ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

足し算よさらば  





今日、京都に出かけた帰りに、自動販売機で↑の商品を見かけたんだよね。

僕はどちらかというとコーヒーより紅茶派で、自分でおいしく入れれるようになりたいなぁとか、お茶の知識を持ってるってなんか高級感あるなとか思ってるんだけどさ。
まぁそれはどうでもいいとして、この商品ですよ。

なんかすっっっごい違和感を感じる。この商品に限った話ではないんだけどね。


何かっていうと、この商品の売りって、茶葉の使用量が当社比2倍ですとか、どこそこ産の生クリームを使ってますとかっていうところなのね。

で、飲んでみると確かにすごくミルク感が濃厚だし、紅茶の香りもすんごいするのさ。

けどさ、なんかおかしくない?

そもそも本場のおいしい紅茶って、生クリームとか使ってんのかな…?それに茶葉の使用量がどうのこうのっていうのも、妙じゃね?僕も詳しくは知らないけど、お湯の量に対してそれなりに適切な茶葉の量があるように思う。

味にしても、濃厚なんだけど、いや紅茶って濃厚さを求めるものなのか?っていう疑問がやまない。
本当においしい紅茶って僕も一度だけ飲ませてもらったことがあるんだけれど、そこまで濃厚さとか香りのきつさとかはない。むしろ上品で、流れるような感じ。後を引くっていうのかな。

だから、味がどうのとかってのもそうなんだけど、すごく魅力的なんだよね。心が惹きつけられる。

そういう経験と照らし合わせると、なんだかこの商品がよくわからない。けど、確かに濃厚な味ってインパクトがあるから、おいしいのはおいしいんだよね。一口飲んだだけなら。二口目からはもうその味がわかってるから、なんか飽きる。後を引くって感じではないよね。

で、これだけなら「ごちゃごちゃうるせえな美味しんぼでも読んどけ」ってなる。
別に僕は味について物申したいわけではなくて、そもそもなんでこういう商品ができたのか?ってところなんだよね。

この商品の発想って、いわば足し算なんだよな。いいと思われているものがあって、ならそこにどんどん価値を積み重ねていったら、さらにいいものが出来上がるに違いないっていう。茶葉2倍だから紅茶の味が2倍するんです、だから2倍おいしんですっていう。

こういう発想って、今や当然というか、正直この商品に限らずどんな場面でも見かける。今ならあれやこれやも付いてきます、だからお得なんです、とか。

けど足し算で勝負していくなら、さらに足された存在が出てきたときに、どうするんだろう。この茶葉2倍の紅茶は、茶葉3倍の紅茶が出てきたとき、どんな評価がされるんだろう。

あるいは、仕事が人の倍できるって言われてて、すごく評価されてる人がいたとして、ひょっこり仕事が3倍できる人が現れた時、その人自身のプライドや存在価値ってどうなるんだろう。


なんかさ、そろそろ不毛なんだよね。足し算で物事の価値を考えるのって。

そんな一元的な見方で、自分の価値を作り上げたり、あるいは他人を評価するのって、すごく虚しい。


じゃあ、引けばいいのか?っていうと、そういう話でもないんだよね。足すとか引くとか、そのレベル感から離れた、いわば質的に全く異なる次元で話を進めないといけないんじゃないかなぁ。


僕が一度飲んだおいしい紅茶は、濃厚さも香りの強さもミルク感も、この茶葉2倍の商品に負けてると思う。けど、すごく魅力的だったし、僕は飲んでて幸せになれた。


いわば工夫みたいなものなのかなぁ。単に数や量で勝ってる負けてるって話でなしに。




…と、偉そうに言ってるんだけど、僕はこの紅茶をたったの100円で飲めることにまたえらく感動してしまったし、やっぱり日本の企業はすごいって思ってる。

どう考えても、100円でこれだけの飲み物用意しろって言われても、無理だ。茶葉やらクリームやら砂糖やらを調達して、良い感じに配合させて、その苦労を考えると、この商品ってやっぱりすごいんだよね。ありがたいっていうことなのかな。社会で生きてる恵みを感じる。

まぁ、そんないろいろな感情が湧いてきた商品でした。

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category: 社会

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