ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

人生は消去法のような気がする  


人生って消去法だよな、と思う。生まれてから最初の内は何でも刺激的、何でも楽しい、何やっても幸せってところからスタートして、でもすごい勢いであれも違うこれもなんか違うって切り捨てられていくんだと思う。その証拠に今ではもう小学生の頃みたいな遊び方とかって出来ないよね。厳密に言うとやろうと思えば出来るけど、当時のような無邪気な感覚にはなれない。

で、その消去法によって消されたものとまだ消されずに残ってるものの違いって何かというと、これがいわゆる善悪とか幸不幸なんじゃないのかな?って最近思うようになってきた。消した奴は悪だし、残ってる奴は善。だから僕らは誰しも、常に善をやろうと心がけてると言える気がする。周りから見てどうとかでなしに、自分的に、という意味で。

僕だって、なんだかんだ今のニート生活をいい事だと思ってやってるわけよね。何も考えずにただ漠然と、周りに流されるがまま会社人生を送ることは僕の中では悪っていうことになってる。これはもちろん僕の中だけの話なので、人に対してそういうことを言うつもりはないけど(いや結構言ってしまってるけど)。

ただ注意してほしいのは、ここで言う善悪っていうのは「自分が幸せになれるかなれないかの違い」という意味なので、勧善懲悪とかの善悪とは全く違う。自分が幸せになれることは全て善だし、幸せになれないことは全て悪だっていう感じで捉えてもらえればいいと思う。

ということで、僕は会社にいても微塵の幸せも感じられないと思ったから、僕の中で会社人生は晴れて堂々の悪行入りを果たしたというわけだな。そして今はニート生活が善(幸せ)として僕の中で大きな存在を占めてる。

でもまた何年かしたらニート生活も悪に変わっていくんだろうなぁ。だって今まで何一つ、幸せとして残り続けてるものってないよ。食べることと寝ることくらいかな?でもそれにしたって「これこそが俺の生きる意味ッ!」って思えるほどのものには見えないし。変わらない善(幸せ)なんてものは無いのかもしれない。あ、だから人生は消去法なのか。

善悪って言葉を幸不幸の他に表現するとしたら、意味があるかないか、ということにもなるかもしれない。僕の中で会社人生には意味がない。ニート生活には意味がある。意味がある=幸せ=善、意味が無い=不幸=悪、という図式なのかな?

こうして分けると人生ってはっきりしてるよなと思うんだけど実際はこんな綺麗に分かれてなくて、凄まじく入り組んで複雑に絡み合ってるから善悪の区別ってつきにくいんだと思う。例えば会社での仕事は悪だけど給料を貰うことは善、みたいな。ニート生活は善だけど将来の不安を感じるのは悪、というように。

善をするには悪もこなさなきゃいけないのかな。よく「仕方がない」って言うけれど、そういうことなんだろうか。ほんとにいいと思えること、意味があると思えることだけをやってる期間て素晴らしく幸せなような気がするのでなるべくそういう状態に持って行きたいんだけど、どうしたら良いんだろう。

人生はなんて生きづらいんだ、と思う人はもう悪だってわかってることをそれでも延々とやってるからなんじゃないかな。人間のやることって幅広いし、まだ味わったことのない善があると思うからそういうのを追っかけた方がいいように僕は思う。

関連記事

category: 未分類

コメント

人生には何も無い。

はじめて書き込みします。

《人生は消去法のような気がする》

 ある人が「人生は死ぬまでの暇つぶしである」と言っているのを聞いた事があります。
 このように人生とは別に何かいい事やドラマチックな事があるわけではないと考えると気持が楽になるような気がします。


URL | タケゾウ #-
2013/07/25 22:49 | edit

Re: 人生には何も無い。

>>タケゾウさん
コメントありがとうございます。
いい事やドラマチックな事がない…というと、確かにそうかもしれません。でもそうするとなぜ生きる必要があるんでしょうか。死にたくないからと言えばそうなんですが、そうまでして生きる理由もよくわかりません。最近、仏教の話をよく調べるようになったのですが、宗教はそういう問題を解決する役割を担ってるのかなと思います。

URL | ゆとりさとる #-
2013/07/26 10:44 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://hjkd8yg.blog.fc2.com/tb.php/241-e67dd592
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)