ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

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与えられることと欲しいことと  

今住み込みのバイトを探してて、とりあえず伊豆のリゾートホテルで少なくとも2ヶ月くらい働ける仕事に応募してる。どうなるかわからんけども、今月中にはどっか決めようと思う。これからGW期間で採用は多くなるみたいだから、どっか決まるだろ。

今日は久しぶりに自分がすっきりできる考えが浮かんできたので書いておこうと思う。
人間関係の経済というかギブアンドテイクっていうことについて。

僕は以前から人間関係の立ち回りが下手くそだなとは思っていたし周りからもよく考えすぎとか相手に多くを求めすぎとか凝り固まりすぎとか言われてたんだけど、それがどういうことかようやくわかった気がする。
人間って誰しも与えられるものと欲しいものとその2つを常に持ち続けているんだなって考えられるようになった。仕事で言えば労働力を与える代わりに給料が欲しい、だったり、消費で言えばお金を与えるかわりにサービスが欲しい、みたいな。

これはものやサービスだけじゃなくて精神的な部分についても言えることだと思った。身の回りを世話する代わりに好きでいて欲しいとか、何でも相談乗るから逆にこっちのことも何でも聞いて欲しいとか。例を挙げるとたくさんあるけどとにかく誰しも与えられることと欲しいこととがあるっていうこと。

当たり前…なのかもしれないけど、僕はこれがよくわかっていなかったんだろうな。僕はこれまで相手が求めるものに応えられる自分でいることに関しては一生懸命やってきたけど、その代わり相手が自分に何をくれるとか、自分が本当は何がほしいとかいうことについてほとんど考えてこなかった。とにかく相手が喜んでくれることを頑張ってやってれば、自然と自分にとって良い人生が送れると漠然と考えていた。だからすごく気を遣って相手も喜んでくれたけど自分にとってはただ疲れただけとか全く期待はずれな見返りがくるとかそういうことがたくさんあった。

会社はその典型だったんだなって思う。会社がくれるのは給料だから、僕が一番欲しいと思っている友達とか何でも話せる関係とかそういうことが返ってくる場所ではなかったんだなってことが今になってようやくわかった。僕はお金をあまり使わないから通帳の数字ばかり増えていって、肝心の僕が求める友達とかしょうもないことでも言い合える仲がどんどん薄れていって、最終的に会社を辞めるっていうことでしか解決できなくなった。

言わば人は常に投資と回収をし続ける存在だっていうこと。労働・気遣い・思いやり・お金を使う…そういった投資(与えること)を通じて、自分が求めるいろんなことを回収しようとしている。その投資と回収のサイクルがうまくいかないとパンクして精神的に辛くなってしまうんだと思う。

僕が実家を飛び出したのは、両親との関係で上手く投資と回収が出来なかったからなんだなって思う。両親は僕にきちんとした仕事に就いて安定した生活をしてほしくて、そのためにはいつまででも家に居てもいいしご飯も用意してくれるし家事もやってくれる。けど僕が会社を辞めてからニートやフリーターをしている時というのはそんな風に生きていくつもりなんて全くなかったので、だからずっと親のそういう思いがプレッシャーになってたことにようやく気づいた。

親はずっと投資してくれてるのに、自分はその見返りを提供できないことに対してすごく気持ち悪かったんだろうな。そもそも僕にとってのニートやフリーター生活というのは「安定した生活を送るための準備期間や充電期間」なんかでは決してなくて、僕が悩みに悩んだ結果選び取って決心した一つの生き方であるので、それを充電期間とかいう風に思われるのがまず心外だし、けど結局それがわかってもらえなかった、というか親はそんなことを望んでいないから投資と見返りがいつまでもズレてたんだろうな。

これは僕の中ではこれまでの人間関係のもやもやを一掃するレベルの大発見なんだけど、みんな自然とわかって動いてるというか、そこまで深くも考えず行動できているというか、そういうものなんだろうか。
こうして考えると人間ってみんな見えない看板を立てて個人商店やってるようなもんなんだな。自分はあなたにこんなことを与えることができまs、その代わり自分はこういうことを求めてます。その出たり入ったりする何かがきちんとマッチする相手を選ばないと、どっちかが割を食うことになるっていうこと。

これはドライな見方になるんだろうか…?まぁこの考えでいくと思いもよらぬところで助けてもらったりしたときによくわからなくなったりするのかもしれないけど、でもそれも深く見ていけばきっちり投資と回収ってことになってるんじゃないかな。自分がわからんだけで。
この前「布施」についての記事を書いたけどあれには実は続きがあって、人間には完全な布施ができないという教えがあるんだよね。完全な布施とは「自分が・誰に・何を」与えたのかということをすべて忘れ去って行う布施のことなんだけど、つまりギブのみでテイクするなってことなんだけど、人間が投資と回収をし続ける存在である限り、本当の布施をすることはできないんだなっていうことがよくわかるよね。

けれど僕はこの投資と回収の話をとても前向きに捉えていて、自分が欲しいものを与えてくれる看板を掲げている人のところにいって、その人が欲しいものを何でも与えればいいやって考えられるようになった。自分の力で無理なことだったらその時は他の人に助けを求めて、その助けてくれた相手が欲しいものを与えられるようになればいい。

元気に生きている人はこの投資と回収がすごく上手くて、心によどみが生まれないように常に周りに与え続けてるんだろうな。あぁあああまじでこれがわからんかったがために10年はしんどい思いした気がする。ほんと僕は投資が下手くそだよ。そもそも自分が何を求めてるか良くわかってなかったからしょうがないけども。こういうことって誰も教えてくれないんだよな。人生を要領よく生きている人とかいうのは自然とこういうことを判断していて、割り切りというか?上手くやってるよね。

僕はニートやフリーターでいる頃にそれをわかってくれる人があまりにも居なかったので、そういう立場が肯定される居場所をやっぱり作りたいなと思ってる。その居場所を作る代わりに僕が欲しいのは何かというと、一緒にゲームしたり公園で遊んだりしょうもないことを話したりっていうことなので、だから何話しかけてもずーーーっと黙って会話をしてくれない人だとさすがに一緒にいるのはきついのかもしれん…。やっぱり僕も聖人君子ではなくて、投資したからには何かを回収する存在なんだな。
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コメント

 投資というのは基本的には「自分が出した分より、より多く手に入れられる」との算段があって初めて行われる、という点も結構大事なのかなーと思いました。

URL |  #-
2015/04/25 03:02 | edit

Re: タイトルなし

そうですね。自分の中でのトータルはそれで増えてるってことなんでしょうね。量的にもそうだと思いますが、自分じゃ生み出せないものを交換してもらえるってのがでかい気がしますね。

URL | ゆとりさとる #-
2015/04/25 19:28 | edit

たまたま運が悪かっただけじゃないの?友人や友達できる仕事もあるよ。みんなで旅行したり食事や娯楽楽しんだり何でも言い合えたり。結局はどこで何をしていても相手は人間だから噛み合う人もいれば噛み合わない人もいるってわけ。そんな職場の人間なんて中に入らないとわからないから運や縁や巡り合わせ以外ないよ

URL | 匿名さん #-
2015/04/26 11:09 | edit

同じようなことを日本で一番有名なニートphaさんが行ってます。
全国各地でギークハウスというしがらみもなく集えるシェアハウスのようなものを作ってる人です。phaさんはさとるさんの大学のOBで同じような思想や経験をされています。phaさんが書いた「ニートの歩き方」という本を呼んでみると共感する部分も多いと思います。拙い文章でごめんなさい。

URL | Jpan #-
2015/04/27 09:32 | edit

Re: タイトルなし

>Jpanさん
ギークハウスは技術オタクのためのシェアハウスというコンセプトであくまで居住スペースとしての利用が主ですね。会社辞めたい人が気軽に集まって話したり遊んだりという居場所的なものとはかなり異なります。実際、僕も過去にphaさんにコンタクト取って会おうとしたことあるんですけど、だるかったせいか断られました笑
思想はとても共感できますが、僕はそれを周りの人達とも共有したいんですよねー。だから居住スペースでなく集まる場所なんです。
あとちなみにニートの歩き方のあとがき部分にあるスペシャルサンクス的な…協力者一覧?だっけ。あそこにはゆとりさとるの名前があるのでぜひ探してみてください。

URL | ゆとりさとる #-
2015/04/27 10:52 | edit

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