ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

人生の答えを探す旅⑥  

あらすじ:万人共通の生きる意味なんてあるんだろうか。それを求めて仏教の勉強会に足を運んだが、そこでは人間はみな一様に地獄行きであり、仏の救いによってその解決を図るのが人生の目的であるということが教えられていた。人生の目的とは「それ一つ果たせばいつ死んでも後悔がない」ということ。ぶっちゃけ暇だったしこれがホントだったらとんでもねーことなのでとりあえず続けて聞いてみることにした。今回は「②そうであるとして、仏の言っていることは本当なのか?」について書きます。

人生の答えを探す旅④で書いたことの解説を今回は主にやりたいと思います。

まず、因果の道理。これは全ての物事には原因があるという話だった。
確かにまぁ、持ってるものを手放せば落ちるけどそれは重力という原因があるわけだし、そういう科学的なことはもちろんのこと、人間関係のトラブルとか普段、運がいいやら悪いやらって言ってることも、突き詰めれば確かに原因はあるんだと思う。それが人間に解明しきれるかどうかは別として。

この因果の道理というのは正しくは「因縁果の道理」というものらしい。因(原因)だけでは結果は現れない、その結果に結びつく「縁」(機会)が必要ということ。たとえるならば因が植物の種子で、縁は土や光や水、結果はその植物が成長するということ。種子だけでは芽は出ないし、水や土だけがあってももちろん植物は生まれない。その2つが揃って初めて一つの結果になるということらしい。

なるほどなぁ。確かに悪いことをしてもバレなきゃなんとかなるわけだけど、これは因があっても縁がない状態ってわけだ。あとはいい指導者に師事しているけど全然結果が出ないなんてことがあるけど、これは縁があっても因がないっつーわけだな。そして因果応報とあるように、悪いことをやると必ず悪い結果が返ってくるし(悪因悪果)、良い事をすればそれが必ず因となって、いつか縁に触れた時に芽がでる(善因善果)らしい。

これは正直、そうだと思う。というかそうじゃなきゃやってられない。悪いことやってもバレなきゃOKってのは悔しいし、良い事しても何の意味もありませーんってのも理不尽だ。やっぱりそこの精算はきっちりやってほしいなって思ってたけど、仏教の話からすると大丈夫っぽい。この方が公平な感じがするし、自分の努力も無駄じゃないんだなぁって思える。

で、この因果の道理が正しいとすると、それが人生についても言えるらしい。今の自分というものがあるというのは一つの結果で、いわば植物の芽が出た状態なわけだ。ということはその植物の種子にあたるものがかつてあったということだよな。それが前世…仏教では過去世って言うらしいけど、そういうもんらしい。

うーーーーん……。まぁ、この話はとりあえず賛成でも反対でもない。というかわからない。そうと言われればそうな気もするし、違うと言われればそれもそうだなと思う。ただまぁ因果の道理ってのは正しそうな感じはあるから、前世もあるんかなぁ…。

もし過去世があるんだとすると、逆に未来世もあるってことになる。こっちは、今現在自分がやってることが種子(因)となって、死という縁にふれて、死後に結果となって現れるものなんだって。

うぅーーーーむ……。死んだら無になるんじゃないのか…?と、ずっと思ってはいたけど、でもそれだと納得のいかないことが僕には一つだけあった。これは仏教の話とは関係ないんだけど、なんで人間って自殺できないんだろうなっていうこと。いやまぁ実際やってる人はいるけど、少なくとも僕は自殺しようなんて気に全くならない。自殺してやる!ってやけくそになることはあってもほんとにやったことなんてない。あったらこの記事はありません。

自殺したくない、っていうことは生きたい・生きる意味があるということなんじゃないかなぁっていう予感が僕にはあった。あってほしい、と言う方が正確か。だから死後に無になるっていう考えは、なんだか今の自分の生きてる感覚が全て否定されるような感じがあった。死んだら無になるなら今すぐ自殺してもいいじゃないか、っていうこともあるしね。

そんなわけでこの因果の道理と過去世未来世の話は、まぁ総合すると7割くらいそうかもしれんって思えるかなという感じだ。100%って感じにはなれないな。因果の道理はかなり正しいと思うけどね。

ほんで?じゃあ人間は死後にどうなるか、か…。ふむ、これはなかなか興味深い。とりあえず仏教の見解の聞いてみたい。

仏「全員地獄行き」

…は?
なんで?意味がわからん。どういう理屈や。

以下解説。


仏教では人間の善悪を判断する際に、最も重要としていることがあります。それは「心が何を思っているか」です。人間のやることは大別すると「体でやったこと」「口で言ったこと」「心で思ったこと」の3つとなります。前2つの「体でやったこと」「口で言ったこと」というのは人間の目線からすると非常にわかりやすいのですが(法律や裁判の基準も体で何をやったか、口で何を言ったかの2つである)、仏教ではあまり重要視されていません。

なぜなら、その2つはどちらも「心で思ったこと」から派生するものだからです。心で全く思ってないことを体はしませんし、口もいいません。しかし体や口が動かなかったとしても、心の中では盛んに感情が揺れ動いています。酔っ払って上司の悪口を言ったりするのがわかりやすい具体例です。なので、体や口は火の粉であり、心は火の元と言っていいでしょう。

なので、未来がどうなるかは今の自分の心がどうであるかを見つめればいいということです。人に悪口を言ったり殺人を犯したりするのはもちろん将来にその報いが返ってきますが、それよりももっと恐ろしいのは「心で何を思っているか」です。

親を、兄妹を、友達を、先生を、通り過ぎる人のことを、心の中で鬱陶しいと思ったり憎いと思ったことはないでしょうか。もしあるならば、それは報いとなって自分を苦しめる結果になります。そこまで仏さまは見抜いた上で、人間はみな地獄行きであると判断しています。

地獄とは、そういう世界があるわけではありません。あくまで自分のやったことが返ってくるだけです。しかし人間は例外なく心に悪を造り続けているので、その報いは個々それぞれ違いますが、ひっくるめて地獄という名称が使われています。



……。

なるほど…因果応報の法則からいくと、自分がやったことは自分に返ってくる。例えば魚を一匹食べれば、単純に考えると自分も魚に一回食われなきゃバランスが取れない。そういうことなわけか?

しかもそういう体の行いじゃなくて、心の方が重要だって言ってる。これは正直、結構良い事も考えてるぞ~とか最初は思ってたけど、しばらく自分の心を見つめている内に全くそんなことがないことがわかった。

愚痴とか怒りとか嫉妬が湧いてきたときはもちろんわかりやすく悪だけど、相手のためを思って自分が何かするときとかも、よくよく考えると自分のためにやってんじゃね?っていうことに気づけるようになってきた。自分は相手にお礼を言われたり、感謝されたり、お返しをもらったりお金をもらったり、そういうことしか頭に無かったんだなって思う。

実際、何かやってあげても相手がそれをどうでもいい的な感じで流してきたらムカつくしね。こっちの時間返せよってなる。なるほど…自分のことしか考えてないな。今までのことも振り返ってみると、結局自分のことしか考えてこなかったかもしれない。

でもそれが悪…悪なのか?別に誰かに迷惑をかけてるわけじゃない。それに誰だって自分のことが一番だ。確かに相手のことを気遣うことが出来るのなんて余裕がある時だけかもしれないけど、でも別にいいじゃないか。結果的に相手が喜んで自分もその笑顔を見て嬉しいと思うなら、誰も損してない。自分は悪いことなんてしてない。してないはずだ…。

この因果の道理と地獄行きという話を聞いて、僕が最後まで引っかかっていたのがここだった。
因果の道理はわかる。物事には原因がある。だから今やってること、今自分が心に思うことが未来に返ってくる。これもわかる。そして自分は自分のことばっかり考えてる。これもわかる。

でも……地獄行きは言い過ぎじゃないか…?しかし釈迦はなんだったか名前はしらんけどどっかのお経に
「心常念悪 口常言悪 体常行悪 曾無一善」って書いてあって、これの意味は
「心は常に悪をおもい、口は常に悪をいい、体は常に悪をぎょうじ、いまだかつて一つの善も無い
というものだった。
善がない…。しかも僕だけでなく、人類全体を見てそう言ってるわけだよね。まじか…。えぇ~…?うっそぉ…。

うーーーーーむ。これは、とりあえず言ってる内容は理解できるけど、よくわからん。僕は自分のことしか考えてないところまではわかるけど、それが悪だとは思えない…。地獄に行くような悪いこととは思えない…。これは保留としておこう。

そして次に仏さんは「そんな人間を必ず救う」って言ってるらしい。

……。

どこで書かれたものか知らんが、なかなか良く出来ているお伽話だと思った。でもまぁ救ってくれる分にはこっちには損はないし、どうぞ勝手に救ってくださいとしか思えない。

けれど…。僕が仏教を聞き続けようと思った最大の理由、それは「この救いが、今現在ハッキリとわかるということ」だ。親鸞が浄土真宗をうちたてて生涯をかけて伝えようとしたものは、この仏の救いただひとつだったらしい。それは「死んだらお助け」とか「いつも仏さんが見守ってくれてるよー」みたいな童話でもなく、極めて現実的に、大まじめに人間の生きる意味とは何なのかについて取り組んでいった人間の言葉だった。

僕が求めるものも、人間についての解釈とか批判とか、あるいは天地創造の宇宙論とかそんなことじゃない。「これが人間に生まれた意味だったのか!」って充実感と達成感と満足感に溢れて、そして今のこのどうしようもない人生を、確かな手応えをもって生きていきたい一心だった。

本当に……本当にそんなはっきりとわかる、手応えのある救いなんてものがあるのか??自分が救われたかどうかははっきりわかるのかどうか?という質問について、親鸞は「必ずはっきりわかる」と断言している。親鸞という人物がどんなもんかは知らないけど、とりあえずそこまで断言しているのは事実だった。

じゃあどうやったらそんなはっきりとわかるのか?仏に救われる境地なんてものにどうすればなれるんだ?
これが当然出てくる疑問だよね。次回はここについて詳しく解説して、「③本当であるとして、それは自分にもわかることなのか?本当に今この場でハッキリするのか?」についても書ければなぁと思っとります。

次回お楽しみに。
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category: 求道

コメント

人生を探す旅、非常に興味深く読ませてもらっています。

浄土真宗を否定するつもりは無いんですが、ちょっと気になった事がありましたので、コメントさせていただきます。
というのも、現世の原因と結果が過去世と未来世って、飛躍し過ぎてないかなと思ったんです。
現実的に考えれば、現在自分が自分として生きているのは、親に育てられた環境があったからだし、今まで数え切れない程の人と関わってきた人生を送ってきたはずです。
後は、偶然とか時の運なんかも大いに関わっていると思います。そういったものを吸収なり取捨選択するなりして、自分という人間が出来上がっている、と思います。
そういうのを全部ひっくるめて、今の境遇は生まれる前から過去世によって決まっていると説いているのでしょうか?。
また結果についても、単純に自分が死んだ後の現世に、自分が生きた証が何らかの形で残るだけと思います。
家系、功績、罪の履歴などなど。
因果応報の話はまぁまぁ納得できますが、突然輪廻転生の考えが出てきたので。それはまた別の話しじゃないかなぁと。

夢の無い話で申し訳ないです。否定したいわけではなく、そういう風に考える事もできることに対して、どういった説き方をしてるのかなと思いまして。信じるか信じないかはあなた次第という事でしょうか。
過去世や未来世がある、という考えに関しては、自らの生き方を正してくれる点においては非常に有効だと思います。ただ、それを逆手にとって金儲けに利用する新興宗教もありますから、ただただ喜ばしいだけの話しでは無いかなと思いました。

URL | 黒蛇 #AeZ5l9WE
2014/04/01 18:38 | edit

Re: タイトルなし

>黒蛇さん

コメントありがとうございます。
>そういうのを全部ひっくるめて、今の境遇は生まれる前から過去世によって決まっていると説いているのでしょうか?
基本的に黒蛇さんがおっしゃっていることで間違いないです。「生まれてからのこと」と「生まれるという現象そのもの」をブログでは同じことのように扱っていたために、わかりにくかったかと思います。すみません。
「生まれてからのこと」については、親に育てられいろんな人との関わりがあって影響を受けて今の自分が出来上がっています。しかしそれはあくまで生まれてからの話であって、そもそもどんな家系に生まれるとかどんな人種や国に生まれるかは、その理屈では説明できません。
そういった人生のスタートラインについては前世の行いが原因となっている、と仏教では教えられているわけです。それ以降のことは自分の経験によって蓄積されていくことが大きな影響を与えます。
そして僕らからすると偶然や時の運としか思えないものも、全て原因と結果の関係によって(良いか悪いかは別として)必然として起こっていると教えられています。

>また結果についても、単純に自分が死んだ後の現世に、自分が生きた証が何らかの形で残るだけと思います。
現世に残る結果についてはその通りですが、自分の意識や精神といった自分そのもの・主体そのものがどうなるか、をここでは問題にしています。幽霊になって子孫を見守っていると考えている人もいるし、無になると言う人もいるし、輪廻転生するという人もいます。仏教では「生きていた間にやったことが因果応報で返ってくる」と教えているというわけです。(なので輪廻転生も因果応報の結果の一つとして捉えて頂くといいかと思います。)

>否定したいわけではなく、そういう風に考える事もできることに対して、どういった説き方をしてるのかなと思いまして。信じるか信じないかはあなた次第という事でしょうか。
確かにいろんな風に考えられるところだと思います。なぜなら確かめようがないからです。なので「証拠はあるのか?」と言われたら無いです。ですが「それをとりあえず正しいものとして受け入れてどんどん先へ進んでみないと、今の自分のやり方・考え方じゃラチがあかない」という気持ちで僕は聞き続けていきました。もしダメだったら元の自分の考え方に戻ればいいんです。

>ただ、それを逆手にとって金儲けに利用する新興宗教もありますから、ただただ喜ばしいだけの話しでは無いかなと思いました。
仏教を原典とした新興宗教は山のようにありますからね。僕は今のところ金品を要求されたり活動を手伝うことを強要されたりしたことはないですが、確かめようがないからこそ、人の不安な心理を逆手に取ることが出来るんだと思います。

URL | ゆとりさとる #-
2014/04/01 20:00 | edit

わかりやすい解説ありがとうございます。
すごく無知な質問なのですが、仏教というのは主に人間に対する話なのでしょうか。例えば私達以外の生命体はいったいなんなのかと思いました。
人生の目的を見つける趣旨からは外れますが、例えば彼らにも彼らの意味があるということなんでしょうか?

もしくは、仏教は人間が人間であること前提の話なのですか?
縁とか因とかも結局それは人間同士の繋がりのことですか?

URL | U #-
2014/04/01 20:21 | edit

Re: タイトルなし

>Uさん
いつもコメントありがとうございます。何でも聞いてください。
仏さんの救済の対象は生きとし生けるもの全てです。なので魚や動物も人間と等しく一つの命です。キリスト教では動物は神が人間の食料として与えたとかなんとかありますが、そういう差別は仏教ではしてないですね。
しかしそういった動物も含めて阿弥陀さんは必ず救うぞとおっしゃってるので、どうやって救うかは知りませんがそう言われている以上は救われるんでしょうね。
ただし、仏法を聞いて救われるのは必ず人間であると言われてます。なぜなら人間は言葉を話すことができるからです。なので、結果的には救うのは人間からということになりますね。
縁とか因は動物どころか植物や無生物までありとあらゆるものに適用されます。ペットを飼っていらっしゃる方なんかは、そのペットとよほどの因縁を持っているってことなんでしょうね。

URL | ゆとりさとる #-
2014/04/01 22:14 | edit

読んでます

読んでます。
割りと同じような人生を送って、虚しさというか、よくわからなくなってしまった人間の一人です。
S会にも自分で行ってみるとして、さとるさんの解釈の続きが早く読みたい。

URL | okn #-
2014/04/06 14:10 | edit

Re: 読んでます

>oknさん
コメントありがとうございます。読んでいただけて嬉しいです。
ちょっと更新空いてしまいましたがまた今週から再開する予定です。
S会についてですが、仏法の基礎や浄土真宗の概要についてはとても詳しく教えてくれます。
ただ、本当に本気で信心を得るとなるとここでは難しいと思います。(少なくとも僕はそうでした)
今後出てくる予定の、華光会というところで僕は今聞かせてもらってますが、そこに限らず本当の信心について教えているところはそれなりにあるので、oknさんにとって納得のいくところを探してみてください。

URL | ゆとりさとる #-
2014/04/06 20:35 | edit

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