ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

コメント頂いたので返信  

一つ前の記事でコメントを頂いたのですが、今回の記事を使って返させていただきます。

はまちさん
「文章を書いてる時の自分は心が不安定な時だ、というようなことを前に
ツイッターでさとるさんが仰っていましたが、
やはり最近悩みごとが多いのでしょうか。
この記事を読んでいて、違和感を感じたのが
>ウェットな部分(情とか意義とか恩とか)に本当に興味がないし、そんなことに構ってても何の意味も感じられないので、僕は社会に適合しないのであった。…いろんな人とのつながりを捨てる方向性で生きてきてるから当然なんだけど。
>僕の興味は何かっていうと、自分が救われた仏教を少しでも多くの人に伝えたい(この繰り返しの日常からどれだけの人を離脱させられるか)
という箇所です。
興味がない故に人との繋がりが減ってきているのに、
多くの人に仏法をもって救われて欲しい、というのは矛盾しているのでは。
(別に人の感情なんて矛盾があるのが普通だとは思いますが)

さとるさんは結局他人のことなんてどうでもいいのか、
よくないのかが分かりませんでしたが
救われて欲しいと思っている時点で多少なりとも人への情があるように
感じました。社会との繋がりを完全に絶ち死んでいきたい、という想いも
今だけなような気がします。こんな書き方をすると失礼ですね。すみません。」

>やはり最近悩みごとが多いのでしょうか。

悩み…と言えばいつも悩んではいるんですが、最近は何かこう思考の波みたいなものが来ていて、ブログを書かずにおれなくなるんです。そういう意味で心が不安定なのかも。まぁでも、はい。悩んでます。

>興味がない故に人との繋がりが減ってきているのに、
>多くの人に仏法をもって救われて欲しい、というのは矛盾しているのでは。

僕が断っている人とのつながりというのは「あ、この人僕がいなくても大丈夫だ」っていう基準なんです。人間って誰しも「自分は自分として生きていていいんだ」って思える確証を探していきてると思うんです。自分を認めてくれる相手を求めて、手段としてお金やら地位やら経験やらを積み重ねていく。本音は「あなたはあなたのままでいいんだ」っていう許しみたいなものを求めてるんだと思ってます。

宗教が流行るのは最もなことですね。あと家族とか仲間とか地域とか国とか、そういうつながりが重んじられるのも当たり前です。なぜならそれがないと自分を保てないからです。自分を保てなくなると僕みたいに「生きてる意味ってなんなんだ」と悩んでいくことになる。それはとてつもなく辛いことで、場合によっては自殺する人もいるぐらいです。

そんな僕は仏教によって救われましたが、おそらくそれは人類にとって最後の、もう本当にどうしようもなく追い詰められた人にとっての選択肢だと思ってます。ぶっちゃけ仏とかなんとかワケのわからん存在にすがるなんて嫌じゃないですか。気味が悪いと感じるもんだと思います。普通に家族と暮らして仕事して子ども育てて、それで自我が保てるならそっちの方がわかりやすくていいです。

けど、僕はそういう普通に生きていける人には興味がないんです。普通に生きていきたいと思ってる人にも興味がないです。そういう人はそういう人たち同士で役割を担って、助けあっていければいいんだと思います。僕からするとそれは「余裕がある」ようにみえるんですね。「よくそんなものを信じて生きていけるな…」とすら思ってしまいます。数年前までの自分を棚にあげた偉そうな発言ですが…。

僕は、本当に本当の意味で生きる意味を求めている人と出会いたい。能力がなくて出来なくて苦しいのは誰でもわかりますが、能力があって出来ても苦しいってのも同じくらい強烈で、どっちになっても人生は苦しいんです。やりがいのある仕事、あたたかな家族、健康な体、信頼できる仲間、自分の望むものが全て揃っていても、それゆえの苦しみがあるって言っても理解してもらえないから、僕はつらい。

この人生で一人でもいいから、自分が受け取った仏の心を伝えたい。何の妨げもなく、何の差別もなく全てを委ねられる相手がいて、「しかもそれを確信できることがある」。それを伝えたい。けどそんな出会いなんてどうやればできるのかわからないし、多分自分で狙って探すことも不可能だと思います(このブログがそのきっかけになればいいんですが…)。なので今の自分にできることは、もしそういう人と出会ったら100%の力でその人の悩みに応えることで、そのためには精神的に余裕のある人達との付き合いを減らしておきたいってことなんです。

「興味が無い」と「救われて欲しい」の矛盾はこういう意味でした。自分がつながりを持ちたいのは余裕の無い人なんだろうなって思います。元気な人は元気にやってください。また元気じゃなくなったら話相手になりたいです。

>社会との繋がりを完全に絶ち死んでいきたい、という想いも 今だけなような気がします。

完全に絶って死んでいきたいなんて思ってないですよ!仏法を求める人達とならどこまでも知り合っていきたいです。ただ今のままだとそんな人いなくて孤独になっていく可能性大だなって思っていじけてるんですよ~だ!!あ~ぁ、なんかいいことねぁかなぁあ~!!

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コメント

返信ありがとうございます。
なるほど、私が矛盾だと思った点はそういうことだったんですね。

さとるさんが「余裕のある人」と称している人って、実際、言うほど余裕があるのでしょうか。(勿論、ここでいう余裕のある人とは、あくまで宗教を求める人と比較してのことで、言葉通り余裕があるわけではないですけど)

私はおそらく、ここでいう「余裕のある人」の類の人間だ思うのですが、私自身、余裕だなんて思ってなくて
むしろ余裕がないから普通のもの(一般的な人間関係とか就活とか)にしがみついているんですよね。
で、それは誰かに認めて欲しい、とかじゃなくて、生きるためには、そういう方法しか実行できないからで・・・。生存するにあたってのリスクヘッジの一環でしかなく、それ以上の意味がありません。
(無意識レベルでは「誰かに認めて欲しい」と思っているんでしょうけど)
でも、そのうち「普通」じゃどうにもならなくなる時が来るのかな、それ以前に普通すら手に入れられなくなるんじゃないかな・・・という不安がここ最近じわじわ膨れ上がってきています。
そもそも救われたいのかすら分かりません。理想だけで言えば「生きてる間も死後の世界でも思うがまま愉快に過ごしたい」のですが。漠然としすぎですね。

仏法で解決できるならいいのですが、正直、まだ完全に理解するためのベースができてない、というか
そういう意味では、私は宗教を求める人のほうがある意味余裕があるんじゃないかって思うんですね。ふっきれてる、というか・・・。

なんか、唐突な自分語りを始めて申し訳ありませんが、何が言いたいかというと仏法が必要になる人って、そういう「余裕のある人」から生れるんじゃないかなってことなんです。

さとるさんは「余裕のない人」との付き合いに力を入れたいから「余裕のある人」との繋がりを減らしていきたい、と仰っていますが、
私は上記の考えから、むしろ関係を保っておいた方がいいんじゃないかと思います。いつまでも精神的に余裕がある人間なんてまずいないですし
探し方が分からないなら、なおさらアンテナは広げておいたほうがいいというか。(アンテナってより網って表現のほうが適切ですかね)

勿論、親密である必要もないでしょうが、ある程度親しい方が相談もしやすいし、そういう人を紹介される可能性も高まると思います。
繋がりを減らすと返って「余裕のない人」との出会いのチャンスが減っちゃうかもしれません。

URL | はまち #pt67g6gE
2014/11/22 17:37 | edit

Re: タイトルなし

>でも、そのうち「普通」じゃどうにもならなくなる時が来るのかな、それ以前に普通すら手に入れられなくなるんじゃないかな・・・という不安がここ最近じわじわ膨れ上がってきています。

世間的な普通の幸せという意味でおっしゃってるのであれば、それはどうなるかはわからないことですね。自分がこれまでやってきた行為の結果が、自分に返ってくるというのが仏教では言われていますが。

>そもそも救われたいのかすら分かりません。

救われる必要性、あるいは危機感みたいなものは、これはもう完全に自分の心次第です。必要ない人には必要ないし、ある人にはあります。仏さんは「救われて欲しい」と思っているようです。

>理想だけで言えば「生きてる間も死後の世界でも思うがまま愉快に過ごしたい」のですが。漠然としすぎですね。

これは僕も同じです。愉快に暮らしたい。けれどそれができる確証がないし、思ったような状態になっても本当に愉快な状態で居続けられるのかもわからないですね。

>仏法で解決できるならいいのですが、正直、まだ完全に理解するためのベースができてない、というか
そういう意味では、私は宗教を求める人のほうがある意味余裕があるんじゃないかって思うんですね。ふっきれてる、というか・・・。

期待していたいろんなものに裏切られて、自分の考えが浅はかであったという事実に完膚無きに叩きのめされて、どうしようもなくなって宗教にすがるしかなくなった人間を余裕があると言えるかどうかは個人の主観ですね。仏教しか無いという切羽詰まった状態なので、ある意味ふっきれてはいますね。

>繋がりを減らすと返って「余裕のない人」との出会いのチャンスが減っちゃうかもしれません。

まぁーこのへんは完全にどっちがいいかは結果論でしか語れないですね。僕はつながりを減らしたいと思ってしまっているので、ただそれに従ってるという感じです。性格なのかな…。

URL | ゆとりさとる #-
2014/11/23 01:41 | edit

私は、どんなに辛くても宗教にだけは頼ってはいけないと考えます。

仏法は日本の文化であり、悪いものとは言いませんが、やはり現実逃避的にすがり付いてしまえば、言い方は悪いですがカルト信者と大差無く、現実に立ち向かう力が弱くなってしまうと思います。

どんなに辛くとも現実から逃れることはできません。人生を正面から向き合い、葛藤をよしとする生き方をするしかないのだと思います。

辛い気持ちはよくわかります。しかし、現実に立ち向かってみるしか、苦しみから逃れる方法は無いのではないでしょうか。

逃げてばかりいては、逆に恐怖に支配されるばかりです。過去の私がそうでした。今でも時々心が揺さぶられます。

楽な生き方、魔法のような解決策はありません。傷つきながら前を向いて進むしかないんです。生きてるとその内良いこともあります。

もし承知の上でしたら大変失礼しました。

URL | 通りすがり #-
2014/11/24 21:56 | edit

通りすがりさんへ
さとるさん向けのコメントながら横から失礼します。

別に、私は現実逃避的だとは思えませんね。
確かカルト的宗教にどっぷりはまる人の多くは、とにかく自身の人生や価値観を宗教(教祖)に丸投げし【思考停止】することで救われようとしているので、それは現実逃避、と言えるかもしれません。

ですが、ここでいう「仏法に頼る」というのは、むしろ人間として現実そのものに真正面から向き合うことであって、信心とは思考を極めた上で得られるものではないか、と私は思うのです。

あなたの仰る葛藤とは、主に地位、人間関係といった、社会で生きていくにあたって人が抱く欲望からくるものですよね。
そういったしがらみ・苦しみというのは、何というか、人生におけるノイズのようなもので、そういう世俗的な苦しみから解放されるために信心を得ようと思ったら、逃げるのではなく、徹底的に向き合うことで、無意味であると悟る必要があるのでしょう。
(悟る、というのも語弊があるでしょうが、便宜上こう表現させて頂きます)

それで信心を得たとしても、死後に救われることが確約しているだけで、今、生きていく中での悩み・苦しみが完全に払拭される訳ではなさそうです。仏法自体「楽な生き方、魔法のような解決策」ではないと思いますよ。

これらはあくまで、まだ信心を得られていない私の解釈でしかありませんし、的外れである可能性も高いです。
ただ、これまでのブログの内容からして、さとるさんの生き方・考え方を現実逃避と評することに疑問を感じたのであえてコメントさせて頂きました。
(人の生き方に勝手に意味づけするのも、どうかとは思うんですけどね・・・不快に思われたらすみません)

URL | はまち #pt67g6gE
2014/11/25 00:56 | edit

通りすがりさん、はまちさん
コメントありがとうございます。

通りすがりさんのおっしゃることは至極まっとうだと感じました。あえて一言申し上げるなら、「傷つきながら前を向いて進むしかないんです。」というところです。前とは何なんでしょうか。一体どこに向かって生きていると言えるのでしょうか。僕はその疑問を持った時、立ち止まらざるをえませんでした。

はまちさんは僕の言いたいことをかなり代弁していただいているので大変助かりました。
本当の意味で現実に向き合おうとしたら、それはおそらくとても苦しいことだと思われます。目の前のやるべきこと、目標や夢という名のまやかしで何とかごまかしながら生きているのが僕らの実態です。

「信心とは思考を極めた上で得られるものではないか」
このように書かれると頭が良い人が有利なような印象になってしまいますが、実際には違います。信心は心一つです。心とは誰に決められるものでもなく、能力でもなく、ただただ自分の有り様であり、人生の軸となるものです。その心が問題なんです。

「それで信心を得たとしても、死後に救われることが確約しているだけで、今、生きていく中での悩み・苦しみが完全に払拭される訳ではなさそうです。」
これはおっしゃるとおりです。僕という人間が何か偉い存在になるわけでもなく、仏の智慧を授かるわけでもないです。ただ、必ず救われるということをはっきりと感じる体験があるだけです。

現実逃避か…。。僕なんて、常に現実逃避しかしていないと言えますね。本当に正しいことを何一つ聞く気のない自分であったと、それは仏法を求めて思い知らされたことです。

URL | ゆとりさとる #-
2014/11/25 03:24 | edit

仏教=現実逃避ってのは私も少なからず感じるところがありますね、というのも今まで何度かコメントしてきましたが、仏教は目に見えた何かがないですし、また私自身も体験したことも救われたこともないので、

この世にないものと同じ。=現実ではないもの

のような印象があります。

しかし、さとるさんがおっしゃってる「仏教」に関しては一概にもそれとも言えないことも理解しつつあります。
「必ず救われる」という考えをもつことが本質であって、それが本当にあることなのか、実際にどうなるのかなどということはさほど重要ではないのだろうと思います。

余裕のある人、ない人と言う話に関しては、逆にさとるさんの状況は世間一般的に言えば余裕がある方だと思いますがどうしょうか?
正直、私なんかは生きることに精一杯で仏教を考える余裕もないのかも知れません。働きたくないですが、働かないと生きていけません・・・

すいません、さとるさんの状況が甘えとか言うつもりは一切ないのですが、例えば、今ホームレスになったとして同じ事が言えますかね?なってみないとわからないですが。私も少し前まで就職できずにニート同然でしたが、親元を離れ生きてみると考える余裕すらなくなりました。まったくもってそんな人生無意味だとは思いますが笑

不快に感じられたら申し訳無いです。一度みなさんとガッツリ話してみたいですね笑

URL | N #-
2014/11/25 11:00 | edit

ゆとりさとるさん、コメントありがとうございます。

前とは一体何か、どこへ向かって生きるのか、という疑問についてですが、

私は、前を向くとは、人間が強く成長していくことを言うと考えます。人間は強くなければ生きていけないからです。それは、物資に恵まれ医療が発達した現代にも言えることだと思います。

そして、生きる方向性は、つまるところ他人のため、であると私は考えます。自分自身のためだけに生きようとしてもそれは辛いだけで、人は他人の役に立とうとするとき、生き生きとするものだと思います。

 例えば、お節介で恐縮ですが、ゆとりさとるさんの場合は、まずきちんとした職に就いて親を安心させることが現在やるべきことであると私は思います。それがとても難しいことであるのはわかります。しかし、ずっと逃げていてはずっと苦しむだけです。あなたの親は、親なりに精いっぱいを尽くして育てて、大学に入学させてくれたはずです。

私は仏法に詳しくはありませんが、ゆとりさとるさんがそれによってしっかりと現実に向き合って頑張っておられるのなら、私は何も申し上げることはありません。しかし、人間が強く成長するためには考えるという行為だけでは不十分で、どうしてもやはり、実際に外に出る必要があると思うのです。

・はまちさん、コメントありがとうございます。

 仏法についての詳しい説明ありがとうございます。

 私は仏法をカルトというつもりはありません。

 また、「楽な生き方、魔法のような特効薬」というのは一般論として記述したのであって仏法を指しているわけではありません。

 現実逃避的と記述したのは、私が主観でそう思ったからです。勝手な意味づけとおっしゃるならそれまでですが、文章からは人の気持ちはわかりませんし、違うというのなら、きちんと反論すればよいことです。「それはどうかと思う…」などと無暗に他人を批判していては、自由な言論はできないでしょう。

URL | 通りすがり #-
2014/11/25 22:34 | edit

通りすがりさんへ
いえいえ、こちらこそ横槍コメにも関わらず
返信ありがとうございます。

「勝手な意味づけ」と私が言ったのは、あなたのさとるさんへの「現実逃避だ」という指摘に対し、私が意見することで
一個人の生き方、言動を第三者同士でアレコレ批評するような体になってしまうようで抵抗を感じた、ということです。
文末の表現は適切ではありませんでしたね。
なので、あなたが自身の考えに基づき、さとるさんに対し意見を言うこと自体にどうこう言うつもりはありません。
(それに、ご本人がコメ欄で現実逃避してると仰ってますしね。でも、書き方からして、一般的な「現実逃避」とは意味合いが違うような気がしますが)

ただ、これとは別に、また疑問を抱いてしまいました。
「外に出る」「強く成長」という部分です。
おそらく、「社会の荒波に揉まれつつ、へこたれない根性を育み経済的な安定・自立を手に入れる」といった意味合いだと思いますが
結局、そうやって生きる力をつけて「幸せ」になって、さらに周囲の人々を世間一般でいう「幸せな状態」にさせたとして・・・
その先に何があると考えていますか?

私は「幸せってなんだろうな」と時折考えているのですが、
さとるさんの「仮に幸せになったとして、その先はどうするのか」という問いを見て「幸せ(ゴール)を迎えたら終わりじゃない、必ずしも【幸せ=生きる目的】ではないんだ」という考え方もあることを知りました。

そりゃ幸せになったらなったで現状維持に努めたらいいのですが、どうも移ろいゆく世の中において現状維持というのはまず不可能なようで。
それに何を以て「幸せ」とするか、その定義も人や状況によってコロコロ変わるものですよね。
そんな儚い「幸せ」というのも、結局、現実逃避のための道具の一つにしか過ぎないのではないか・・・と考えた時、人は生きていくこと自体に虚しさを覚えてしまうのではないでしょうか。
この虚しさを払拭させてくれる存在があればいいのですが、現状ではなさそうなんですよね・・・。それこそ、その都度「当面の目標」を設定して、そこに向かって突っ走って、日々忙殺されることで気を紛らわせるしかないんです。

この問題を根本的に解決する方法は何だと思いますか?
これこそが「自分も他人も本当に幸せにする方法」になると思います。

URL | はまち #pt67g6gE
2014/11/26 19:37 | edit

Re: タイトルなし

「この虚しさを払拭させてくれる存在があればいいのですが、現状ではなさそうなんですよね・・・。」
「この問題を根本的に解決する方法は何だと思いますか? 」
僕の伝えたいことをここまで正確に汲み取ってくれる方がいるとは思いませんでした。そうなんです。その問題を解決しない限りは何をやっても「繰り返し」なんですよね。

人生は苦と楽の連続ですが、その大波のような繰り返しから抜けだして本当の幸せをつかむ。それが悟るということであり真理ということです。仏教では「輪廻からの解脱」とか言いますね。

問題はそんなことをどうやってできるのかです。

僕が本題としたいのはそのことについてです。ここ最近書き続けた仏教の記事は、まぁいわば入り口に立つにあたっての話ですね。本当の求道はこの問題の解決を図るところにあります。
なのですが、これ以上の話はさらに難解というか、とても文章で伝えられそうにないって思ってます。(一応、過去記事には僕が過去に体験した救いとそれまでの過程を書いてありますが…)。良ければメールなりスカイプなりで直接やりとりできたらなーと思ってます。

URL | ゆとりさとる #-
2014/11/27 23:40 | edit

良ければ私も詳しく話を聞いてみたいです。

URL | N #-
2014/11/28 10:48 | edit

Re: タイトルなし

Nさんありがとうございます。

一度スカイプ会議的なの開いてみましょうか。僕のIDが「yutorisatoru」なので、連絡先を追加していただければ返信します!よろしくお願いします。

URL | ゆとりさとる #-
2014/11/28 23:12 | edit

さとるさんは人間は幸せになるために生きてるというようなことをおっしゃってたような気がしますが、僕は幸せになりたいと意識したことがありません
なので幸せになりたいという人を見ても「なんで?」と思ってしまいます

僕が頭悪いからかもしれませんが、適当に仕事して適当に遊んで女とベッドで暴れるとかそんなんでいいんじゃないでしょうか?
良い顔してる人ってだいたいそういう人らのような気がします
Bライフの人もそうですが、難しく考えて生活しても幸せとやらになれてないのだから、それに意味みたいなのはないんじゃないかと思います

URL | yutori #57/sxb6I
2014/11/29 08:26 | edit

Re: タイトルなし

>yutoriさん
「僕が頭悪いからかもしれませんが、適当に仕事して適当に遊んで女とベッドで暴れるとかそんなんでいいんじゃないでしょうか? 」
確かにそれだけあれば生きていくのに事は足ります。けれど虚しくなりませんか?
いわゆる普通の「幸せになりたい」というのとは少し違う感覚かもしれません。何か、このままでいいんだろうかと思う危機感のようなものがあるんじゃないかって思うんです。その漠然とした不安・虚しさの原因は何なのか。そしてそれを払拭する方法があるのかどうか。僕の言う「幸せに」というのはそういう意味が込められてます。

URL | ゆとりさとる #-
2014/11/29 21:52 | edit

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