ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

cm: --

コメント頂いたので返信②  

返信いただいたので、さらに返信です。

「そうですね~。
私はさとるさんの言う通り働きたくないんだと思います。
半年間既卒で就職活動をしていたことがあるのですが、その日々はたまにの就職活動以外、ゲームをしたり、絵を書いたり、楽器を弾いたりとにかく好きなことをしていました。半分ニートですね笑

世間では、ニートは逆につまらないとありますが、私はそんなことはなく、ただただ楽しかったことを覚えています。結局は世間体と家族の目から就職を選びましたが…それが許されるならずっとその状況を楽しんでいたでしょうと思います。ですので、さとるさんが言う通り私は「働きたくない」んだと思います。

ただ、生きるためにはお金が必要ですよね(普通に生活するなら)。なので私のような働きたくない人はどのように生きればいいのか、なんて考えたりします。現在私は、正社員として就業していますが、働きたくないので物凄くつらいです。別に無気力なわけではないのですが、とにかく働きたくないのです。

なので、趣味の延長線上で仕事をしてみるなど、まだ試していないことを徐々にやっていこうとは思っています。
さとるさんも現状維持のままで、一生を終えることができる可能性は非常に低いのでは?と思います。将来のことは考えていないし、どうにかなるという考え方に非常に興味がありますが、さとるさんの現在の状況は必ず終わりを迎えますよね。

変化が訪れた時に、ご自分で打破できる自信があって、どうにかなるだろうという考え方なのかな?と思いましたが、「仏に救われることが確定している」どうもこの言葉からそれだけではないような気がします。そこに至るまでの考え方を教えていただけたらなと思います!

しかし「仏に救われることが確定している」というのは、さとるさんにとっては確定していますが、私にとって確定していることではありません。なぜなら私は仏教が嫌いですし、胡散臭いし、信用していないからです。世の中見たことないモノ、知らないモノは自分にとって存在しないと同じだと思います。私は、仏教を体感したことがないので、世の中に存在しないと同義です。実際に救われたこともないですし。

仏教のあり方を参考に人生を謳歌するならわかりますが、「仏に救われることが確定している」というのは夢物語な気がしてなりません。

今回は、少し突っ掛かるコメントをしてしまいましたが、私の正直な疑問をぶつけてみました。
なんか失礼な感じに思われたらごめんなさい笑
こーいう考え方の人もいると思っていただければ!と思います。
長文失礼しましたー」(azさん)
>ただ、生きるためにはお金が必要ですよね(普通に生活するなら)。なので私のような働きたくない人はどのように生きればいいのか、なんて考えたりします。現在私は、正社員として就業していますが、働きたくないので物凄くつらいです。別に無気力なわけではないのですが、とにかく働きたくないのです。
なので、趣味の延長線上で仕事をしてみるなど、まだ試していないことを徐々にやっていこうとは思っています。

生きるためにはお金が必要→働く必要がある→けれど働きたくない

生きるためにはほんとにお金が必要か?という議論はおいといて、お金は生きていく上で絶対必要なものだとします。そしてお金を得るためには働かねばならないとします。けれど自分は働きたくない。そこで自分が楽しいと思えることを仕事にできないかとか、なるべくお金を使わないでたのしく生きていく方法とかを考えるわけです。

けれど僕の感覚としては「そこまでして何故そもそも生きなきゃならないの?」というところまでみてる、という感じです。お金を稼ぐってすごくめんどくさいことだと思うんですよ。それが趣味であれなんであれ、お金を集める作業ってなった途端にしんどいことだと思います。よっぽどの事情がない限り、お金を稼ぐ労力を背負いたいとは思わないです。

なので「生きるためにはお金が必要」という部分の「生きるためには」というところに疑問をもつわけです。なぜこんなしんどい思いをしてでもわざわざ生きねばならないのか。これまでの人生で何か「これこそ自分の生きる意味だ!」って思えるようなものと出会ったかっていうとそんなこともないですし。ほんっっっとうに働きたくないって思うのならば、そもそも人生なんてやめてしまうのが一番合理的なのではないでしょうか。

けどそれが合理的と言われても困りますよね。だって生きたいですし。なのでここで板挟みにあうわけです。生きるか働くか、どっちか選べと。
僕が仏教を求めようと思った理由の一部はここにあります。いろんな手段を考えたけれど、やっぱり働くのはしんどい、お金を稼ぐのはめんどくさい。かと言って死にたいとも思えない。なのでそもそも自分が生きてる理由が知りたい、といったところです。

そしたら仏教では、これ以上ないとと言われる幸せの境地に死んだ時はならせてやろうと言ってたわけです。もしそれが本当に可能ならば、生きてる上でのことはどうでもいいと言ってもいいです。病気になろうが飢え死にしようが孤独死だろうが、所詮は生きてる上での話ということですし。

>変化が訪れた時に、ご自分で打破できる自信があって、どうにかなるだろうという考え方なのかな?と思いましたが、「仏に救われることが確定している」どうもこの言葉からそれだけではないような気がします。そこに至るまでの考え方を教えていただけたらなと思います!

打破できる自信なんてないです。ボロボロになってみじめに死んでいく可能性はあります。でも所詮はそれだけの話で、そのあとは仏さんに救われてハッピーという理屈です。

「こいつ本気で頭おかしいんじゃないか」と思われそうですが、なんでそんなおとぎ話みたいなことを本気で語ってられるのかというと、それを信じるに足るすさまじい体験が本当に自分の身に起こったからです。「そこに至るまでの考え方を教えていただけたら」とありますが、もちろんお聞きになりたいことには何でも答えるつもりですが、いくら説明を受けてどこにも欠点がないことが確認できたとしても、やっぱり信じられないと思いますよ。
それはなぜかというと、人間は自分の実感でしか物事を判断できないからです。いくら「これすごい良い商品だよ!」と言われても疑うのがふつうです。実際に見て、触って、使って、確かに自分を納得させるほどの良い商品だとわかったら購入したいと思うわけです。
それと同じで、仏教がいくらすごい考え方を示していたとしても、それを受け入れるのは難しいと思います。

>私は、仏教を体感したことがないので、世の中に存在しないと同義です。実際に救われたこともないですし。

全く同感です。なので実際に救われてください。たとえ何が起きても最終的には安心だと確信できる境地は、この世のお金なんて比にならないほどの安心感です。
じゃあ救われるためにどうするのかというと、求めねばならないです。仏とは何か、救いとは何か、まずは知るところからです。
「いくら払ったら救われる」とか、「禁欲生活しないと救われない」とかは無いです。何も条件はないです。ただ、求める気持ちがあることが大切です。

>仏教のあり方を参考に人生を謳歌するならわかりますが、「仏に救われることが確定している」というのは夢物語な気がしてなりません。

人生を謳歌するというのは結果的にそうなるんですが、それが目的ではないです。仏教の目的はあくまで「死んだ後のこと」です。けど死んだ後に絶対幸せになれるなら、生きてる間も幸せになれるという理屈ですね。内定が決まってる大学生みたいな。

この話を聞いて夢物語だなとか自分には関係ないと思う人は、正直そこまで困ってない人です。お金が得られれば本気で幸せになれると信じていたり、人間関係がよくなれば本気で幸せになれると思っている人には無意味な話だと思います。生きていくうえでの指針を本当に見失った人からすると、わらにすがってでも求めたいと思えるのが仏教です。

azさんは人生について、仏教について正直にコメントをくださるのでとてもありがたいです。こうして記事がかけて僕もうれしいです。
関連記事

category: 求道

コメント

なんだろう。すごい心にしみる。

URL | okn #owWFhwGg
2014/08/31 20:22 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://hjkd8yg.blog.fc2.com/tb.php/330-9a51dd75
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。