ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

最近の生活観  

今回は仏教じゃなくて個人的な生活の考え方について。

これまで同じ内容はずっと書いてきたし、実践しすぎて個人的には当たり前なんだけれど、僕は本当にお金を使わない生活をしていると思う。

実家に住んで生活に必要なものは家族とシェアして、自分が使うのはせいぜいコンビニでお菓子買ったり飲み物買ったりするくらいになってる。あとはスマホ代かな。スマホはイオンの月額1400円くらいのやつで済ませてます。通信制限があるけど家の中でWifiにすれば関係なし。

なので月の生活費は1万円ちょっとくらいかな。暇つぶし兼さんぽ兼お小遣い稼ぎのアルバイトで月に5,6万は収入があるので、貯金も貯まっている。あと両親に食費を渡すのが月に1万円くらいだろうか。

そんな貧相な生活信じられないって普通なら思われるんだろうけど、全く不自由してない上に今の生活の方がむしろ豊かだなって感じる。一回で何千円もかかる飲み会だの、価値のないブランド品だのプレゼントだの、お金を使う機会が増えれば増えるほど面倒事が付きまとってくるので、僕にとっては収入を増やすメリットがない。

本当の本当に自分が使いたいお金って、すごく少ないと思う。周りと比べてどうじゃなくて、自分の心が求めるものだけを求めれば、結局のところ少しの衣食住にプラス暇つぶしのためのお金で済むはずなんだよね。

僕の暇つぶしはネットだけど、これはもう人類史上最高の発明だと思う。一日100円の通信費でいつでもどこにでもアクセスできて、その情報の多様性と新たな出会いは計り知ることができない。PCとスマホを触っていれば出かける暇なんてない。

けど、これは一人で居ることにある程度の耐性を持ってる人にしかできないとも思う。誰かと話していないと不安とか、みんなと一緒じゃないと寂しいとか、そういう「周りと比べてどうか」の生き方をしている人には難しいんだろうな。

お金でもなんでも、根本は「本当に自分が必要なものは何か」っていうことなんだと思う。

物が欲しくなるのって、それを持ってる人やコミュニティに触れるからなんだよね。そしてそれを見て「羨ましい」っていう状態になる。それに引きずられて自分も欲しくなって、そのためにお金が必要になってやりたくない仕事を我慢するようになる。

物だけじゃなくて知名度でも人格でもなんでもいいけど、とにかく他人と自分を比べざるをえない状況に近づいたらダメだよねっていうこと。何かが羨ましいって思ったら、その自分を一度疑った方がいい。ほんとにそれ必要か?周りと比べてないか?って。

そういう判別作業であれもこれも要らないってやってると僕のようなライフスタイルになるのかなと思います。比べることがないので心が安定してオススメです。
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コメント

自分も同じような感じです。安月給ですが、家族と同居で、大して消費もしないので、十分です。
一人暮らしだとこうは行きませんが…

何でしょうね、もっと、こう、シンプルな生活でよいというか。
そりゃ多少、働かなくちゃいけないんでしょうが、それはもうホントにちょっとで十分で。

今選挙なんてやってますが、どの政党も、立場はどうあれ、景気対策やら経済成長やらに躍起なのを見て、なんだか不思議に思ってしまいます。
多少の不便があっても、心がいつも自由であること、の方がよっぽど大切だと思うんですけどね。

URL | おさかな #-
2014/12/07 23:26 | edit

自分もそういう生活憧れます。
まぁ私は地方から関東に出てきて、一人暮らししているので現状無理ではありますが・・・親元を離れて一人暮らしするメリットはなんだろうなぁって思います。

一つ質問なのですが、さとるさんのご家族がいなくなった時に、さとるさんが思うベストな生活とはどういったものなのでしょうか。おそらく、食費一万だけでは限界がくると思うのですが。その時が来たら世の中のサラリーマンのように働くつもりですか。

自分は関東に出ての一人暮らしにメリットを感じれず、実家にもどることも考えているのですが、家族や今後のことを考えると、実家に頼るのもなぁとも思います。
それとも積極的に頼ってしまっていいのでしょうか

質問ばかりすいません

URL | N #-
2014/12/08 13:53 | edit

>物が欲しくなるのって、それを持ってる人やコミュニティに触れるからなんだよね
あー、確かに自分もそういうところありますね。
子供の頃は特にそうだったなぁと思います。カードとかゲームとか・・・
大人になると、そこに社会的体裁や自己保身も加わるから
(いや、子供も一緒か・・・)
「求める理由」も複雑になるけど根っこの部分は同じですね。
「人と比べる生活」って保育園・幼稚園、
早くても弟妹が産まれた時から始まります。
こういう環境に早くから身を置くことで、もちろん、得られるものも
数多くはありますが、それと同じすらい、若しくはそれ以上に
しがらみを抱えてしまうことにもなるんですね。

まぁ、それとは別にいずれ来るであろう親の介護のことを考えると
どうしてもお金の確保に気がいってしまいます。
国の福祉だけじゃ絶対立ちいかなくなるだろうし。
ここさえクリアできたら、もっと自由にライフスタイルを
選べるのになぁと思います。あ~行政の補助だけで賄えたらいいのに~

URL | はまち #pt67g6gE
2014/12/08 22:44 | edit

おさかなさん
「多少の不便があっても、心がいつも自由であること、の方がよっぽど大切だと思うんですけどね。」
これを本当に理解しあって、そのための行動が取れる人がとても少ないんだと思います。目の前で起きていることに振り回されて、その対処のためにみんなあくせくしてますから。
もちろん僕もいろんなことが起きますが、その度にそこから離れるように意識しています。得られるものはないですが失うこともなく、心は安定します。

Nさん
家族がいなくなったときのお金ということで言うと、まず家と土地があって、あと生命保険なんかもあると思います(確認してないですが)
なのですぐさま今の生活がどうこうっていうことは無いでしょうね。もちろん一人で生きていけるように最大限の工夫はします。大体が不必要なものばかりなので、ほとんど消費せずにやっていけると思いますよ。
家族に頼るということについてですが、僕の場合は両親が僕に実家にいて欲しいと思っているようなので、共同生活も今のところ問題はないです。

はまちさん
親の介護は、まず必要になるかどうかわからないのと、必要になったとしてもそのときの自分が出来ることしか出来ないので今から悩むこともないと思います。ただ、僕の場合は親が困っても何もしてあげられないよって普段から言ってます。親も何かしてもらおうっていうつもりは無いと一応言ってくれてますね。

URL | ゆとりさとる #-
2014/12/08 23:46 | edit

前の記事で、幸せになるためにはどうすればよいか?というようなことを書いておられましたが、

無駄を省いて、人付き合いを減らして、心を平穏に保って、合理的に好きなことをしながら生きていれば、幸せになれるとお考えですか?わたしは全く逆の運命が待っていると思います。

なぜなら、ひたすら現実から逃げているからです。自由で革新的な生き方を模索 しているようでも、私には単なる逃げにしか見えません。

会社に就職することだけが現実的な生き方だとは言いませんが、この先たった数万円の収入でどうやって生きていくつもりですか?年金や医療費、その他税金を払って終わりです。

URL | 通りすがり #-
2014/12/11 01:13 | edit

Re: タイトルなし

通りすがりさん
今回の記事は僕の個人的な生活観なので、仏教とは関係ないですよ。ほんとに崩れない幸せを求めるなら仏教だけど、生活どうこうは人それぞれです。
現実から逃げているという言葉をよく使われますが、僕にとっての現実と通りすがりさんにとっての現実は違いますから、そこを論じてもあまり意味はないです。どうやって生きていくって言われてもその場その場でなんとかしていくとしか言いようがなくて、そんな行き当たりばったりな生き方をわざわざ僕は選んでるわけです。それは会社辞めたときから一貫している部分ですね。
これからどうなるか?それはわかりません。それが不安であると同時に楽しみなところでもありますかね。

URL | ゆとりさとる #-
2014/12/11 07:27 | edit

しかし仏法をたしなんで、そのような消極的な生き方なのかと思いまして。

最終的には親の資産が頼りなのでしょうが、それでご自分の良心は痛みませんか?

あまり他人の生活にどうこう言うのも気が進みませんが、

先祖代々守り続けてきたものを、なんというか破壊してしまうような、無下にしてしまうような。なんとも言えない寂しい気持ちになりませんか?

あなたの親も、社会情勢に翻弄されながらも、頑張って資産を形成して家を守り、あなたを育て、良くしようとしてきたと思います。

就職するのが辛いから、組織が嫌だからと、残りの家富を削り取るような消極的な生き方で、本当に良いのかと思うのです。

こういう書き方をすると卑怯だと思いますが、どうお思いになりますか?

URL | 通りすがり #-
2014/12/12 12:42 | edit

Re: タイトルなし

通りすがりさん
仏法と今の自分の生き方は関係のないことですよ。本当に仏法と生き方をすり合わせるなら、それこそ俗世を捨てて修行っていうことになりますね。
何かこう、通りすがりさんは僕と真正面からぶつかりたいような感じがありますね。僕もその気持ちに応えたいと思います。

良心が痛むとか富を削り取るような消極的な生き方ということについてですが、僕は両親に限らず人と関わる時は常に良心が痛みますよ。僕は自分の都合のいいことしか考えない、自分さえ良ければ周りなんてどうでもいいという性根の持ち主なので、本音を言えば自分以外の存在なんて心底どうでもいいのです。だからいろんな親切や恩恵を受ける度に、なんて自分はひどい心を持った人間なんだろうと思わされます。
かといってじゃあ何か周りに恩返しができるか?というと、それも出来ないのです。どんなことをやっても考えても、結局自分の都合のために、自分の気分が良くなるためにしか行動してないんです。「心からのありがとう」なんて言葉がありますが、それを僕が言ったとしたらひどい偽善ですね。そしてもしその言葉を受けて相手が喜んでいる姿を見でもしたら、僕はなんて恐ろしいことをしているんだろうって感じるんです。

通りすがりさんに言葉で伝わるかどうかわかりませんが、僕は自分の成す行為は全て相手を傷つけ、自分を傷つけることしかやっていないと感じているんです。相手が喜んでいるならいいじゃないかと普通は思うんでしょうが、それは僕からすれば麻薬の売人と同じです。相手が自分のサービスを受け取って喜んで、もっと自分という人間を必要とする。そして僕はその気持ちを利用して相手から搾り取れるだけ搾り取る。ちょっとした挨拶とか何気ない親切の裏側に、そういう構図が見えてしまうんですね。

そんな僕が人に伝える価値のある唯一のものと思えるのが仏法なんですが、その話は趣旨からずれるので割愛します。通りすがりさんのおっしゃる生き方は、とても立派だと思います。完遂できるならぜひやっていただきたい。けれど僕がやると嘘と偽善しかないので、最終的に互いを傷付ける結末がはっきりしてるんですね。だからやりたくないんです。おわかりいただけたでしょうか。

URL | ゆとりさとる #-
2014/12/13 00:48 | edit

はじめまして

今回の記事と関係ないのですが、先ほど10の記事からなるゆとりさとるさんの仏教の話を読み終わりました。
そしてゆとりさとるさんが、言葉にできないと仰る境地に辿り着いたということを知りました。
ここで、やはり私も引っかかってしまったのですが、言葉にできない以上それをここで教えていただくのは無理だと思います。
実感として救われる境地がどうやら存在すること(ゆとりさとるさんの言葉に信用させる何かがあったと思う)、と私がそこに至っていないことだけが現実です。
そこで私もその境地までの過程を歩んで見たいと思いました。親鸞会のHPから近所で法話を聞ける場所があったので探してメールしました。
そこで質問なのですが、法話以外にもその境地に至る過程はあるのでしょうか?
ゆとりさとるさんの思う、そこまでの過程のあり方を教えていただけたら嬉しいです。

URL | 綿 #6ptzoTTc
2014/12/27 16:41 | edit

Re: はじめまして

綿さん
仏法は「聞く」以外に信心を獲ることはできないですね。

何か学問やスポーツを極めたり人格的に素晴らしい人になったとしても、それは単に能力が高いというだけであって仏法の言う信心の境地とは全く異なります。
あと何気なく生活をしていて突然何かが舞い降りたかのように信心を獲るということもないです。
そんなことができるなら仏さんも苦労せずに全ての人間を救えるんでしょうけどね。
仏法とは何かを知り、仏と自分という2つの関係において自らが答えを出さない限り、信心が自分に入ってくることはないです。(自分が生み出すのではなく入ってきます。仏さんからのプレゼントです。)
なので最初の第一歩は聞くことです。ですが長々と修行でもするかのように聞くわけじゃありません。仏法は極めてシンプルです。「地獄行きのあなたを必ず救う」これだけです。
これだけなのですが、それだけ言われても何のことかさっぱりなので、その人が疑問に思う所を解消するのが法話の役割ですね。

URL | ゆとりさとる #-
2014/12/27 21:38 | edit

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