ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

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どろっどろな思考回  

ぬま




今日はどろどろぬるぬると僕の思考を垂れ流していく。
ひたすらに思考を記述。



人間にとっての自然とは何か。

これが僕のテーマ。自然っていうのは自然体ということ。
ストレスなく、燃え上がるような刺激もなく、流れるように自分の手足を動かして生きていきたい。

人は幸せになるために生きるっていう表現をこのブログでも使っているけど、一般的な幸せって表現は「ほのぼの、しんみり」と感じるものから「舞い上がる」ようなものまで範囲が広すぎて、厳密には適切じゃない。
自分の思考と心と体が淀みなく、流れるように生きることの快感をどう表現していいかわからない。
あえて表現するなら「自然体」なんだけど、人は自然体になりたくて生きるっていう言い方もなんか伝わりにくい。その表現からうれしさが感じられないというか、ちょっと淡々としすぎてる。
適切じゃないんだけど、他にいい表現が思い当たらないからしょうがなく幸せっていう言葉を使ってる。

で、幸せになるにはどうするか。

今のところ結論としては、自分が心からやりたいこと=才能を発揮するということ。
結果は人に一時的な幸福感しか与えないから、結果のためにやりたくないことをコツコツ努力するっていうのは、自然体ではない。

具体例としては、地位も名誉も権力も金も手に入れて、周りから羨ましがられるような人でも、心の中では物足りなさ、幸福感の欠如を感じていたりする。
それは結果を追い求めるばかりに、日々の小さな幸せを犠牲にしてしまったから。

幸せは刹那の中にある、という言葉があるけれどまさにそのとおりで、人間が幸せだと感じるのは、ほんの一瞬の出来事にすぎない。
何かを成し遂げたから自分は幸せなんだっていうのは、ただそう思い込もうとしているだけで、実際には過去の出来事だから幸福感はそんなにない。
つまり、人間は大義によって永続的に幸せを感じることはできない。その状態が当たり前になるから。

じゃあその「刹那の幸福」とは何なのか。
それを説明する一つのキーワードが、「集中」だ。
夢中になってる状態以上の幸せは無いっていうのが現段階の結論。
そのテーマは何でもよくて、勉強でも仕事でも、友人との会話でも食事でもいい。喧嘩でもいいかも。
あと、リラックスしてる状態と集中してる状態って結構似てるとこがあって、そういう意味では昼寝したり、何も考えずに散歩したりするのも、集中してると言える。

「今ここ」に集中できてるかどうかが、幸せになれるかどうかを分ける。
その集中を途切れさせることなく連続させていくことで、何ヶ月、何年と幸せを感じ続けることが出来る。

僕の場合は、囲碁を打ってる時や部活の後輩と練習してる時は他のすべてが目に入らなくなって、ひたすらにそのことだけに集中できるから、単純に言うとずっとそれをやってれば割と幸せになれる。
もちろん、同じ事ばっかりずっとやってると飽きるから、そういうものをいくつか組み合わせて、ローテーションのようにぐるぐると集中を切り替えていくことで、途切れることのない充実感を覚えられる。

だから、借金があるから不幸とか、有名人でお金もあるから幸せとかではない。
それぞれの状況で夢中になって取り組めることがあるかどうか。

そう考えると、幸せになるってのは、比較的簡単だと言える。身近で熱中できるものを見つければいい。
ただ、熱中できる事=才能=やりたいこと、っていうのは、生まれながらに決まっている要素が大きい。
僕の場合だと、「考えること」なのかなぁ。
物事を最適化したり、分析したり、一般化したり、
そしてそれを人にわかりやすく伝えることに楽しさを見出す。
このブログでやってるのもそうだし、部活でも「勝ってる選手」を分析して共通項を見出して、それを自分にも当てはまるように一般化することで、自分を「勝てる選手」にした。
そういう思考プロセスの一連の流れが、面白いと思える。
他にももちろん、楽しいと思えることはたくさんあって、一概に自分はこういう人間って説明はできない。
それは程度の問題であって、人間はそんなに単純な生き物じゃない。

自然体になる、幸せになる方法はいいとして、今度は別の問題が出てくる。

幸せ以前の、生きるっていう問題。
ここから議論が大きく別れていく。面白くなってくる。


まず、生きるのに本当にお金は必要なのか?というところから。
これについては海外でお金を全く使わずに生きられるかという実験をしている人がいて、ボイルさんというのだけれど、本も出ているのでそのうち読んでみたいと思ってる。



彼によると、「この生活をするまで、お金がどれだけストレスと不安をもたらすか知らなかった」というコメントまでしていて、お金を使わずに豊かに生きることができるということを証明している。
実際、資本主義という文明が及んでいない部族の人たちなんかはお金を使わずに生きてるわけだから、お金のない生活ができるかどうかという点で議論するなら、答えはYESになる。

ただし、ここで問題になるのは、「生きる」とはどういうことか、というところだ。
ただ衣食住があって、心臓が動いてるのを生きるというのなら、お金のない生活でも可能だろうけど、厄介なことに、人間には幸せを感じないと生きてる実感がしなくなるという性質がある。

僕の場合で言うと、囲碁をいつでも気軽に打つには、ネット環境がいる。後輩と練習したいなら、用具も買わないといけない。つまり、今の僕の「刹那の幸福」を支えてるのは、文明であり、お金であるということだ。

ここで、分岐点。

じゃあその「幸福」を維持するために、お金を稼いでいこう、となるか、
今の「幸福」は捨てて、お金を使わない生活でも楽しめる別の「幸福」を見つけよう、となるか。

後者については、やってみないとわからないとしか言えない。
一度文明の旨みを知った人間が、それを捨てた生活をすることで何を知るのか。すごく面白いテーマだ…。
これについては、追々自分で擬似的な体験をしたいと思ってる。放浪生活とか、自給自足とか。
ただ、人間は環境に適応する生き物なので、やってみると案外いける気もする。

次に、前者。

文明や社会、つまり他人によって支えられている自分の幸福を維持したいというわがままを叶えるために、お金を稼いでいこうという生き方。
今の日本では、これが主流になってる。
僕があなたの幸せをサポートするから、あなたは僕の幸せをサポートしてよ、と。
あぁ、お金を稼ぐ生き方という表現は適切じゃないな。お金を「使う」生き方か。稼いでない人もいるし。

この生き方でひとつパラドックス的な問題として出てくるのは、「刹那の幸福」を維持するための労働が、
自分にとっては不幸な要素になってしまう可能性があることについて。
僕はまさにこれに当てはまってしまったのだけれど、それを解決する方法としてざっと思いつくのは以下の通り。

①自分が「幸福」だと感じられることで、お金を稼ぐ。
②不幸だと思う要素を、幸福だと思えるようにする。
③働かずにお金を使える環境に身を置く。



①は、いわゆる資本主義の理想と言える形。

このパターンに属してる人は、稼ぐ額がどうであれ、仕事と趣味の境界がない。
働くように遊び、遊ぶように働く。自分の才能と社会のニーズがマッチしたパターン。
ポイントは、そこに義務感があるかどうか。人はなんであれ義務感を嫌う。
「刹那の幸福」が「刹那の幸福」足りえるのは、そこに自分の自由意志があるからだ。
だから、「趣味を仕事にしてはいけない」というのは、半分あってるけど半分間違い。
趣味を仕事にできるなら、絶対したほうがいい。ただし、義務感が生じるならやってはいけない。

でも、理屈で言えば上記の通りだけど、義務感の生じない仕事なんてあるのか、とも思う。
僕はその領域に行ったことがないからわからない。
けど、発明家とかは当てはまるのかな。夢中になれることをやって、大ヒット、みたいな。


②は、おそらく世の中の大半を占める人が当てはまるパターン。

どんなに嫌だ苦手だと思っていた仕事でも、能力的にはやっていくうちに慣れて出来るようになっていくし、今まで1日かかってやっていたことが1時間で出来るようになると、達成感や自身の成長を感じる。
それを繰り返すことで見えなかった景色が見えるようになったり、人から評価されたりする。
あるいは、しんどいと思っていることそのものの論点をすり替えるというのも考えられる。
具体的には、大切な守るべき家庭を持つことで、嫌だと思っている仕事をやる「意義」が生まれる。
他には、そもそも「やりたいことだけをやる人生なんてありえない」という考え方をもつというのもある。
楽しいこともやりたいけれど、そのために我慢しなきゃいけないことだってあるんだという哲学は、多くの人が実感してることなんじゃないだろうか。


③は、まさにそのままの意味。

元々家がお金持ちとか、宝くじがあたったとか。運によって実現が左右される要素の人たちが当てはまる。
凡人がこのパターンになりたければ、専業主婦(主夫)になるとかだろう。
あるいは、phaさんのように、ネットを使っていろんな物資援助を受けたり、大勢で集まって生活することで助け合うってのも、これに当てはまるのかなぁ。
とにかく、他人の力が自分に向かってて、自分は何もしなくてもいいっていう状況。

この中でも②はやはり人を幸福にしないというのが、僕の今のところの結論だ。
どう解釈しても、どう取り繕っても、嫌なことは嫌だし、それを我慢しないと生きていけないっていうのは、最終手段として取っておくくらいでいいと思う。少なくとも自らそこに突っ込んでいく必要はない。
もし②のパターンで自分はなんの不満もなくやってるよっていう人がいるなら、それは前半に書いたように、「自分は何かを成し遂げたから幸せなんだ」って思い込もうとしているか、もしくは実はそれが自分に合ってて①のパターンだったというオチだ。

この3つの中で目指すなら、①>③>②、となるだろう。
③はお金を使える立場だけど、熱中できるものがないという点で、①に劣る。あるなら①と同等以上。
①はやりたいこと=才能をふんだんに発揮して、尚且つそれでお金が入ってくるという生ける理想だ。

もちろん、この3パターンは全くそれぞれが分かれているというわけではなくて、3つが混ざり合ってるのも考えられる。というか、それが普通だろう。
①の人でも少しは面倒くさいことをやってるだろうし、②の人でも少しは楽しいという瞬間がある。
僕のように実家暮らしだったり、夫婦共働きなら、③の成分も持ってる。


あああああああああああああああくそおおおおこれじゃ分析してるだけで、自分が①になれるかどうか全くわからん!!!!!
やりたい放題やって生きてる人はどうやってそうなったんだ…。
①の中でも多分それなりに強弱みたいなものがあって、社会のニーズを捉えて、その範囲で自分のやりたいことをやっていったという人もいれば、はなっからやりたいことを貫き通して、別になんも考えてなかったけど気がついたら世の中から絶賛されてたみたいな人もいるだろう。

前者ですら羨ましいけれど、社会に合わせてる感が少しはあって、まだ微笑ましさがあるんだけど、
後者に至っては嫉妬で狂い死にそうになる。宝くじ一等当たった人よりも羨ましいかもしれない。

けど、冷静に考えてみると僕は実家ぐらしで親が働いてくれてるおかげで生活の心配もないし、その環境の上でやりたいことやったり、こうやって夢中になれることを考えているのだから、多分嫉妬されるのは僕の方なんだろう。

この手の議論の行く着くところは、結局自分が何をやりたいか、であり、自分が幸せと感じるラインはどこか、であり、それはひっくるめて言うとその人の思想や人生観は何なのか、ということになる。

宗教というのは思想を作るための参考としてすごく大切で、僕は比較的仏教の発想に近いのだけど、日々の「刹那の幸福」だけじゃなく、そういう大きい指針も必要なんだっていうのを、今記事を書いていて感じる。

じゃあ、僕にとっての思想は何だったか。

それはいろんなものを「捨てる」こと、そして現状がすでに満ち足りた状況であるということを知ること。
諦めの境地。諦めるっていうのは、「明らめる」ことで、本当に自分に必要なものだけを見るということ。
努めて「今ここ」に集中するということ。仏教っぽいけど、そういうつもりはない。

その観点から言うと、①のパターンに自分も属したいなんていうのは僕の思想に全く沿わない生き方であり、それはともすれば結果を追い求めて刹那の幸福を犠牲にする生き方になりかねない。

なんて言ったらいいんだろう。①のパターン自体はもしなれたら理想なんだけど、最初に自分からそれを目指すのは僕の思想に合ってない。っていう。

あくまでもう貧乏暮らしは覚悟の上で、ただ日々刹那の幸福を紡いでいった結果、よくわからない偶然に巻き込まれてお金が手に入っちゃった、というのが理想だ。
いやでもそういうちゃっかり良いことないかなぁっていう考えを持ってる時点で駄目だ。捨てきれてない。

難しい。僕の思想を体現したければ一切の期待は捨てないといけない。人間には無理だ。
もしできたとして、本当に期待してないなら、お金が手に入っても別にうれしくないということになる。
だって最初から使う予定も使いたいという欲もないわけだし。なんかでもその境地は無理だ。
でも、無理目な思想でいいんだと思う。どうせ辿りつけないんだし。あくまで指針だから。

あー、長かった。こうやってぐるぐると思考を経て、また最初の「自然体」に戻っていくのだった。
この記事を書くのにかかった時間、およそ2時間。楽しかった。夢中になれた。もうそれでいいや。
とりあえず飽きてくるまで好きなことやって、そのうち放浪生活をやろう。
お金を使わない生き方には興味があるし。そのためにボイルさんの本を読もう。

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コメント

はじめまして

ブログ読みました。
凄く真面目でいらっしゃるんですね。
私も同じくぐるぐる思想で毎日楽しくやってます。銀行員だったとゆうのも共通なのですが、考えもかなり似通っていて面白かったです。これからも更新してくださいね。

URL | だり #q/jcOni6
2013/01/29 20:07 | edit

Re: はじめまして

>>だりさん

ぐるぐる思想?というのはよくわかりませんが、楽しいっていうのはいいことですよね。
このブログには結構、元銀行員の人が来てくれてるように思います。
更新はこれからも続けていきます!応援ありがとうございます。

URL | ゆとりさとる #-
2013/01/30 01:15 | edit

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