ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

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経済が回るとかいうことについて  

ぼけーっとのんびり寝てる人がいたとして、ある人がいきなりその人に殴りかかったとする。「いってーな何するんだこのやろう!」と怒って立ち上がると、「あいつホント憎たらしいですよね。このナイフで復讐してやりましょう!」と言って刃物を売る人が現れ、「怪我をしてかわいそうに。この薬で治してください」といって薬を売る人が現れる。殴られた人は言われるがままにそれらを買って、準備万端で殴ってきた人に復讐しようとする。

最初に殴ったやつが何もしなければ何もなく終わってたわけだけど、それだと薬屋も刃物屋も儲からない。でも彼らはどうにかして儲けたいので、そのきっかけを作ってくれる人と協力して一芝居売ったというわけ。

さっき散歩してながら考えてた経済のしくみ。多分人間って何もなければ何もないでそれなりに過ごせると思うんだ。けどみんなにそうされると不都合だと感じる人たちがいて、こうやって煽って焚き付けることで「行動を起こすきっかけ」を作ることで経済を回そうとしてるんだと思う。

この殴るってのが、今でいうところのTVやメディアによる広告であったり、世間の常識・普通の生き方というやつであったり、親の教育であったりというわけ。

例えばTVでめっちゃくちゃ美味しそうなラーメンを食べてる人が映っている。もうほんとに美味しそうなわけ。今は夜だから無理だけど、明日になったら絶対行きたい!!って思うくらいの演出なわけ。で、実際に行ったとする。当然お金がかかるけど、期待通り、いやそれ以上に美味しいので満足する。次の日、昨日のことを思い出してまた行きたいと思うようになる。食費がかさむけどまぁいっかと思って、そしてそれ以降毎日のようにそこで食べずにはいられなくなった…。
みたいな。こうなると食費やら健康やらいろんなものが失われていくわけだけど、当人はそれも仕方ないしむしろそれこそが幸せだ!とか思って働いて人生を捧げて食費を稼ぐようになっていく。そうすると今度は会社での人間関係やら何やら面倒なことが発生してくる。そしてなんで自分はこんな不幸なんだ人生苦しいとか言い出すようになる。

もうね。いろいろ見てて「ほんっっとにそれ必要か??」って思うことばっかりだなって感じる。やたらと美味しそうな料理だとか格好いい男やら美人やら、生まれながらの天才だとか年収何千万だとか、まぁ確かにすごいしそれに溺れてる間は心地いいのかもしれないけど、でも冷静に考えると別にどうでもよくねっていうことが多すぎる。そうやってお互いにお互いを刺激しあって、行動するきっかけを作りあって、殴っては治療してを繰り返してる。

不毛な殴り合いをよくもまぁ飽きずにやってるなーって思うけど、本人たちからするとそれこそがまさに生きがいであり人生の輝きみたいな感じになってる。僕もそりゃそういう気持ちが全くないわけじゃないけども。でもなんつーか、そればっかりやってて疲れてこないのかな。

僕みたいに少しだけ働いて少しだけ消費する人間ってのは、まぁ経済の敵というかなんというか、煮ても焼いても食えないやつみたいな立ち位置になってるんだと思う。どんな人が現れても羨ましいとか思わんだろうなって自分でも思うし、一瞬いいなって思ったとしても一晩寝て起きたらもうかなりどうでもよくなっている。

幸せになりたいと真剣に思ってどうすればいいかを考えれば考えるほど、こういう思考になっていく気がする。というかなっていった。もちろん消費することを全く0にはできないけれど、普段の自分を一歩引いて見つめてみることぐらいはできる。あるものを得るまでに自分が費やす労力に本当に見合うものなんて実は無いんじゃないかな。

でもそうするとじゃあ何すんのさって言われる。何のために人生過ごすのかと。
そこで仏教となるわけですよ!!!!仏教にはそんな繰り返しから抜け出す方法が書いてるわけですよ!!!!
けどまぁああああれですわ!!!殴られては殴り返しをやり続けてるor実はこれからやってやりたいと心の中で企んでいる人にはこれが伝わらないんだなぁあ。当たり前だけど求めてるものが違うもん。

はぁーあ……。みんな早くいろんなことに飽きないかなぁ……。大切そうに見えるかもだけど、でもそれ本質的にはどっちでもいいじゃん…。生まれたあとで植え付けられた価値観じゃないですかねぇそれ??そんなことない??そうかなぁ…。
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category: 未分類

コメント

 さとるさん初めまして
 前々からこのブログを覗かせていただいたのですが
今回初めてコメントさせていただきます
 自分はさとるさんと年齢が近く勝手に親近感を抱いていたりしました。大学卒業後入った会社をすぐに辞め、その後入った会社をまた辞め、どうしようかと思っているときにネット上で「生きる意味を見つけた」旨の書き込みを発見し、その方とメル友になりました。なんとなく判るかもしれないのですが、その方は親鸞上人の団体関係者でした。なぜ生きるを読み、(1は面白かったけど…)一度だけ講話を聴きに行き、みんなでバーベキューしましょうってなったところで逃げだしました。(今思えば食うだけ食ってこればよかった)
 その方もさとるさんと同じように幸せになるには(ニュアンスが微妙に違うかも)聴聞し続けるしかないとおっしゃっていました。それだけの辛抱ができるとも思えず、それきりメールのやり取りもやめてしまいました。団体は正直自分には怪しくも思えたのですが、その方は聡明そうな方でしたし、さとるさんがまさにその聴聞で救われたというのなら、嘘は言っていなかったのだろうなと思います。
 
 私もそういう世代なのか判りませんが欲しいものはそんなにありません。プア充は酸っぱいブドウの理屈だと言われることもありますが、まあどうでもいいですね。
欲しいものがないからお金もそんなにいらない。そもそもお金を得るためにしんどい思いをしなければいけないのなら、お金はいらない、だから働かない。自分は単純に働いてひどい目に合うのが嫌なだけかもしれませんが。
 とかいいながらなんだかんだまた働いています。この社会欲しいものがそんなになくてもいろいろな理由でお金を持っていかれますね。健康保険、もらえるのが怪しい年金、住民税、車を持ってればもっと。これをすべて払って食費やら生活費やらもなんとかしようとすると、何らかの後ろ盾のない人はもう働かざるを得ない。結婚し子供を育てようとするなら、もっとかかるのでしょう。
 私たちはお金を稼いでそのお金を使うという社会の仕組みの中で生まれ育ってきて、今現在存在しているわけで、そこから抜け出そうとするのはとても難しいなと思います。もろもろの生活費を払っていくためには普通の人は会社に属さざるを得ず、自分の意向はどうあれ基本的に自社の製品を売らなければならないわけで、俺は別にこんなのいらないけど、生活できるだけの給料しかいらないけど、と思っていても経済を回す片棒を担いでいるわけです(言い方が変かもしれないけれど)。皆が皆、社会の歯車になっていて良い言い方をすればお金を介して相互に助け合っているんですよね。この社会のことはあんまり好きではないんですが、でもまあ今以上になんだかんだ色々なことができて、皆なんだかんだ飢えず生きていける社会ってどんななのかな、と考えると思いつかなかったりします。
 なんか社会のいろいろなことに対してそれは納得いかない、だから嫌だ。と反発して生きていくよりも、社会の求める型に自分を合わせて上手くやっていった方が楽で楽しく生きていけるんじゃないかと最近思ったりするようになってきました。
 
 さとるさんの思う理想の社会ってどんな形をしていますか。皆が仏教に目覚め、真に救われた時、世界はどうなるのでしょうか。
 物を売って、物を買う。社会を維持するために疑問を抱きながらも過剰に働く。こんな事はなくなりますか。
 
 長文乱筆失礼しました
 

URL | なる #-
2015/03/09 21:01 | edit

僕自身最近仕事が辛すぎて、この記事に共感致しました。

今技術開発の仕事に従事していますが、
他社に負けるな、お客様に良いものを
のキャッチフレーズの元、皆神経をすり減ら
しており、メンタルを壊す人もいます。

面白いと思うのは、お客様に良いものをと
思って追加した機能が不具合を起こして、
良かれと思ってたやった事が逆に叩かれる。

もうこんなチキンレースからリタイアしたいと
何度も思ってるのですが、レースの参加者
が多すぎて、今のところリタイアする勇気が
ありませんw

やっぱアウトローになるのって
勇気がいりますね。

URL | スキーキャプテン #-
2015/03/09 23:17 | edit

みんな働きすぎ、消費し過ぎだなあ、とは思うんですが
今の自分の楽しみとか趣味を考えると、社会インフラとか人の労働の成果とかにタダ乗りや依存してる部分がかなりあるので、なんとも言いがたいんですよね…

家で安心してお昼寝できるのは両親がローン組んで建てた実家があるから
散歩してて気持ちいいのは自治体が税金を使って整備した道があるから
安価でネットし放題なのは、回線業者さんやプロバイダさんが昼夜を問わず保守点検してくれているから…といった感じで

そういう意味では、自分の生き方も大量消費社会と切っても切れないのかな、と思ってしまいます。

URL | アカメ #-
2015/03/09 23:56 | edit

>なるさん
親鸞会ですか~、僕も一時期聞きに行ってました。全国で何千人と信者がいるようですが、そこで救われたという人は少なくとも僕の知る限り居ませんでした。あと聴き続けているとあれをやったほうがいい、これをやったほうがいいとか色々言われるので、なんか違和感があって僕は関わるのをやめました。
けど仏教で言われていることそのものが変だとは思わなかったので、その後も別の所をいろいろ調べたり聞きに行ったりして、とうとう救いとはなにかを体験することができました。

理想の社会と言われれば、それはもう全員がお互いの気持ちを察して協力しあえる社会なんじゃないでしょうかね。けど実際は他人の気持ちがわからないので、だったら騙したり利用されたりっていう弱肉強食の面が消えないわけです。なので、他人の痛みが分かる人ほど損をする役割にどうしてもなってしまいますね。

みんなが仏教に目覚めた時にどうなるかってことですが、それは今とあんまり変わらないんじゃないでしょうか。同じ仏教という旗の下である種の団結感は出るかもしれませんが、個々人の欲求や業(避けられない因縁)が消えるわけではないので、争いや衝突は残るんでしょうね。
仏教が目指すのはそんな悪に満ちたこの世界からの解脱なので、この世を謳歌したい人には一番無縁なものかもしれません。

あとお金とか働くとかに関してですが、これは手段としては非常に優秀です。ただ、それをする人間の側が未熟なので妙な圧迫感や理不尽が生まれているということだと思います。本来働くっていうのはとても気持ちがよく、素晴らしいことじゃないでしょうかね。

>スキーキャプテンさん
今の会社や経済の感じだと何のためにこれやってるんだろうっていうことの連続ですよね。ただ、それをやる以外にどうしたらいいかほとんどの人が知らないしやったことがないので、とりあえずこの状況が続いているんですよね。
富裕層は労働層のそんな弱みにつけこんで搾取をしているわけですが、もうこれは人間の必然なんでしょうねぇ。

>アカメさん
本来、仕事って素晴らしいものですよね。困っていることがあって、それを解決することで多くの人に笑顔をもたらす。僕なんか生まれた時から水も電気も道路も家も服も食事も全部あったわけですから、冷静に考えるとありえない恩恵を受けています。
ただ、今はその本来の目的からずれてしまっていると思うわけです。奪い合いや煽り合いの競争に勝ち残る人が成功者ということになってますからね。まぁある意味余裕があるというか、衣食住がどうとかいうレベルを脱したとも言えますけどね。

URL | ゆとりさとる #-
2015/03/10 13:48 | edit

ゆとりさとるさんは「どっちでもいいじゃん」と書いておられますが、
どっちでもいいのではなくて「嫌」、特に「なんでこの私が」わざわざこんなことをしなければならないの?と感じているように思いました。
別に批判とかではないのですが、そういった好き嫌いを判断する自己意識こそ「生まれたあとで植え付けられた」ものの最たるものではないのかなぁと、そんなことを思いました。
そんな自分の好き嫌いの心から自由になれたら、ゆとりさとるさんも私もどんなにいいだろうと思いました。

URL | tani #-
2015/03/12 11:05 | edit

Re: タイトルなし

>taniさん
確かに僕は記事に書いたような行為はくだらないなって思ってますね。
これ書いてから思ったんですが、僕が言いたいのは自分の価値観なんてどんどん変わるしあてにならないので、もっと本質を見ていこうよっていうことなんですね。
くだらないとか大切とか、そんなの人によっても状況によっても変わることです。今の僕にとっては今の経済の回り方はしょうもないものですが、状況が変わればそれも変わります。で、そんな自分を見つめると自分の考え方や感情なんて頼りにならないなって思うわけです。
今回は経済というテーマをきっかけに書きましたが、言いたいのはなぜ自分は生きるか、生きている間に何をするべきなのか…ということです。その答えとして僕は仏教を強く勧めます、ということですね。

URL | ゆとりさとる #-
2015/03/12 18:06 | edit

「自分の考え方や感情なんて頼りにならない」「自分の価値観なんてどんどん変わるしあてにならない」と口で言うのは簡単ですが、その頼りになどならないとうそぶいているはずの自分の感情(例えば、今の社会の仕組みの中で「積極的」に、「ヤリガイ」を持って働くことなど胸糞悪い御為倒しでしかない、など)に今正に、現実に、ゆとりさとるさんも私もどうしようもなく影響を受け、拘束されているのが私たちの現実の姿だと思います。

環境に拘束されているのではなく、自分の感情、心に拘束されている。

でも、それでいいし、それ以外に生きようなんてないんだろうなって感じてます。

現実は私たちのちっぽけな頭など比べものにならないほど圧倒的に強力ですから、なるようにして頂くことになるんでしょう。私たちは(感謝できるかどうかは分りませんが)それを受け入れるしかない、そう思っています。

揃いも揃って皆くだらないことやってるよなぁ、どうしてなんだろう?と思いつつ、そのくだらない人たちの寄りあつまった娑婆の中で生きていかねばならぬこの身の悲しさです。しかしそのお陰でお念仏に出会うことが出来た訳で、この一事でもって生れてきてよかったと思っています。

URL | tani #-
2015/03/12 20:00 | edit

Re: タイトルなし

>taniさん
そうですよね。自分の本質を変えることなんてできないです。変われるならもっと早く変わってるんでしょう。僕らにできるのは「自分がそういう存在である」ということを認識することだけです。
認識だけでは本質は何も変わってないですが、そんな自分を救わずにおかないという阿弥陀仏の声に出会うことはできるわけですね。念仏に出会えた喜びは、他のすべてを引き換えにしても余りある喜びです。本当に、生まれてきてよかったです。

URL | ゆとりさとる #-
2015/03/13 10:06 | edit

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