ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

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人生を左右する、判断と決断の大きな違い  

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今回は人生論の中のテーマの一つ、判断と決断について。



この2つって似ているようなんだけど、全く違う。
僕らは普段、判断にばかり目が向いて、決断をすることはほとんどないんだよね。


でも、より自分らしい生き方を目指すなら、決断は避けて通れない。




人生って何に例えられるんだろう?


いろんな要素があるから完璧なモデルはないのかもしれない。
でも、僕には「山登り」っていうのが、今のところしっくりくる一つの例えなんだ。


人は頂上(目標)に向かって、少しずつ歩いて行く。
どの山を登るか、どういうルートでいくかは、それぞれの考え方次第なんだよね。


そして頂上へ行く歩みの中で、次々とトラブルが起きる。その度に、人は適切な選択を取ることを余儀なくされるわけだよね。

つまり、それが「判断」に当たるわけ。

頂上へ行くために、どのルートを登るのが正しいのか、あるいは、今通っているルートにある障害物を避けるために、どうすればいいのか。

それって、「合理的」で「理性的」なものが求められるんだよね。
「答え」があるって言い換えてもいいかもしれない。

岩があるならどければいい。あるいは破壊してもいい。乗り越えてもいい。
その中から、その時々の状況に合わせて、最も最善と思われる方法を選ぶ。

日常は、この「判断」で溢れてるんだよね。

先にどの仕事を片付けるのが一番いいだろう?とか、この案件にはどういう対処をしよう?とか、
今の貯金からすると、今月は食費を抑えなくちゃいけないとか、
もう時間ないからタクシー使おうとか、そういう話。


人は知らず知らずのうちに、無限の選択肢の中から、理性と知性にしたがって、一番いいと思われる行動を取ってるわけだよね。


でも、それだけじゃ説明のつかない部分ってあるわけ。


つまり、山登りの例に例えると、「どの頂上を目指すか、どの山を登るか」っていう部分に当たる。



自分はどの山を登るべきなのか?

それには、答えがないんだよ。


理屈だとかなんだとかじゃない。
もうそれぞれの好み、持って生まれた何かで決めろとしかいいようがない。

それが、「決断」に当たるわけ。一大決心というかね。

決断は、理屈じゃない。


僕の例で言えば、わざわざ推薦を蹴って大学受験をしようとしたところや、せっかく入った大企業という安定した道を捨てたことが、それに当たるのかなぁ。

周りからしたら、考えられないわけだよね。

なんで手に入れた権利を捨てるようなことをするのか、茨の道を歩こうとするのか、理解に苦しむところだと思う。
自分でもなんでなんだろうって、不思議に思うこともある。

でも、そうしたいんだもん。

理屈じゃなく、自分が心からそうしたいって思ってる。だから、何があっても耐えられし、努力できる。
理不尽だ!って思うことがあっても、他人のせいにせず、自分が選んだ道だからと割り切れる。


多分、人は判断だけで生きることは不可能なんじゃないかって思う。
流れに沿って歩んできた道が、たまたま自分にとって心からしっくりくるものだったら、あり得るのかもしれないけど。

でも、人生そう簡単なもんじゃない。親や、社会が用意したものが、自分にそのまま違和感なく受け入れられるなんて、まず起こらない。

だから、決断しなきゃいけない時って、必ず来ると思う。それは年齢は関係ないんじゃないかなぁ。

それまで順風満帆で歩んできたのに、ふとした拍子にすべてが崩れ去ってしまうような経験するタイプの人たちっているんだけど、(僕もそうなんだけど)、それは判断ばかりに身を委ねてしまった結果だと思う。

自分の道は自分で決める。
そして自分で勝ち取らないと、他人が用意した上を歩いてるだけじゃ、いつか痛い目に合う。

それは独立しようが、サラリーマンだろうが、きっと一緒なんじゃないかな。


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