ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

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やりたいことって言っても別に無いんですけど、という人はどうしたらいいのか  

ブリオッシュ


この前の関西集まる会に参加してくれた現在就活中の方から、「自分はこれまでの人生の選択肢を自ら発掘してこなかったのもあり、本当に自分が何をしたいのか、ということを見いだせずにいる。意外とそのような人は多いのではないか。」という内容のコメントを頂いて、「まぁ確かにそうだなぁーそういう人多いなー」って僕も思ってたので、そのことについて最近思うことを書いてみようと思う。



僕はどちらかと言うといろんなことを自分で考えて、選んで決めて動いてきたタイプの人間だと思う。なんだかんだやりたいことを突きつめて生きてきた人生なのかなって思うんだよね。会社辞めるってのはその集大成みたいな感じだったし。
でも今振り返って「じゃあそれで自分は満足できたのか?」というとあんまりそういう感じはなくて、周りの人からすると「自分という軸を持ってるんだな」とか、「ちゃんと自分で考えて偉いね」というところなんだろうけど、僕本人の感覚からするとそれはなんだか違うなっていう感じがするんだよね。

やりたいことをやるっていうのは、言ってしまえば自分の欲を満たすっていうことなんじゃないのって最近思うんだよなぁ。試合で勝ちたい、営業成績を上げたい、大金持ちになりたい、芸術を極めたい、などなど。なんかこう、自分の心の中にある満たされない何かを満たそうとしてるわけよ。

欲っていうと悪いものとか恥ずかしいものみたいなイメージがあるけど、それはどういう方向に生かすかが問題なだけで、欲そのものが悪いって感じはあんまりしない。むしろ人間として健康に、元気に生きていくための原動力みたいなものだよね。今挙げたような「やりたいこと」はそれぞれでとても素晴らしいことだと思うし、僕は相変わらず「人間なんて何やって生きてもいい」というスタンスだから、欲が悪いものとはとても思えない。むしろ欲深くて図々しい人の方が楽しく生きてんじゃないのとすら思えてしまうし。

けどそうは言っても「自分が何をやりたいかわからない」っていう人は少なからずいて、というかたくさんいて、以前の僕からすると「この人何も考えてねーんじゃないの。誰だって一つぐらい何かあるだろー!」という感じだったけど、最近は見方が変わってきた。

「やりたいことがない」って、それはつまり「すごく満たされてる」っていうことなんじゃないだろーか。これまで何も特に困ったこともなくて、だからこそ自分で何かを決めたり選んだりっていうことを「敢えてする必要がなかった」ってことなんじゃないかなぁ。

つまり別にこれから新しく何かしなくても、自分のことについてはもう満足してるんだと思う。僕の大学の同級生とか後輩とかも、それを言う人って結構いる。最初は「どこそこの業界行きたい」とか言ってるんだけど、突き詰めて話を聞いてみると「正直言うと何もしたくないんです」っていう答えが返ってくる。

そういうことを聞くと、「覇気がない」とか「夢を持てよ」となるところだけど、何もしたくない、やりたいことがない、っていうのは「自分の意思がない」ということじゃなくて、とてつもなく恵まれた、満足した環境にいるってことなんだよね。だから無理に「これが自分のやりたいことだ!」って張り切って決めなくていい気が最近してきた。だって無理は良くないじゃない。嘘ついて「自己実現したいんです」とか言ってもしょうがないし。

「でもそれじゃ会社決めらんないし、やっぱり何かしないと生きていけないよ」となるんだけど、そんな人たちに僕から提案したいのは、「やりたいことをやる」という自分中心の視点を変えて、「困ってる人いないかな」という他人中心の視点を持ってみるっていうこと。

目の前に困ってて自分に助けを求める人がいたら、「あっこれはヤバい早くなんとかしてあげなきゃ」って思って勝手に体が動いたりするけれど、それって一つの強い「原動力」だと思うんだよね。やりたいことをやって、自分の欲望を満たそうとする力は確かに強力で、人間にとっての大切な「原動力」なんだけど、そのタイプの原動力が自分には見当たらないと思うのであれば、どっか他のとこから持ってくるしかない。それが「困ってる人を助ける」っていう視点なんじゃないだろーかって思う。

「人助け」というとボランティアをするっていうのがパッと思い浮かぶイメージだけど、それは別にそうとも限らなくて、僕は本来仕事って「人助け」なんじゃないのってずっと思ってる。「対価を超える付加価値の提供」なんて難しい言葉で説明されたりもするけど、仕事なんてそんなごちゃごちゃした損得勘定というより、「困ってる人のために何か自分に出来ることをする」っていうものなんだと思う。

だから「自己実現のために、やりたいことをやるために」というより、「自分が手伝ってあげたほうがなんか良さそうだなー」って感じで仕事を探してみるのはどうだろうか。「仕事内容は全然興味ないけど、職場の人がとてもいい人達だから今の仕事に満足してます」っていうのはまさにそれだよね。書類作成も電話の取次もお茶くみも掃除も、自分のためって考えたら下らないしつまんないけど、大好きな人達のためだったら頑張れる。むしろ楽しい、みたいな感覚。

それは「職場の人」っていう部分をキーワードにして「助けてあげたい」ということになるけど、これが例えば「お腹空いてる子ども」っていうキーワードで「助けてあげたい」だと、給食のおばちゃんとか、学校近くのパン屋さんとか、そういうことになるんだと思う。

しかしこれはあれだな。もっといろいろ考えてみる必要があるな。僕もこういう考え方が出来るようになったのって最近だし、正直「誰かのために何か出来ることをしてあげたい」というのを具体的にどうやって活かせばいいのかは僕にもよくわかってないし。けど、人として自然に生きる形として「やりたいことをやる」っていう視点だけじゃなくて、「困ってる人のためにやる」っていう視点がありそうだなってのはなんとなく思うので、今回の記事の主張にしてみた。

やりたいことがなくて困ってる人の、何か参考になれば嬉しいです。

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category: 人間

コメント

初めまして、最近ちょこちょこ拝見させていただいております。
今回の記事を読んで、少し自分が思ったことを書かせてください。

やりたいことが無い、という人は、欲を持つことに罪悪感があり、
無意識に本当の欲求を封じ込めてしまっているのだと思うのです。
ゆとりさとるさんのように欲を持つことに抵抗が無い方は、
他人の為に何かをすることが喜びに繋がりますが、
やりたいことが無く無気力な状態に陥っている人は、
これまで自分の欲求を封じ込めて我慢し、他人の要求ばかりを飲んできた人です。
自分に自信が無く、他人からどう見られるかが気になって、
他人から良く見られたいという気持ちが強くなりすぎ、
自分の欲求に耳を傾けることを疎かにし、
他人に認められるために他人の欲求を叶えるだけの日々を送ってきた人です。
そうなると、人が聞いて「立派な夢を持っておられますね」と感心されるような
上っ面なニセモノの『やりたいこと』しか考えられなくなります。
そういう人にとって、他人の為に何かをするという行為は、
更に自分を疎かにすることであり、ますます無気力状態に陥ってしまいます。

人間には必ず、原動力となる欲があります。
やりたいことが無い人は、まず無意識レベルにまで封じ込めてしまった
自分の欲求を引き出すことが必要な気がするのです。
それには一般論だとか、世間の目に怯えない、他人にどう思われようが自分は自分だ、
誰かに認められなくたって生きていける、という強い気持ちが必要で、
どんなにバカバカしいと思っても、無意味に感じても、
それでもやってみる勇気が持てれば、無気力状態から少しずつ脱出できていくらしいです。
本からの受け売りなのですが……。

ゆとりさとるさんのブログを読んでいると、
「あなたはあなただよ、それでいいじゃん。あなたはそのままでも価値があるんだよ」
というメッセージを度々受け取り、自分に自信が無い私にはそれがとても心強いです。

自分も今本当にやりたいことを引き出している最中です。
それは世間一般の立派な成人から見たら下らなく、恥ずかしく、意味の無いことばかりで、
けれどそれをやっている時、とても楽しいです。(もちろん他人に迷惑はかけません)
自分が楽しいと、他人にも自然と優しい気持ちになれますね。

文章を組み立てるのがヘタクソなので恥ずかしく、これを書くのもかなり勇気がいりました。
長くなってすみませんでした。
ゆとりさとるさんの書かれる元気が湧いてくる記事が大好きです。
更新大変だと思います。お体に気をつけて。これからも楽しみにしています。

URL | 高津 #-
2013/05/01 15:44 | edit

Re: タイトルなし

>>高津さん

>他人に認められるために他人の欲求を叶えるだけの日々を送ってきた人です。
確かにそうかもしれません。けどそれも一つの欲ですよね。やってることは上っ面のペラッペラの事だったとしても、その場しのぎの体面を取り繕うことは出来るわけで、それがその人にとっての「やりたいこと」なんでしょう。
そのためには「自分の欲求を封じ込める」必要がありますから、「欲を持つことに罪悪感を感じる」のがその方法として一番手っ取り早いということなんじゃないでしょうか。解釈とか感情って、良くも悪くも自分の都合のいいものになりますからね。

けれどそんなことをいつまでやっててもしょうがない、というのも事実です。そのことに心から気付いた人だけが初めて「自分由来の欲求」に目を向けることが出来るということなんでしょうね。

でも「自分由来の欲求」を叶えていってもしょうがない、という事実に気付いて、やっぱり他人のために生きたほうがいいな、というのが今の僕の状態かもしれません。なんかグルグル回ってますね。

まとめるとやっぱり「やりたいことをやる」しかないことに気付きます。引きこもりたい人は引きこもる。ニートしたい人はニートする。親や世間の言うことに従いたい人は従って生きる。自分の夢を追いたい人は夢を追う。それら一つ一つがグルグルと螺旋を描くように、その人にとって大切な成長になっていくような気がします。

こちらこそコメントありがとうございます!高津さんも原動力となる欲を見つけて、力強くて生き生きとした生活を目指していって下さい!応援してます。

URL | ゆとりさとる #-
2013/05/01 18:25 | edit

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

 |  #
2013/05/03 00:41 | edit

いじめについて

おはようございます。

突然ですが、ひきこもりやニートの問題は、いじめと無関係ではないと思います。

学校で散々苦しんでいれば、社会へ出るのが怖くなるのが当たり前だと思います。学生から社会人への転換は誰しも怖いとは思いますが、被害に遭えば、もう越えられないぐらいの壁に感じるのかもしれません。

いじめられっこって、なめられてるんだなあと思います。反撃するという発想がないから、なおさらなめられるんだと思います。10年以上前のドラマGTOでも、鬼塚教師がいじめられっこの子(確かその役者は小栗旬でした)に相手になめられるのが一番良くないと話していました。

以前、ゆほびかという雑誌で、斎藤一人さんという方の記事を読みました。

対人関係がつまらなく感じるのは、相手にいばったり、なめられていたりするからだと語られていました。対処法は、「いばっちゃいけない、なめられちゃいけない」という言葉を口癖にすることだそうです。するとその言葉が脳に入り(怪しく聞こえたら済みません)自然に対処できるようになるようです。この教えを全国の学校に広めたいですね。

URL | やきたこ #-
2013/05/03 09:27 | edit

Re: いじめについて

>>やきたこさん

「対人関係がつまらなく感じるのは、相手にいばったり、なめられていたりするからだ」

ほんとその通りですね。ありのままの自分と相手とで関係を作ることが出来れば、利害が絡んでいてもお互いを尊重することが出来るんですよね。
しかしその心を抑えることって、すごく難しいでしょうねー…。ある意味人間というか動物の本能的なところなんじゃないでしょうか。もちろん、一人一人が意識することで変わっていけることだとは思いますが、やっぱり難しいと思います。人間って自分に都合が悪いことはすぐに忘れてしまいますしね。。

けれど、そんな社会になればいいなって僕も思います。

URL | ゆとりさとる #-
2013/05/03 18:01 | edit

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