ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

「お金を超える価値を持つもの」が社会を変えるとき  

お金持ち


↑なんかこれいかにもお金持ってそうな招き猫だなぁ…。
タイトルの「お金を超える価値を持つもの」っていうのは、まぁ今更言うほどのことでも無いんだろうけど、自分にとって嬉しいとか楽しいとか有難いとか思える気持ちのことだよね。人の心はどんな大金をかけても手に入るものじゃない。お金ってのもそれが手に入って「嬉しい」「楽しい」なわけだから、結局人間っていかにこの感情を感じて生きることが出来るか、みたいなところがある。



例えば自分が欲しい物を手に入れる時にAmazonでポチって宅配便で手に入るのもまぁいいんだけど、そうじゃなくて好きな人から貰えるのとでは、「欲しい物が手に入った」という結果は同じだけれど、手に入った時の気持ちが随分違う。そしてそれはお金じゃどうやっても解決できない問題なんだと思う。

結局これからの世の中ってそういう「感動」がお金に変わる価値としてもっと評価されてくるんだろうな。でも、別にそういう「感動」が今になって大切だってわかったわけじゃなくて、昔からそういう「人の気持ち」を大切にする習慣・考え方は必ずあったんだよね。人間ってそもそもそういう感情を原動力にして生きてきたわけだしさ。今の時代が特別に「お金お金」って偏り過ぎてて人として不自然すぎるっていうだけな気がする。

ただ、拝金主義がこれだけはびこってしまった理由というのもあるのはあるんだよね。
まず「感動」って人によってその基準がまちまちだから、どうしても普遍的なサービスとして提供できないということ。例えばさっきの「好きな人からプレゼントされる」というのはすごくわかりやすい例だけど、どんな大企業や資本をたくさん持った技術力・サービス力の高い会社でも、これは実現することはできない。なぜならその人にとって「好きな人」ってのはその相手にしかこなせない役割だから。

当たり前だけど、ここがお金とは大きく違うところだよね。お金は基本的にどこに行っても誰に対しても、等しく数量化された「喜び」を与える機能を持っていて、インパクトの強さは「感動や特別な思い」には負けるんだろうけど、とにかく便利なんだよなぁ。

仮にだけど、今ここにすっごく仲の良い親友同士でできた村があったとして、そこの住民はみんなそれぞれが生活に必要なスキルを役割分担していて、お互いに困ったときにそれを提供しあっているとしよう。彼らはお金を介さずに助けあって生活をしている。仲がいいから頼まれたことは基本的に断らないし、その村だけで社会が完結しているとする。

これがもし実現できればすごく温かで思いやり溢れる社会になるんだろうなぁって思うんだけど、やっぱり問題が出てくる。例えばAはお酒を1升交換しようとして、Bはその代わりにお米を1升もってきたとする。すると、いくら仲がいいとは言ってもだんだんお互いに不満がたまってくる。

Aは「酒を作るのに一体どれだけの米がいると思ってるんだ。同量で釣り合うわけないだろう」と思うし、
Bは「米一粒作るのにどれだけ時間と労力がいる思ってるんだ。飲み物程度が同量で釣り合うわけがないだろう」と思う。

物々交換みたいなお金を介さないサービスのやりとりって、その人が心の底で一体どれくらい感動してくれているかが他の人にはわからないんだよね。だから、みんなが納得する思いやりの基準ってのが決められない。だからこそ物々交換という制度を止めて、お金という普遍的な一定の価値を持つものを発明したんだよね。だからお金が出来た時はこの不満を解決する世紀の大発明だったんだと思う。

けど、ただお金とサービスをやりとりするだけって、やっぱりすごく味気ないわけよ。財布の栄養はお金なんだろうけど心の栄養はやっぱり人の気持ちだから、お金の便利さだけで生きても肉体は維持できるんだろうけど、心を持った人としての生活は送れないんだと思う。元気に生きていけないんだよね。

物々交換は必ず不公平が起きて誰かの不満がたまるし、お金のやりとりは便利だけど味気なくて社会に生きてても孤独感しか感じなくなる。じゃあどうすればいいのか??

解決のヒントは「本来の人間関係とは何なのか」というところなんだと思う。それはこの記事の最初に書いたように、「気持ち」なんだよね。

なぜ物々交換に不満が出てくるのか、そしてなぜお金のやりとりが殺伐としたものに感じるかというと、そこに「気持ちがこもっていないから」なんだと思う。人間ってお金とかモノとかサービスを交換しあってるように見せかけて、実は一番大切なのは「気持ちをやりとりできているかどうか」というところなんだろうなと思う。

実はブログじゃ言ってなかったけど「ゆとりさとるWed Design Works」はちゃんと稼働していて、今は北海道の町おこしを考えてるという、僕と同年代の男性の方からの依頼を受けてる。彼の思いとか世界観はとっても面白くてワクワクするので、ぜひページが出来上がったら紹介したいなと思ってる。楽しみだなぁ。

で、僕はHPに書いているように「報酬は1万円でいいですよ」って言ったんだけど、「あくまでお礼の気持ちとして、報酬とは別に払わせてください」ということで、別のお金を払ってくれたんだよね。

その方はフリーターのようなニートのような、まぁ僕と同じような感じの人なんだけど、そんな人がお礼の気持ちとして報酬とは別にお金を出してくれた。僕はその気持ちがとてつもなく嬉しい。金額の問題じゃないし、別にこれがお金じゃなくてモノでも何でもいい。僕は僕のやりたいこと、誰かのために自分が今出来ることをやりたいと思って、HP制作を引き受けた。だからそれは言ってみれば自分のためなんだよね。けれど、そんな僕の行為に彼はお礼がしたいと言ってくれた。決してお金が余ってるわけじゃないだろうに、気持ちを込めてお金を出してくれた。

これだ。これなんだ。今の社会に足りないのは。気持ちと気持ちとが、お互いがお互いのためを思って、今の自分に出来ることを精一杯やりあう、この生き方が圧倒的に足りないんだ。と、僕は感じた。

僕が理想とする社会って、そんな風に気持ちと気持ちが行き交う社会なんだろうなって思う。相手を尊重して、ただただお互いに自分が出来ることを精一杯やる。行き交うのがモノだろうがお金だろうが関係ない。それはただの結果としてそういうものが選ばれただけで、本質はそこじゃない。そこにどれだけの気持ちがこもっているか、ということなんだと思う。

僕はこの「お金を超える価値を持つもの」が、近いうちに必ず社会を変えていくと思う。前からずっと思ってはいたけど、HP制作をきっかけにやりとりした彼との経験がさらに僕を後押ししてくれた。少なくとも僕は、そんな世界に生きたい。そんな思いをもって生きる人達と生きていきたい。お金を貰うことを前提に「その金額だったらこれくらいですねー」みたいな、自分の心の何の足しにもならない働き方は二度としたくない、って思う。

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category: 社会

コメント

生まれてきた目的について

こんにちは。

お金を超える価値を持つものとは、人が生まれてきた目的に気付くことだと思います。

累計納税額日本一の斎藤一人さんの「地球が天国になる話」を読みました。斎藤さんによると、劣等感の克服が生まれた目的と書いておられました。
そのお話をダウンロードできるサイトがありましたので、ぜひ聴いてみてください。
斎藤さんの肉声での吹き込みです。

http://positive1358.seesaa.net/category/2438415-1.html

URL | やきたこ #-
2013/05/14 16:20 | edit

Re: 生まれてきた目的について

>>やきたこ

こんにちは!コメントありがとうございます。

斎藤一人さんのお話を聞きまして、なるほどと感心しました。僕は欲望と思っていたのですが、確かに劣等感という言葉の方が正確ですね。欲望はそもそも純粋なものですし。仏教では煩悩とが悪業と言われるものですね。

人が生まれてきた目的に気付くということは確かに人生の本質ですが、でもどうやってそれを実感するか、その方法が問題だと思うんですよね。
斎藤さんは天国言葉という言葉を繰り返し唱えよとおっしゃっていて、それで救われる人もいるんでしょうが、僕は日常生活・社会生活の営みの中で自然な形でそれを達成したいなと思うわけです。

しかし、手段はともかくとして斎藤さんの唱える目的について全面同意です。劣等感をなくし、お互いがお互いを尊重する人間関係を築くこと。これが目指すべき人の自然な姿であることは僕も強く実感しています。いいHPを紹介していただいてありがとうございました。

URL | ゆとりさとる #-
2013/05/14 17:44 | edit

コメントです

早々にお聴き頂き有難うございます。私は最終トラックの最後の神様の死神の話が好きです。

紹介いたしました音源は「地球が天国になる話」という題で本が出版されています。

斎藤さんは、「斎藤一人の絶対成功する千回の法則」という本の中で、言葉が変われば行動が変わると説いておられます。言葉の意味を理解したり信じたりしていなくてもよいそうです。

同書では、「幸せだなあ」と言うと、幸せが心に満ちてきて好機がやってくるようです。「豊かだなあ」と言うと、豊かな知恵がやってくるようです。

やってきた好機を掴めるようになるためには、「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」と言っていると、いつのまにか積極的になり、行動を起こせて、好機をいつの間にかしっかりとつかんでいるようです。

同書で、成功のためには努力は不要であり、努力とは、やりたくないことを嫌々することと定義されています。つまり、心に満ちていないことをやろうとすると無理が出るから、それを努力や苦労と感じるようです。心に行動が満ちていると、自然と努力を感ずることなく行動を起こせるようです。


紹介いたしましたサイトの別のカテゴリの千回の法則シリーズに斎藤さんの解説音声がありますので、そちらもご参照ください。

http://positive1358.seesaa.net/category/2949661-1.html


ありがとうございます。

URL | やきたこ #-
2013/05/14 23:46 | edit

追加です

追加です。

ニートについて、貴ブログでも取り上げられていた神田昌典さんの発言を見つけました。少し未来について希望が持てます。

http://blog.livedoor.jp/jimi2/archives/51064124.html


斎藤一人さんについてですが、一日100回「私は愛と光と忍耐です」を唱えるようにすると、因果の解消につながると、「知らないと損する不思議な話」で書かれていました。

先ほどの「~千回の法則」と併読されると、生まれてきた目的がつかめるかもしれません。

URL | やきたこ #-
2013/05/15 00:18 | edit

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