ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

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人生の答えを探す旅⑦  

あらすじ:万人共通の生きる意味なんてあるんだろうか。それを求めて仏教の勉強会に足を運んだが、そこでは人間はみな一様に地獄行きであり、仏の救いによってその解決を図るのが人生の目的であるということが教えられていた。人生の目的とは「それ一つ果たせばいつ死んでも後悔がない」ということ。ぶっちゃけ暇だったしこれがホントだったらとんでもねーことなのでとりあえず続けて聞いてみることにした。今回は「③本当であるとして、それは自分にもわかることなのか?本当に今この場でハッキリするのか?」について書きます。
死後の世界があるとかないとか、死んだら天国だとか極楽だとかって言ってる宗教、宗派、新興宗教みたいなものって山のようにあって、以前書いたようにキリスト教や神道なんかもそう。

で、それぞれの主張に対してその内容を見ていくと、確かにもっともらしいことは言ってる。言ってるけど、死後のこととか神の救いみたいなところまでいくと、やっぱり証明ができないところだから「あとは信じろ」みたいな感じになってしまってるんだよね。

信じる者は救われるっていうけど、でもそれって「妄信的にでもなんでもいいから、思い込んだ者勝ち」みたいなニュアンスになることがあって、それだったら麻薬とかやってるのと大差ないやんって思ってしまう。妄想でもなんでも膨らませて幸せになってるときと変わらない。

そんな中で、浄土真宗は「死んだらお助けの話ではない。今こうして生きている身でありながら極楽に往生することがはっきりわかる教えなのだ」と説いていて、難しい言葉でいうと「平生業成」って言う。僕が仏教に注目したのはこれがあったからだった。(この辺の話は以前の繰り返しです。すみません。)

前回まではなぜ仏教を聞き、なぜ仏の救いが必要なのかみたいな話をしてたけど、今回からようやく「どうすれば救われるか」の話になります。すさまじく重要で、わかる人はすぐにわかるし、わからない人は2,30年聞いててもわからない話みたいです。

ちなみにこの「どうすれば」の解釈の部分をめぐって、浄土真宗の中でもいくつも派閥が分かれてる。詳しくはまた書けたら書きます。

僕が最初に教わったS会というところでは「善のすすめ」がその答えだって言われてた。因果の道理で自分が悪しかできないって言われても信じられないけど、それは善をやったことがないからだ。本当に真剣に善をやった者のみ、自分が悪しかできないことがわかる、みたいな話だったかな。

僕もそれを聞いてなるほどと思ったけど、別にそこまでしなくても自分は悪いこと、悪い心は起きてるなぁって自覚はなんとなくあったし、善をやろうって気にもならない(そもそも善ってなんやねんって言うと、具体的にはほかの人にこの教えを勧めろっていう内容だったけど、なんだかねずみ講的だなと思った)ので微妙だった。

なのでそれから僕はほかの先生を探して別の解釈を聞きにいこうと思った。それがダメならダメで別にいいし、妄信的に「これを信じるんだ!」というよりも、いろいろやってみて自分に合うのがあればいいやって感じだったので。もちろん、いろいろやってみた結果仏教はやっぱアカンなと思ったらそれはそれで別によかったしね。

あと、僕がほかのところに話を聞きにいこうと思ったもう一つの理由は、そのS会では「ついに自分は救われた」という人がいなかったからだった。「人生かけて取り組むべきことであって、そんな簡単に救われる話じゃないぞ!」とか言われても僕はてっとり早く救われたかったから嫌だった。なのでこの仏の救いについて熱心に活動をしているという、華光会というところに今度はいってみることにした。

それが去年の年末あたりです。わりと最近です。
電話してみると、20代のお姉さんが電話に出てくれた。

僕「仏教の話を聞きに行きたいんですけどもー」
「あぁ~どうぞどうぞ、今は年末なのでやってないですけど、お正月にも集まりはありますし、一月にも何度か法要がありますよ」
僕「あぁそうですか…(それはHPを見て知ってる)。ところで……。あなたは、仏さんに救われたんですか?(かなりドキドキしながら聞いた)」
「え?あぁ~はい~」
僕「えぇええええええ!?まじっすか!!??(まじかよ!!!??)じゃあ死んだら極楽に行くんですか????」
「そうですね~阿弥陀さんにおまかせしてます~」

僕は…僕はショックだった…。それまでのS会での勉強会っていうのは、なんていうかあくまで仏教ワールドっていう世界観を楽しんでるくらいの感覚で、「そんな救いなんて本当はありっこないよなぁ~」って心の底では思ってた。まぁそれが普通だと思う。

それが……。この電話の人、僕とそんな年も変わらんのに…まじで救われるとか言っちゃってるよ…。ありえねぇええええええええええええええ。
でも妙に興奮してた気がする。ほんとなのか!?っていう疑いもそうだし、マジであったんか…っていう驚きもあった。

それからの僕というのはその会の法座に度々参加して、(そこは勉強会というより、先生の法話を聞いて参加者がどう思ったかを座談するような形だった。そういうスタイルのほうが僕にとっては楽しい)、本当に弥陀の救いというものがあるのか?仏教は真実なのか?ということを毎日のように考える生活だった。

会に参加した時はそこの人たちのことはもちろんよく観察してた。「こいつらただの思い込みちゃうか…」とか、「洗脳されてんじゃね」とか、「結局はこの世の幸せを追い求めるんとちゃうの?」とか。

でも、これはなんというかもう雰囲気というかオーラみたいなもんだから言葉にしようがないけど、「この人たちはあくまでこの人たちらしく、自然に生きていく中で、まじで仏の救いを実感してやがる…。明らかに自分の言動とか思考とかと、単純に価値観が違うとかいう次元で説明しきれない何かがある…。」って思った。

その人たちは明らかに共通の「これ」っていう感覚を持っていて、そして自分にはない。そんな雰囲気を察知した。僕はそれなりに仏教のことは勉強はしてたので、僕が言うことも間違いではないはずなんだけど、なーーーんか違った。と同時に、「ここはマジのマジもんで本物なのかもしれない…。」っていう期待感もわいてきてた。期待しすぎるとあとが怖いけど、でもここでやめてもしょうがないし、いくところまでいったれ!って感じだった。この人たちの境地に自分もたどり着いてみたい。

そこの会が出してる本とか、あとHPにも法話があるんだけどそれを読んだりして、「どうすれば自分にそんな仏の救いなんてものがわかるんだ…」って悩む日々だった。正直かなりつらくて精神的にもきつかったな。まぁそれだけ自分が本気で取り組んでたってことなのかも。

で、僕もついにその救いに「遭う」体験をしたわけですが、ああぁああああああ!!今回は「③本当であるとして、それは自分にもわかることなのか?本当に今この場でハッキリするのか?」について書く予定だったのに完全に前ふりで終わってしまいましたすみません。

次回こそ必ず仏さんの救いの内容について詳しく書きます。次の記事書くまで死にませんように。
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category: 求道

コメント

こんにちは!いつもすごく共感できる記事を書いてくださり、気持ちが楽になっています。ありがとうございます。

私は今年理系の大学院を卒業し、四月からメーカーの新入社員として勤めているのですが、修士課程一年の終わりごろから、ゆとりさとるさんと同様のことをたくさん考えるようになりました。

今も突然悲しくなったり、生きていてもしょうがないと思うことがありますが、色んな話を調べたり人に相談したりしてなんとかやれています。

もしかしたらご存じかもしれませんが、臨床心理学者の河合隼雄さんや精神科医の泉谷閑示さんの本がよく納得でき好んで読んでいます。

今後ともどうぞよろしくお願いします。更新楽しみにしています。

URL | けい #-
2014/04/07 21:06 | edit

Re: タイトルなし

>けいさん
コメントありがとうございます。
河合隼雄さんはとても読みやすい心理学の著者で有名ですよね。僕も高校時代に少し読んだことがあります。泉谷閑示さんについてはうつについて記事を書かれたサイトをかなり読んでました!とても助けられた印象があります。
こちらこそ読んでいただいてありがとうございます。更新がんばります。

URL | ゆとりさとる #-
2014/04/08 13:30 | edit

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