じているかもしれない。それぞれのキャラの役割を考えて、最適化し、その問題をクリアするということに、自分の存在意義を感じてるのかもしれない。こういう人は、マネージメントをする仕事をすると、楽しいだろうな。

こんな風に、「自分は毎日10時間するくらいゲームが好きです」っていっても、その背景にあるものは何なのか、人によって全く異なるんだよね。
自己分析の底が浅いと、自分はゲームが好きだからゲーム会社に就職しようって考えて、失敗したりする。
そりゃそうだろうね。↑で挙げた例の人が、必ずしもゲーム会社に就職する理由にはならない。

つまり、
自分が日常的に何気なくとっている行動には、何かしらその人にとって表現したい、満たしたい何かがあって、それは自分をすごく豊かにしてくれる何かなんじゃないか、という風に考えるようになってきた。
それを一言でいうと才能であり、やりたいことなんだけど。


そこに気が付くと、一気に見える世界が変わってくる。
つまり、才能ってのは「見つけ」たり、「生み出す」ものじゃなくて、もう今この瞬間に自分の行動として表れてるんだよね。

僕が自分の才能として一つ言えるのは、「本質を突き詰めること」。
受験勉強において独学で京大に合格した経験も、運動の才能もないのに部活の対外試合で抜群の勝率を挙げられたのも、僕自身に「物事の本質を知ろうとする欲求」があったからなんだと思う。

そもそも、このブログでどうすればより幸せに生きられるか、なんてごちゃごちゃと思考してるのも、それが原因だしね。
僕は人として生きている以上、人生とは何か、幸せとは何かということについて、一生考え続けるんだと思う。
もうクセというか、そうせずにはいられないという感じだ。

僕には何か行動を起こすときに、それがどういう意味をもつのか、何のためにするのか、何が原因でそうなっているのかということを考えるクセがあって、だから会社での仕事はできなかった。
サラリーマンっていうのは、上司の指示についてその是非を考えるというよりも、どうすればそれを上手くこなせるか、ということに思考が向く人がするべきことなんだよね。
どうすれば上手くこなせるかっていうのも、もちろん一種の「本質を見極める」思考なんだけど、僕はなぜかそこには興味がないというか、仕事をうまくこなして上司にほめられても、「それぐらいの試行錯誤と軌道修正なら出来るな」という感覚しか自分の中に残らなくて、楽しいって思えなかった。

受験とか部活でそういう作業はかなりやってきたからなのかな。でも、それが本当に僕の心を豊かにしてくれるなら、同じようなことをずっと続けても楽しいはずだし。興味がなくなったということは、根本的に僕が求めているのはそこじゃないってことだ。

ということは、僕が思っていた「本質を突き詰める」っていう才能は、実は才能じゃないのかもしれない。
「本質を見極める」ってだけなら、別に何の仕事をやってもいいはずなんだよね。けど、そうはならないっていうことは、それが才能というわけじゃないとか、僕の中にまだまだ他の「才能・欲求」があるからなんだと思う。

今パッと思いついたのは、僕は実は「普遍の真理」というものに興味があるのかもしれないということ。
僕の思考って何をどうやっても哲学的になってしまうし、自分でもなぜそうなるか全くわからないけど、
「本質を見極める」ってのは、物事の普遍性を解き明かすために、「必要だからやっている」ことなのかもしれない。

人生なんて理路整然と説明できるはずがないってのは、わかってるんだけど、それでも追求したい。
これで全て説明できる!って思っても例外がでてきて、そしてその度にその例外をも内包する、より上位の理論を見つけ出そうと工夫する。そういう一連の思考に、僕はこの上なく充実感を覚える。


とまぁ、そんな風に自分の行動原理を解き明かしていくことで自分の才能は見極められると思う。
そのために、みんなもっと自分と向き合う時間を持ってもいいんじゃないかな。
幼少期からさかのぼって、自分は何に興味をもって、何をしてきたとか、何も考えなくても自然とやってきたこととか。そしてそれらの共通項を探ると、どんな場面でも発揮できる才能が見つかるかもしれない。


で、さらにここから重要なのは、その才能と社会が求めているものとの接点を探るということ。
僕は普遍の真理を追求することに興味があるかもしれないけど、それでお金を得るレベルの何かにできるかっていうと、まずそもそもそういう仕事があるのかもわからないし、僕がたどり着いてるレベルなんてたかが知れてるようにも思う。
ていうか僕が思ってるのって宗教の開祖にでもなるようなことなんじゃないのか。
でもなれたら面白そうではあるなぁ。
僕は観念的というより、生きるということにより実践的な考え方だから、宗教特有の怪しさみたいなものを排除できて、そこそこ需要もあるかもしれない。


などと考えている人間が、来月からはWebクリエーターになるための専門学校に行こうとしていんだなぁ。
なんかこういっちゃなんだけど……全然関係ないな!
でもなぜか楽しみでもある。その経験が僕に何を知らしてくれるんだろう。

やっぱり興味が向かうのはそういう哲学的な方向だった。


なんかこの記事書いててふと、「能力的にできることと、自分がやりたいことと、社会に求められることが重なりあう3重点を見つけることができれば幸せなんじゃないか」っていう話を思いついたので、また考えがまとまったら書きます。考えることがあるって楽しいなぁ!

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category: 人間

コメント

ゆとりさとるさんの文章はやっぱり凄いなぁ・・。
才能を見つける事についてここまで深く考えられる事もそうですが、私はその考えを理路整然とした文章で書ける事に凄さを感じます。読んでいてとても参考になりました、ありがとうございます。

>>そしてそれらの共通項を探ると、どんな場面でも発揮できる才能が見つかるかもしれない。
その通りだと思います。大学を出て就職活動をした時に参考にした本に「好きな事を20個以上書き出せ」という課題があって、無理やり書き出したところ共通項でくくれる事に気づきました。その時に出た"自分の世界を大切にする"や”ひとつの事にこだわる”などの性質はいままで当たり前と思っていて気付けなかった事でしたね。

自分の才能を探す方法として、「他人との比較」は大切かもしれません。私は当たり前過ぎていて、案外我慢強かった
という才能を他人に指摘されて初めて気付きました。

あと人の才能を探す為に、エニグラムとMBTIという性格診断を参考にしています。人を前者は9タイプ後者は16タイプに分ける方法ですが、今まで思いつかなかった自分の一面が分かって面白いですよ。ブログ内で「僕の思考って何をどうやっても哲学的になってしまう」という面は後者の分類の一つにあったと思います。

>>で、さらにここから重要なのは、その才能と社会が求めているものとの接点を探るということ。
私はここで悩んでいます。今まで知った自分の才能(欲求)を社会に上手く貢献させる道を見つけられていません。まぁこれから徐々に見つけられればいいかなと、気楽に考えています。

長文失礼しました。

URL | RakkaseiTA #-
2012/08/23 22:16 | edit

Re: タイトルなし

他人との比較は大切ですよね。
そもそも自分と違う他者がいて初めて、自分という存在が成り立つわけですし。

MBTIやってみました。
けど、当たってるような当たってないような。まぁ16種類しかないので仕方ないかもしれないですね。
ここから自分の才能がわかる…というレベルではなくて、あくまで傾向がわかるって感じでしょうか。

自分の才能を社会に貢献させるってのは、本当に難しいテーマです。今もいろいろ考えてますけど、果たして本当にそんなことが可能なのか?とすら思えてきます。

URL | ゆとりさとる #-
2012/08/24 05:07 | edit

MBTIをやって頂いて嬉しいです。
ただ当たっていたという感想はイマイチ得られなかったみたいですね。無料診断サイトでやられましたでしょうか。無料サイトは私も一通りやったのですが、タイプの説明がどれも読んでいて漠然とした感じを受けてしまうものばかりでした。当たってるようないないようなという感想を得てしまった原因はそこにあるかもしれません。

『あなたの天職がわかる16の性格』という本で今回該当したタイプの説明だけでも読んでみると、良いかもしれません。私はこれを読んでMBTIにハマりました。経験上1/2の確率で書店に置いてあるので、気が向いたら立ち読みでもなさってください。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%A4%A9%E8%81%B7%E3%81%8C%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B16%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%A0%BC-%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB-D-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC/dp/4072591696

16種類しかないので、細かい性格の判別は分からないでしょうね。ゆとりさとるさんが仰られた通り、あくまで傾向がわかる感じです。

>>自分の才能を社会に貢献させるってのは、本当に難しいテーマです。
そうですね。私は特に自分の才能を仕事に活かす事に難しさを感じています。なので仕事は生活費を得る手段と割り切ってしまって、オフタイムに才能を社会に活かすようにする方が合っているのかもしれないと考え始めています。私はフリーゲームで遊んだり、ニコニコ動画を視聴したりする事が大好きですが、別にこういう事も立派な社会貢献なのかもしれませんね。

URL | RakkaseiTA #-
2012/08/24 11:51 | edit

初めまして。
私もゆとり世代で、ブログを読んでいただければわかると思うのですが、何のために生きてるのかわからない状態です…(;Д;)
ゆとりさとるさんのブログを読んで少し救われました。

よかったらブログに遊びに来てください☆

URL | ぱぴchan #-
2012/08/24 14:39 | edit

ちょっとした疑問点。

はじめまして。
偶然検索で見つけて初めからここまで読んだ所なので的外れかもしれませんが、気にかかることがいくつかあるので質問させて下さい。

①私も京大には及びませんが地方国立大で農学研究科の修士を出たものです。
そこまで探究心旺盛であれば、大学に残って(博士課程又は研究員)研究を続けるという選択肢はお考えにならなかったのでしょうか。企業の研究員は納期や様々な制約があってまた同じような悩みを抱えることになりかねませんが、大学時代がそこまで苦ではなかったのであれば適職ではなかろうかとふと思ったのです。

②両親•祖父母共に保守的な方々であるようですが、銀行員を辞めるに当たってまた、その後もあれこれ言われて嫌になったりはしませんでしたか。

以上二点について、よろしければ御回答頂ければと思います。

URL | 青い鳥 #en9qG856
2014/01/11 15:13 | edit

Re: ちょっとした疑問点。

>>青い鳥さん
はじめまして、コメントありがとうございます。
①4年生の頃の卒業研究はかなり苦痛でした。自分は学問というジャンルには全く興味がない人間なんだなっていうことに大学の4年間を通じて気づいたので、研究するという選択肢はありませんでした。ただ、自分の興味あることに関しては深く考えこんでしまうタイプです。
②かなりあれこれ言われましたが、しかし自分の人生を生きるのは自分であって、いくら望んでも両親と代わることもできません。なので最終的には納得してもらう他にありませんでした。ほとんど事後承諾のような勢でしたしね。

URL | ゆとりさとる #-
2014/01/11 19:33 | edit

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