ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

寝太郎さんが仏教について書いてるのを読んで  

寝太郎ブログ「求めるから苦しいのです」のはてな

”「現世的な幸福」「現世的な快」をどうにかしたいと思って仏教に関心を持つ人はいないのであって、あくまで「現世的な不幸」「現世的な不快」をどうにかしたいというのが多くの人の願いである。ところが、仏教の処方箋は「求めるから苦しいのです」としてそもそも快不快というシステムそのものにメスを入れてしまうので、不幸を遠ざけ幸福を招くどころか、何もかも諦めなければならないと(少なくとも表面的には)言っている。仏教でも瞑想でも文字通り理解してゆけば多くの人がつまづくであろう部分である。”

僕らが何かに悩んで哲学やら仏教やらを頼るときっていうのは、嫌なことは少なく嬉しいことがたくさんになるようにと期待してのことだと思う。そこに対して仏教が答えるのは「そもそも求めるから苦しいのです」っていうのはある意味事実だと思う。実際にはお釈迦さまは教えを説く相手に応じて話をしているので普通に悩み相談にのったりしてるエピソードもあるんだけどね。でもそういうのはそのときのその相手にだけ有効な話なので後世に広く伝わる話としてはどうしてもより根本的で本質的な話にならざるを得ない。お釈迦さまは八万四千の法門(さとりへの入り口)を説いたとされてるけど、僕らの世代にまで伝わるような話っていうのはその中のごくごく一部だということ。

なんでそんなたくさんの話をしたかというとお釈迦さまの説法の仕組みってちょっと変わっていて、一つの悩みに対してまずは一つのアドバイスをするんだけど、それが出来る人はそれをやって、出来ない人はこっちのやり方、さらにそれも出来ない人はこっちをどうぞみたいにどんどん選別していく仕組みになってるんだよね。僕の作り話で例えを言うと、お腹が空いて困ってますっていう人がいればまずじゃあ何か食べろという風になるわけだけど、食べ物がなくてそれが出来ないんですという人に対してはじゃあ誰かから食べ物をもらいなさいとなって、それも上手く行かないというのであれば「自分が貰いたいならまず相手に与えなさい」という布施の話になって、それもできないんだけどどうにかしたいんですとなると「そもそも欲望によって苦しめられているんですよー」という風になるみたいな感じ。

お腹が空いてる、という目の前の苦しみに夢中になっている人に対して「欲望があるのが問題だ」とか最初からいきなり言っても伝わらないわけなので、段階を追ってその人が理解できる=求めている答えをするというのがお釈迦さまのやり方なんだよね。で、色んな人が色んなアドバイスをもらったわけだけど、どうもみんなが聞いた話の行き着くところをまとめてみると「快不快というシステムそのものにメスを入れる」ということだったというわけ。まぁほんとはその先にもまだいろいろとあるんだけども。

>>煩悩なんて80歳にもなれば嫌でも自然と消えていくであろうものを、なぜ20や30で消す、あるいは対処しなければならないのか。

これは煩悩について勘違いしてる。その場その場の状況によって起きる欲望とかやらしい気持ちとか怒りとか嫉妬を煩悩って言うのではなくて、僕らという存在そのものが煩悩で出来てるんだよね。その煩悩によって自らの身を焼き尽くして地獄へと落ちていく様子があまりに哀れということでどうにかして悟りをひらいてほしいという気持ちで伝えられたのが仏教。そのへん詳しくはまた気が向いたら。

>>しかし今のところ何を根拠に言っているのかよくわからないことが多すぎるし、もしも仏教の言うことが何かしら間違っていたとしたら、それに従うことは丸々人生を捨てるようなものである。

心情的には言ってることすごく理解できるけど、これはお門違いという感じだなぁ。そもそも仏教は僕らに強制してるわけではなくて、あくまで「困っているので何か助けて欲しい」という人のために説かれた話なんだよね。だから別に助けていらんというのであれば聞く必要はないし、聞いても意味ないと思う。僕も生まれてから20年以上仏教なんてかけらも興味無かったしね。ちゃんと根拠があるなら聞きたいですっていうことについてもちゃんと根拠は言ってはいるんだけど、僕ら人間のレベルだとそれを検証しようがないんだよね。例えば因果の道理によって過去世はあるんですよーとか言われても過去世なんてほんとにあったかどうか確かめようがないし。あとは丸々人生を捨てるって書かれてるけどそれがこの人にとっての仏教観なんだな…と思った。別に一生何かのルールに従うというわけでもないんだけれども。

>>現世的な悩みを抱える人に好都合なように、本来「よいこと」であるはずの欲望の追求や自我の構築を「悪いことだ」「慎むべきことだ」 として、大掛かりな価値の転換をすることによって、信者を抱え込んできた可能性がある、ということである。

これは新興宗教のやり口だよね。僕が最初に仏教を聞きに行った団体もそうだったけども。仏教は聞けば聞くほど僕らの普段の行動とか気にして無くて、ただただ「悟りを開いて極楽に生まれて欲しい」ということでしかないんだけど、多分僕らとしてはそんなことどうでもよくて「あなたは普段こういう行動を取りなさいよ、そうすれば幸せになれますよ」って言って欲しいと思ってるということだよね。僕もニートやってるからよく思う。仏さんが現れてなんか具体的にアドバイスくれねーかなーとかしょっちゅう思う。そういう話を求める人はそういう話に飛びついてツボを買ってしまうんだろな。

欲がどうとか前世がどうとかはほんとはどうでもよくて、あなた死んだらやばいことになるから助けますよーに対してそうなんですねありがとうございます、がお釈迦さまが伝えたかった真意だと僕は感じてる。そのありがとうございますが難しいんだけども。
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