ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

自分はこのままでいいって思えるものがあるかどうか  

人間って常に何か救いを求めているように思う。それが自分のやりたいことだったり、家族だったり恋人だったり、小説や映画だったり。小さくはあっても幸せだと思える瞬間、を追い求めてる。

僕はそういう小さな幸せどれ一つ取っても満足できないっていう状態になってしまって、だからこそ仏教を聞きたいって思ったんだろうなぁ。何をやっても「だから何なんだろう」っていう虚しさが付きまとって、でもそんな現状を変える力は僕には無くて、自分に満足感・安心感を与えてくれるものを探してきたんだと思う。

わがままな話だなぁって思うけど、でも僕にはそうするしかなかった。宗教を頼る人っていうのは多かれ少なかれそんな感じなんじゃないだろうか。

けど、だからといって「神様仏様が見守ってくれています」とか言われても自分にそんな実感なんて全然わかないし、だったら証明してみろよとか奇跡を起こしてくれとか、そんな思いしかわいてこない。

そもそもそんな宗教話で満足できるような人っていうのは、宗教がなくてもそれなりに満足した生活を送ってる人なんだと思う。それなりの健康、それなりの経済力、それなりの人間関係。それが前提としてあるからこそ「あぁ~神様が守ってくれるんだ、ありがとう~」って思える。自分の生活の幸せにプラスするような形で、宗教の救いを利用してる。

僕にはそれも無理だった。だっていつか死ぬ。今は元気だけど、いつか元気もなくなる。お金もどうなるかわからない。そんな慰めのようなお伽話なんていらなかった。自分が不幸になったら色褪せるような宗教なんて興味がない。

自分の人生のすべてを覆して、自分の価値観の全てを打ち壊して、自分がどんな状況になっても崩れることのない絶対的なもの。僕が欲しいのはそういうものだった。

一言でいうと、実感が欲しかったんだと思う。宗教で言われていることが間違いなくそうであると思える手応え。神や仏の存在を感じられる何か。そういうものを求めてた。

逆に言えばそこまで追い詰められてたんだけどね。今の自分に納得がいかない、人生に納得がいかない。これでいいんだって何度も言い聞かせても、でもやっぱり不安な気持ち、焦る気持ちが出てくる。それを全て解消してくれるものがあれば、何でも良かった。

仏法を聞き抜いて阿弥陀仏と対面する人は「国に一人、郡に一人」という言葉があるけれど、まぁ確かにそうだろうなと思う。そこまで追い詰められた人じゃないと求めようっていう気にそもそもならないし。

けど、それだけの力がある。他の全てを犠牲にしても求める価値があると僕は思う。自分の人生の不安や悩み、苦しみを一気にひっくり返すだけの救いが仏教にはある。

仏教は「除苦悩法」とも言われる。苦悩を取り除くための法ですよっていうこと。求めれば、その人に見合ったものを必ず返してくれる法だなって僕は思う。
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category: 求道

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