ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

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コメント頂いたので返信  

前回記事に対するコメントをいただいたので、返信しようと思います。

「お久しぶりな更新ですね。
僕は正直、仏教とかそういう類のものが好きではありません。
しかし、さとるさんが説明してくださったお話はなぜか、仏教であるとい先入観を感じず、一つの悩みを解決できる助言として理解することができました。
さとるさんのブログを読んで答えに近づけたように思います。

僕はまだ全然答えが見つかってないし、すっきりしていませんw

働くとは何なのか。好きなことをを仕事にすれば激務に耐えられるのか。一度の人生何をすればよいのか。仕事と割りきって興味のない業務でお金だけもらう人生はいけないのか。定時で帰って趣味に費やす人生の価値は??

などなど、悩みは尽きませんw
さとるさんの今現在の考え方をまた教えてくださいね。 」(azさん)

>僕は正直、仏教とかそういう類のものが好きではありません。

僕も嫌いです。そもそも仏教っていう言葉が持つイメージというか先入観が独特すぎて、ひどく偏った話にしかならない気がします。
犯罪や洗脳を幾度となく繰り返す新興宗教の根っことも言えるし、葬式やお墓の商売で生計を立てるお坊さんやお寺っていうイメージもあるし、瀬戸内寂聴とかひろさちやをはじめとした「生き方の指南」「心構えのヒント」みたいな話にも思えるし。あとは数えきれないほどのいろんな宗派の学問的な話とか。
そういうのって人それぞれだし、理解できるかできないかもその人の能力に応じるところがあるので、どうでもいいと言えばどうでもいいです。

なので仏教っていう言葉は嫌いです。仏教の知識の話を偉そうに、あるいは有難そうに語ってくる人も嫌いです。僕はそんなことが言いたいんじゃない。このどうしようもない世界、繰り返しの人生で、「これだけが絶対」と言えるようなものがあるのかないのか?そしてそれがあったとしたらどういうものなのか。
僕がしたいのはそういう話なんです。こんなの悩みなんて言葉を通り越して、人間に対する挑戦みたいなものです。だって絶対なんてものを人間が認められるわけないですもん。けれど認める認めないという感情論はいったん抜きにして、あるのかないのかということを考えたい。考えたいというか、僕はそれに触れてしまった、体験してしまった、だから伝えたい。で、その話をする上でどうしても「仏教」っていうワードが必要になってくる、ということです。

>しかし、さとるさんが説明してくださったお話はなぜか、仏教であるとい先入観を感じず、一つの悩みを解決できる助言として理解することができました。

そう!!その通りなんです!!
その悩みとは先ほども書いた通り、「人間の生きる意味とはなんなのか」「絶対と言えるものはなんなのか」ということです。

>働くとは何なのか。好きなことをを仕事にすれば激務に耐えられるのか。一度の人生何をすればよいのか。仕事と割りきって興味のない業務でお金だけもらう人生はいけないのか。定時で帰って趣味に費やす人生の価値は??

この疑問に対して直接答えることはできませんが、azさんの気持ちはわかります。「働くとは何なのか?」という疑問が湧いている時点で、働きたくないと思っているのです。
疑問というのはその人の心の表れだと思います。どうしようもなくなって、その気持ちをどこにぶつけたらいいのかわからなくなって、他人に対して質問という形で訴えるわけです。ちなみにこのブログがまさにそれです。
「何故なのか」と聞いてくる時点で「嫌だ」と言っているのと同じというわけですね。なのでazさんの心の中にある嫌な感情を消し去ろうと思ったら働かないようにする以外無いのではないでしょうか。そんなことはわかってて質問されているとは思いますが。。

ちなみにさっき書いた「人間の生きる意味とは何なのか」も同じです。こういう疑問が出てくる人は要するに「生きるのがつらい」って言ってるんです。僕もそうです。「人生たのし~ヒャッホウ!!」って人がこんな疑問もつわけない。
生きるのがどうしてもつらいから、だから絶対的なものを求めたいと思うんです。何かに縋りたいわけですね。ただ、縋るとはいってもちゃんとしたものじゃないとダメなわけです。すぐ崩れちゃうようなものに縋ってもしんどいだけですし。そこんとこ、仏教ってどうなの?ってわけです。そういう求め方をしてくれる方と大いに語り合いたいです。

>さとるさんの今現在の考え方をまた教えてくださいね。

いろんな気持ちが混ざり合いすぎて自分でもわかりません。ただ仕事に関しては全く考えていません。今はバイトをちょこちょこやってますけど、家でニートやってるのに飽きたからやってるだけで、将来のこととか何も考えてないです。暇つぶし+小遣い稼ぎくらいです。
それよりも今はいろんな人と仏教の話をしたいと思っています。生活はどうとでもなれと思っていますし、なんだかんだなんとかなると思っています。もし飢え死にしたとしても、仏に救われることが確定しているのでそっちも大丈夫です。

死に対する不安が人間にとってのもっとも恐ろしいことです。それは肉体的な死もそうですし、精神的な死もです。働くのが嫌っていうのがまさにそれです。社会の歯車となることで自分の心が死にそうだと思うから拒否反応が出るわけです。
そのあらゆる死に対して万全の保証を掲げるのが仏さんという存在で、この人を頼りにしていくのが実際のところ一番心強いんだなっていうことを伝えたいと思ってます。

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category: 求道

コメント

返信ありがとうございました!


そうですね~。
私はさとるさんの言う通り働きたくないんだと思います。
半年間既卒で就職活動をしていたことがあるのですが、その日々はたまにの就職活動以外、ゲームをしたり、絵を書いたり、楽器を弾いたりとにかく好きなことをしていました。半分ニートですね笑


世間では、ニートは逆につまらないとありますが、私はそんなことはなく、ただただ楽しかったことを覚えています。結局は世間体と家族の目から就職を選びましたが…それが許されるならずっとその状況を楽しんでいたでしょうと思います。ですので、さとるさんが言う通り私は「働きたくない」んだと思います。


ただ、生きるためにはお金が必要ですよね(普通に生活するなら)。なので私のような働きたくない人はどのように生きればいいのか、なんて考えたりします。現在私は、正社員として就業していますが、働きたくないので物凄くつらいです。別に無気力なわけではないのですが、とにかく働きたくないのです。


なので、趣味の延長線上で仕事をしてみるなど、まだ試していないことを徐々にやっていこうとは思っています。
さとるさんも現状維持のままで、一生を終えることができる可能性は非常に低いのでは?と思います。将来のことは考えていないし、どうにかなるという考え方に非常に興味がありますが、さとるさんの現在の状況は必ず終わりを迎えますよね。


変化が訪れた時に、ご自分で打破できる自信があって、どうにかなるだろうという考え方なのかな?と思いましたが、「仏に救われることが確定している」どうもこの言葉からそれだけではないような気がします。そこに至るまでの考え方を教えていただけたらなと思います!


しかし「仏に救われることが確定している」というのは、さとるさんにとっては確定していますが、私にとって確定していることではありません。なぜなら私は仏教が嫌いですし、胡散臭いし、信用していないからです。世の中見たことないモノ、知らないモノは自分にとって存在しないと同じだと思います。私は、仏教を体感したことがないので、世の中に存在しないと同義です。実際に救われたこともないですし。


仏教のあり方を参考に人生を謳歌するならわかりますが、「仏に救われることが確定している」というのは夢物語な気がしてなりません。


今回は、少し突っ掛かるコメントをしてしまいましたが、私の正直な疑問をぶつけてみました。
なんか失礼な感じに思われたらごめんなさい笑
こーいう考え方の人もいると思っていただければ!と思います。
長文失礼しましたー

URL | az #-
2014/08/26 12:18 | edit

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