ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

当たり前だと思うことが不幸の始まり  

飲みましょう


昨日は昼過ぎから例の友人と酒を飲んでた。彼は前回の集まる会にも来てくれたし、今度の関東の会にももしかすると来てくれるかもしれない。彼と話を始めるとどうでもいい前振りとかをすっ飛ばしていきなり本題に入れるからなんかいいなぁって思う。仲がいいってそういうことなのかな。

その友人はもう長いことブラックと言われている某居酒屋チェーンで意味不明なくらい働いてるので、会うと必ず「サービス」というものについて話すんだけど、今回はその時に出た彼の経験談から思ったことを書きたいと思う。



まずは以下友人の経験談。

彼の居酒屋には毎日、深夜になると必ず来る仕事終わりの女性客がいるそうなんだけど、彼女はいつも同じ商品を注文するらしい。で、その商品ってケータイクーポンが使える商品らしくて、毎回会計時にそのクーポンを見せてもらって伝票の値段を書き直すという作業をやるんだってさ。

ある日、もう来ることも注文するものもクーポン見せてくるのも分かりきってたから、会計の時に最初から値段を書き直して待ってたらしい。すると女性はそれを見た次の日、会計時にクーポンを出して来なかったんだって。自分がクーポンを出すことを店員側も当たり前にわかってるって思ったんだろうな。友人は一応「クーポン見せていただけますか」って言ったらしいけど、後で「甘やかしてしまった…」って後悔したらしい。

この話して「サービスをするって難しいなー」みたいな話になったんだけど僕はそうは思わなくて、これは「気持ちのやり取りがどう行われているか」って部分を見るとスッキリする話だと思う。で、これってまさに日本の経済が行き詰まってる背景の縮図だなぁーって思う。

友人の気持ちについては店員側の立場になって考えるとわかるんだけど、客にこういうことをされると結構イラッとするんだよね。クーポンを見せて割引するのって当たり前の話なのではなくて、あくまで店側の善意というか配慮として行なっているものじゃん?割引が当たり前なのなら最初からメニューの値段を下げてるわ!って話になるし。

だからここではあくまで「クーポンを見せて、店側がサービスとして値段を下げる」というプロセスがやっぱり必要なわけだよね。お客さんからお願いされるっていうワンクッションがいるんだと思う。でもさ、客側の立場にたって考えるとこのエピソードは実はそんなにおかしな話でもないんだと思う。

だってそもそもクーポンを発行してるのってその店自身なわけじゃん?それってなんというか、客からすると自作自演もええとこというか。だったら最初から値段下げとけよって思うものなわけよね。だから、店が自分で出してるクーポンをわざわざその店に対してこっちが手を動かして取り出すのって、本来はすごくめんどくさいことなんだと思う。

でもじゃあなんでそれを面倒臭がらずにやるかというとそれは値段が安くなるからに他ならないわけだけど、でもそれだけの理由ならやっぱり最初から値段が下がってる方が効率的じゃねーかということになってしまうよね。

まぁ確かにそれはそうなんだけど、でも実は「クーポンを見せて値段が下がる」ということに対して僕らはある種の爽快感のようなものを感じてるところがあるんじゃないかなって思う。クーポン出して、それを見た店員さんがレジ打ち直して値段が下がったらなんかちょっと気持ちいいじゃん。

つまり、ただでさえめんどくさい「クーポンを出す」という行為を可能にしてるのは、目の前で定価から割り引かれるっていうお得感がそうさせてるわけよね。だから今回のケースのように「既に店員さんが値引きした状態で待ってる」っていうのは、こっちからすると強烈に違和感なんだと思う。「値段が安くなる爽快感」っていう、言わば「クーポンを取り出すという仕事に対する報酬」が無くなってしまってるわけだからさ。

そうなると、もう客側としては余計な手間である「クーポンを出す」という行為なんて自分からやろうとするはずないよね。自分は無駄なこと、もうしなくていいことをしてるのかなとか思ってしまうだろうし。

と、いった具合に両者譲れない部分があるんだけど、今回のエピソードの発端は友人が客にとっての「目の前で値段が下がる爽快感」を取り上げてしまったところにあるんだと思う。なんだけど、でもそれを受けてお客さんが「じゃあもうクーポン出さねー」ってなるのも変な話ではあるんだよね。それは友人側の言い分の通りで、サービスを受けられるのってやっぱり当然の話では無いわけだし。

嬉しさとか喜びが生まれる瞬間って一方通行ではなくて、与えられた側ももちろんだけど与える側も相手が喜んでいるのを見て嬉しくなるものだから、「それが当たり前。やってもらって当然」みたいな気持ちになってしまうとお互いに「嬉しさ」とか「喜び」を感じるキッカケを失ってしまうことになる。

今回のエピソードでいうと、友人は「客がクーポンを出すのは当たり前」と思ってしまってたわけだし、お客さんは「値段が下がるのが当たり前」と思ってしまってたわけだよね。そうやって当たり前じゃないことをお互いに当たり前だと思うから、気持ちをやり取りする機会を失って逆にイライラとかすれ違いが生まれるんだと思う。

でもこれって今の日本のあちこちで起きてることだよなぁって思う。お金を払ったら満足いくサービスを当然受けられると思ってる人がいるけど、全然当然じゃないですから。あなたが自信満々に持ってるそれ、ただの紙切れですから。って言いたくなる人が多い。なんか…なんなんだろうな、この感覚。

期待してしまうのは人間だからしょうがないんだけど、それを当たり前と思ってしまったら終わりだと思う。まぁ終わりは言い過ぎだけど、不幸になるだけだと思う。自分の中の「これぐらいやってもらって当然」というラインを下回ったら常にイライラして不満がたまるわけじゃない?
だから、サービスのやり取りという点で幸せになろうと思ったら「できる限り当然だと思わないこと」なんだと思う。自分の中での「当たり前」の基準をどれだけ下げられるか、なのかなぁ。そうなると「じゃあどうすればその基準を下げることが出来るのか」っていう話になるけど、それはまたいつか書きたいと思う。

関連記事

category: 人間

コメント

わかる!

わかります!
気遣うことを当たり前に思われた瞬間の悲しさといったらもう…!

URL | かたやま #z8Ev11P6
2013/06/06 21:07 | edit

Re: わかる!

>>かたやまさん

なんか、一気にモチベーションが下がったりしますよね…。それってお互いによくないことだと思うんですけど、でもそれを乗り越えるのって難しいんだろうなぁ。

URL | ゆとりさとる #-
2013/06/07 00:32 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://hjkd8yg.blog.fc2.com/tb.php/217-31b45f3a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)