ゆとりさとるの日々

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頭で感じるのか、心で感じるのか、それが問題だ  

気球




最近ふと感じるんだけど、人間にとっての嬉しいとか楽しいって、実は2種類あるよね。



何が言いたいかっていうと、頭と心とで、感じ方が全然違うのかなっていうこと。

頭は、理屈や合理性、筋道が通ってることに対して、反応する。
対して心は、感情や思い、雰囲気ってのに対して、反応してる。

この2つの違いを理解することが、僕にはとっても大切に思えるんだ。


いきなりだけど、鬱の人の話でさ。

全く同じランダム性が確保されてるとして、
①自分でくじを引く
②誰かにくじを引いてもらう
と、2通りあるとしよう。

選べるとしたらどっちがいいですか?っていう選択を投げかける。

すると、鬱じゃない普通の人は、大体①を選ぶ。
まぁ、そうだよね。なんとなく自分で選んでる感があるほうがいいじゃん。僕も①派。
けど、自分は運がないから誰かに選んでもらった方がいいな~!って理由で②にする人もいるかもしれない。
理由はどうあれ、①にしろ②にしろ、何かしら答えを出すんだよね。

けど、鬱の人にこの質問をすると、①でも②でもなく、
「どっちも同じ」って答える。


これさぁ、極めて正しいんだよね。
だって確率的には一緒だもん。自分で選ぼうが他人が選ぼうが。

鬱の人っていうのは、健常者よりもむしろ、合理的で理性的な判断ができる状態にあると言えるわけ。
逆に言うと、心が閉ざされて、感情や雰囲気といった理屈で説明できないものが、表に出てきてない。

つまり「頭」の部分がその人を支配してる状態といえるんだけど、これが続くとどうなるか。

結果的には、「死んだほうがいい」ってなるんだよね。

なんでかっていうと、頭はより合理性、効率性、客観性、そして物事の意味を求めるようにできてる。言い方を変えると、「ラクをしたがる」っていうことなんだよね。

人間が創りだしてきたいろんな生活まわりのモノも、
全ては人間がよりラクに、効率的になんでも行うため。

そして、どんどん効率性を求めていく先に、意味や筋道も求める。
「なんでこれが必要なのかな」って。

けど、残念ながらこの世に客観的に意味のあることなんて、ないんだよね。
人は誰しも特定の立場をもつから、客観的とかいう状態が厳密には存在しないし。

そうするとさ、もう何やっても無駄に感じるわけ。

「どうせこんなことしたって…」っていう風に頭が解釈してしまう。
そしてそれは、筋道や理屈が通ってるという意味では、100%正しい。

そして、生きることがめちゃくちゃしんどく思えてくる。

どうせ何十年かしたら死ぬのに。
ご飯を食べても、遊びに行っても、仮に誰かの役に立ったとしても、特に何がどうというわけじゃない。
ひたすら毎日同じ事の繰り返し。

というように考えたところで、じゃあもう死んだほうが効率よくない?と頭が判断するわけですな。
何もしない=死んでる状態が、一番安定していて、何のリスクもない。

これは実際に僕が学生時代に陥った思考ループというか、鬱状態というか。
頭でっかちになると、こうも悲観的になるものなんだなぁって、自分でも信じられなかったんだけどね。

しかし、人間は頭だけで生きているわけじゃない。

そこで心が登場するわけですよ。

心は、意味を求めない。効率性を求めない。理屈なんてお構いなし。基本的に楽観主義。
そして、いつでもワクワクしているんだよね。


こんなことがあったらどんなにいいだろう!とか、
自分が何かをして、誰かが喜んでくれたらどれだけうれしいだろう!とか。

常に、どんな状況にあっても期待と希望とを持ってる。
と同時に、自分の身に迫る危険や恐怖を素早く察知する敏感さも持ちあわせてるんだけどね。

この心を、頭という理性が支えてるってのが、人間なんだよ。

この2つは、与えられて感じる喜びが、全然違う。

頭は、例えば仕事がよりスムーズに終わったり、自分の行動がより多くの人に影響を与えたり、
みたいに、本質や合理性、物事の意味に反応する。

対して心は、何かをしたりされたりした時に、感謝されたり、嬉しくなったり、
新鮮な出来事に出会った瞬間みたいに、人の気持ちや刺激、即興性(前回記事)に反応する。


僕が、今の若い人や会社勤めをしている人たちに注意してもらいたいのは、

自分が幸せだと思ってることが、心が反応するタイプの喜びでなくて、頭が反応する喜びになってるんじゃないか、っていうことなんだよね。

人生を上手にやりくりする「持たない」思考法
でも言ってることだけど、不思議な事に、

有名企業で出世すれば幸せだと思って頑張ったのに、想像していた充実感がなかったり、
美人で性格のいい女性と結婚すれば幸せなはずなのに、思わぬところで息苦しさを感じたり、
普通に考えれば幸せな状態なのに、なぜか思っていたのと違うっていうことが、実際あるんだよね。

それはなぜかというと、「頭で判断して」良いって思ったことをやってきたからなんだ。

さっきの鬱状態の話にもあったように、頭が喜ぶ合理性や意味をとことん追求していった先に待ってるのは、死んだほうがいいなっていう、いわば全く不安も心配もない代わりに、何の喜びも刺激も得られない、良く言えば極めて安定した状態になるわけ。

そして、そんな波風立たない人生に、心は何の反応もしてくれないんだよ。



僕は一年で、会社を辞めた。

それは、この会社に勤めることで得られるものが、
「頭で判断して」良いものばっかりだったからなんだ。

そして、僕が今まで経験してきた受験や部活での勝利といった、「頭が喜ぶこと」っていうのは、
その場限りでは頭が興奮するけど、長い目で見て自分の心に響かない、
自分の人生をかけるに値しないものだなっていう結論があった。

だから僕は、もう目先の餌に釣られて結果に飛びつくんじゃなくて、
本当に自分がやりたいことを見つけたいと思ったんだよね。

それは他人からすれば、何の意味もないことかもしれない。アホだと言われるかもしれない。

けど、その時の僕は、貧乏だろうが社会に否定されようが、多分ワクワクしながら生きてる。

会社を辞めるってのが、その第一歩になったんだと信じてる。

今の日本は、というか他の先進国もだけど、頭が喜ぶことに傾きすぎてる。
そこには効率性も意味もあるのかもしれないけど、肝心の心が、どう感じてるのかなぁ。

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category: 人間

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2014/07/07 22:16 | edit

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