ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

悩みとどうやって付き合っていくか  

争い


人はいつまでも悩みや不安が尽きることがない。もうこれは人間の宿命というか、もしこれが無くなったら「私は人間を卒業しました」って言っていいんじゃないかってくらい人間の本質の部分だと思う。僕らは否応がなくこの感情に振り回されて生きることになる。

今回はそんな人間の深い部分に関わる悩みについて「なんでそんなことが起きるのか」ってところと、「どうやって対処すればいいか」っていう話。


「なぜ悩みが尽きないのだろうか」というのは、「なぜ自分をつねると痛いと感じるのか」というのと全く同じ問題なんだなって僕は思う。要は「つねることで痛いと感じる自分」がいて、それと同時に「自分をつねるっていう現象」とが一緒に起こるから「痛い」わけだよね。あれ、なんかすごいわかりづらいな。

つまり悩みの原因は自分が半分で、周りが半分っていうこと。あぁーこっちのがよっぽどスッキリしてるわ。で、なんでそう言えるのか、まずは自分に原因があるというところから。

そもそも、あらゆる物事って別にそれ自体に何か感情があるわけじゃないよね。工事現場の横歩いてたら目の前にでかいコンクリが降ってきたとして、「うぉわぁあああ!!何しやがんだこのボケぇえええええ!!」と思うのか、「あぁ神よ感謝します…もう一歩踏み込んでいたら私は死んでいるところでした」と思うのかは、別に降ってきたコンクリが決めることじゃない。その人がどう感じるかだけだ。

仕事でミスをしたり、上司に口うるさく注意されたとしても、それを幸と取るか不幸と取るかはその人の解釈次第って言える。何かが起こってしまった以上は、あとはその人がどう感じる人間なのかで全て決まるって言っていい。そういう意味では「悩みの原因は自分にある」って言えるよね。

じゃあもう一方の「悩みの原因は周り・環境にある」っていうのはどういうことかというと、まぁこれも別に解説するほどでもないけど、例えば働きたくない人が働いたらストレスが溜まる。その人は「働きたくない!」って言ってるのに働かされるわけだから、そりゃイライラや不満が溜まってくるに決まってる。

それに自分が大好きなことだったとしても、それを行う環境によってやっぱり自分の中での感じ方は大きく変わる。いくら好きな恋人と一緒に散歩するのが好きとは言っても、真夏の炎天下をずーっと何時間も歩いてたら嫌になるに決まってる。環境っていうのは、その人の好みや性格をガラッと変えてしまうくらい強力なものだってことだな。

悩みのメカニズムって、この「自分と環境」の両者がどう影響しあってるかで全て決まってるんじゃないだろうか。自分か環境か。あるいは両方か。それ以外の要素ってちょっと見当たらない気がする。
で、悩みがそんな風に生まれるのはわかったとして、じゃあ僕らはどうやってそれに対応していくのかということね。

基本的には「君子危うきに近寄らず」というのが僕らが取りうる最善策だなって思う。このことわざは「教養があり徳がある者は自分の言動や行動を慎んで、危険なところには近づかない」っていうことだけど、逆に言うと「いくら教養や徳がある者といえども、危険なところに近づいたらやっぱり危ない」っていうことなんだよね。

僕は前回の記事の仕事論の中で「自分の良心に従って仕事をしたい」とか言ってて、これだけを見るとなんだかゆとりさとるという人間はおおらかで優しいタイプの人間なんじゃないかって思われるかもしれないけど、僕だって嫌いなタイプの人間は山ほどいるし、ムカつくことは相変わらずムカつくわけね。

誰しも自分の中に「嫌な部分、醜い部分」があることは成人するくらいの年にもなれば自覚してくると思うけど、それは自分が悪いというのも確かにあるだろうけど、それ以上に「そういう自分の中の嫌な部分を出さざるを得ない状況に出くわしてしまった」ということの方が大切だと思うわけ。

なぜこれが大切かというと、はっきり言って基本的に自分って変えられないんだよね。よく「自分が変われば周りが変わる」とか、「相手に文句を言う前に自分が変わろう」みたいなこと聞くしなんか良いこと言ってるっぽいけど、そんなこと簡単に出来たら苦労しねぇっつーのとしか言いようがない。現実的には実現不可能な理想論のように僕には聞こえる。

だって無理じゃね??絵描くのが好きな人が音楽大国に生まれてしまったとして、「この国で芸術と言えば音楽だし。お前なんで絵とか描いてんの??」とか言われたら僕ならブチ切れる。そこで「周りに不満を言う前に自分が変わろう」とかほざいてる奴は、自分が音楽をやるのが別に不満がないからそう言ってるだけなんじゃないだろうか。

そういう場合は無理に音楽を好きになろうとするんじゃなくて、思い切ってその国を飛び出すべきなんだよね。まぁとは言ってもこの国に居る家族はとても大好きだから離れたくないみたいな別の要素が絡んでくると今度は悩みから葛藤へと変わるんだけど、それは優先順位をどうつけるかという別の話なのでここで置いとく。現実的には悩みというより悩みが複雑に絡み合ったこの葛藤の方が僕らにとっては厄介なんだろうけどね。

とにかく、悩みの原因は自分にあり環境・状況にある。日本人は環境を変えることにかなり抵抗がある人が多くて不満を感じる自分を責めすぎる傾向にあるけれど、それはほとんどの場合無駄な徒労に終わるというか、神経をすり減らすだけになると思う。

もちろん、数年とか数十年とか長い目で見ると自分を変えることも出来ると思うよ。「昔はああいう人は苦手で話してるだけでイライラしていたけど、今はまぁそういうのも別にアリだなーと思えるようになった」みたいに、悩みのタネである自分自身が変わることはもちろんある。懐が深くなるっていうか。

それはあるんだけど、でもそれってそんな「寝て覚めたら変わってました」みたいなものじゃないし、最終的にはそういう境地に辿りつくのが人間としてのあるべき成長なのかもしれないけど、それはまぁじいさんばあさんになった時にでも叶えられればいい話なので、とりあえず僕らが取るべき基本戦術は「君子危うきに近寄らず」なんだと思う。

嫌なことがあったら出来る限り全力で逃げる!そして楽しそうなことがあったら顔面から衝突する勢いでぶつかっていく!ということだな。そうすることで「好きな自分、本来の自分」を保つことが出来るんだと思う。
んー、でも途中書いたように現実的には単体の悩みよりも葛藤の方が僕らにとっての本来の悩みって感じだよなぁ。仕事は辞めたいけど給料が無くなるのは不安だ、みたいな。葛藤とどうやって付き合っていくかについてはまた別の記事に書こうと思う。

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category: 人間

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