ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

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あんまり知られてない本当は素晴らしい布施の意味  

今回の旅で出会った方の中で何名か、仏教における布施の話をする機会があった。せっかくなのでここにまとめて書いておこうと思う。

布施というとお坊さんが鉢持ちながらお経唱えてるのに献金するとか、神社や寺でお賽銭をするみたいな、あるいは葬儀とかでお経唱えてもらうお礼としてってイメージが強いと思うけど、本当の布施はそんなスケールの小さいものじゃない。読めばきっと布施の素晴らしさが分かってもらえるはず!
そもそも布施とは仏になるための六つの修行の一つで、お釈迦さまも前世ではこの布施行(ふせぎょう)を頑張ってたとか。

意味としては「相手に与える」これにつきる。お金でもいいし物でもいいし労働でもいい。とにかく相手のことを思って、自分の目先の利益に囚われず与えること。これが本来の布施の意味なんだよね。

これは日常にも溢れていることで、例えばちょっとした気遣いとか笑顔、相手が喜ぶ話をするとか挨拶一つとってもこれは立派な布施といえる。相手の為を思って自分の方から与える。こういう行為はすべて布施ってことね。

じゃ一体この布施をする意味とは何なのかというと。
仏教はこの世の真理として「因果の道理」っていうものを説いていて、これは原因無くして結果なし、逆に言えば何か結果があるところには必ず原因があるっていう話なわけだけど。

つまり僕らが運とか偶然とか言ってることも仏さんから見るとそうなって当たり前っていうわけ。僕らはそこまで物事を深く知る能力が無いから、わからなくてしょうがないんだけどね。

で、この因果の道理によると全ての幸福の原因はその人自身が持つ功徳によってもたらされるので、その人がどれだけ徳を積んでいるかがその人の将来の幸、不幸を決めるっていうわけね。

そしてこれは誰も代わってあげることはできない。周りからすごく愛されたり、宝くじが当たって自由に生きたり、仲間をたくさん味方につけて自分の思い通りに生きていくような人がいるけど、それはその人がこれまでに積んできた功徳によるものだっていうこと。決して天から降ってきたわけじゃーないですよと。

なので、幸せになりたいならそれに見合った功徳を積めっていうことね。そしてその功徳を積むためにやるのが、さっき言った仏になるための六つの修行になるわけ。

布施は「相手に与える」こと。これは一見すると与えた方が損をして、貰ったほうが得をしているように見えるけれど、本当はそうじゃない。
与えた方はそこで徳を積んだので、将来必ずその結果が返ってくるという大きな利益を得ているというわけよ。

貰った方はそれまで積んできた功徳によってそういう結果を得てるわけで、でもそれは徳を積む行為にはならない。ただ貰ったというだけ。僕らは何でも与えられている人を見ると羨ましく思うけど、本当はそうじゃないのかもしれないね。

お釈迦さまの伝道エピソードにこんなのがある。ある日、食料をお布施してもらうために村を探していたんだけど、道が二つにわかれてそれぞれ別の村に通じていた。
そこでお釈迦さまはひとつの道を選んだんだけど、その時に弟子が「そっちは貧しい者がくらす村だから、食料なんて貰えないですよ」ということを言ったわけ。そしたらお釈迦さまは「そのものたちが貧しいのは、これまで人にものを施してこなかったからだ。だから私が行ってものを施させるのだ」って返したらしい。

お釈迦さまはそんな貧乏人から貰うものなんてどーでもいいしぶっちゃけいらんわけよ。元は一国の王子だしね。けど、相手に何か物を与えるという行為をさせることで、結果として将来必ず幸せになれる功徳を積まそうとしたわけ。

このねー!!相手に功徳を積ませたいっていうのが仏の考え方なわけよ!!僕らは自分が幸せになることに必死でそんなこと頭にないけど、仏さんは違うんだなーー!!まぁ彼らはもう悟ってるから自分のことはどうでもいいからね。

なんだっけ。そう、つまり布施というのは相手に与えることで自分の中に決して崩れない功徳を積むという利益を得る行為なわけよ。一時的にはそりゃ損するよ。でも自分がやった行為は必ず自分にまた戻ってくる。だからこそ、今の自分を切り捨てていくことがかえって将来の自分のためになるわけ。

ほんでさっきは貰う側の方は徳を積んでるわけじゃないって書いたけど、これも実は心次第なんだな。もう全ては心なのよ。
どういう事かというと、例えば相手から物を貰ったときにどんな反応を取るかっていうこと。ぶっすーーーって顔をしながらやってもらって当たり前、むしろもっと施せよという態度を取るなら、これは全く功徳なんかない。ニコニコ笑顔でわぁーありがとうー!大切に使うよー!って反応をとって相手が「あぁこの人にプレゼントして良かったなぁ」って思ってもらうことができたなら、それも立派な布施なわけよ!!だって贈り物をくれた相手を喜ばすことができたわけだからね。

もしそんな関係が築けたなら、それはお互いに徳を積んだってことになる。なんて素晴らしいんだ。こういう話を知ってればカネ払ってんだから言う事聞け!みたいな消費者もいなくなるだろうに。

けどね!!この貰う方の態度ってのがめちゃくちゃ難しいわけよ。だって例えばぜんっぜん要らないもの貰って全力で喜べる?っていう。十二分に喜んであげたほうが徳をつめるからそっちの方がいいんだけど、僕らは目先の事しか頭にないから「え、これ要らねー…」って一瞬でも思うとあとは嘘で演技するしか無くなる。

たとえ嘘でもそれが相手の為を思ってのことならそれは徳にはなるわけだけど、そういうのが続くと気持ち良くはない。
でもそれがですね!!仏さんはどんなしょぼい贈り物でも心から全力で喜んであげられるだけの「徳、器の大きさ」を備えてるわけ!!

阿弥陀仏が念仏一つで救うっていうのはそういう意味なんだよな。僕らが南無阿弥陀仏とか言ったところでただの口の運動で周りからしたら気味が悪いだけだけど、そんな念仏を喜んで喜んで大絶賛して、あまりの嬉しさに僕らが修行しなくても仏になれるほどの功徳を積ませてくれるっていうわけ。すげえよ。人間を超越している。

というわけでですなー。出来ることならば!!皆さん何でも喜んで周りの人に与えよう。そして与えてもらった時は喜んで、大切に使ってあげよう。それが本当の意味で自分を大切にするってことになるわけですね。最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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category: 未分類

コメント

お久しぶりです。

はじまりのブッダ
初期仏教入門
平野純著
河出書房新社
この本を読まれることをおすすめします。

URL | ぼんくら #xOR7sokg
2015/04/19 16:40 | edit

Re: お久しぶりです。

ご紹介ありがとうございます。
これはお経の解釈本で、しかも初期仏教についてですね。解釈本は解釈した人の思想がかなり交じる(言葉から受ける印象が訳者によって違うので)のと、初期仏教は釈迦が当時の人々にわかりやすく伝えるための土台作りの一面があって、当時の文化や階級思想やバラモン思想の表現がかなり使われているので、釈迦の本意ではないとされていますね。釈迦が最も伝えたかったことはお経でいうところの「大無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の三部と言われています。僕はその原典の日本語訳を読みましたが、これが最も言いたいことだとお経の中にはっきり書いてありました。
まぁ何が正しいとか間違ってるとか言い始めるとキリが無いですが、もし関心をお持ちならお経の原典を読まれることをおすすめします。

URL | ゆとりさとる #-
2015/04/19 18:59 | edit

(^^

解釈本とは違うのですが…長くなるので省きますがまだ読まれてないのならゆとりさんが今まで知らなかったことも書かれていると思いますよ。原典といっても釈迦が直に書いたものではありませんし全部口伝なので聞いた人の主観や解釈の仕方で釈迦がが本当に伝えたかった事がどうか。とにかく色々な本を読まれることをおすすめします。ゆとりさんはまだまだ若い。まだまだ成長途上ですからね(^^)

URL | ぼんくら #-
2015/04/19 20:37 | edit

Re: (^^

おっとそうでしたか。しかし今のところ仏教について学問的に知りたいところは無いですかね…。大切なのは心であり、僕は信心獲得を通じて仏の心のごくごく一端に触れることができました。それは今の僕の大きな支えになっていますね…。
あと応援ありがとうございます!けど発展は年齢関係ないですよ!僕もぼんくらさんのこれからの発展をささやかながら応援しています!!

URL | ゆとりさとる #-
2015/04/20 05:02 | edit

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