ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

結果を求めて良いことなんかない  

寝っ転がる



僕はosu!っていう音ゲーが好きで、仕事を辞めてからの大切な暇つぶしになってる。もはやライフワークだ。このゲームはオンラインで世界中のプレイヤーのランキングが常に表示されていて、綺麗に譜面を叩いて高い点数を出すと少しずつランキングも上がっていくようになっていく。

こういうゲームをやっていると必ず湧いてくるのが「ランキングを上げたい」っていう感情だ。



僕は音楽が好きで、リズムに合わせてなんかを叩くのが好きで、ゲームが好きだ。だからその欲求を満たしてくれるこういうゲームを見つけた時はその素晴らしさに感動したというか、やっぱネットってすごいなとか思ったりする。けど最初は当然すごく下手なところから始まって、でもやっぱり面白いから続けていく。そうやって少しづつ上手くなっていく。

そうするとたまに会心の1曲というか、とにかく普段出せない良いスコアが出せる時がふっと現れるんだよね。「うおぉー!上手くなったー!うひゃー!」って1人で喜んでるんだけど、その内そういう点数が出せることに味を占めるというか、同じ曲をやってても途中でミスしたらもういいやってなってつまらなくて諦めるようになったり、一回最高点出したからって理由でもうその曲を遊ばなくなったり、「結果を出すこと」がいつの間にか自分の中で大きくなってくる。

それが行きすぎて来ると、調子が悪い時にはイライラするようになったり、何回もやってようやく良い結果が出たとしても「こんだけ頑張ったんだから当然だな」とか思うようになったりして、最初の「音楽が好きで、リズムに合わせて叩く感触の楽しさ」みたいなものが遠くのところへいってしまってる感覚になる。

こういう気持ちが自分の中に起こる度に、「結果を求めること」ってなんて虚しいんだろうなって思う。結果を求める人は、結果しか見えてない。それはある種の「やる気」ではあるんだけど、盲目的というかなんというか、過程を楽しむ最初の心なんて無かったかのように結果だけを見てしまってる。

同じようなことが囲碁をやっててもあるんだよね。僕がやってるのはスマホアプリにもなってる「幽玄の間」っていう奴なんだけど、これも同じように勝てば点数が手に入って、負けると点数が減って、持ち点によって自分の段位が決まるシステムになってる。こういうのはとにかく負けると悔しい。段位が下がる瞬間なんて「ぐぁぁあー!」ってなる。囲碁を打ってるだけで楽しいっていう最初の気持ちが、いつの間にか点数に支配されるようになってくる。yahooゲームの囲碁コーナーとか、負けそうになると回線切る人結構多いしね。

僕はそういう行為や態度が迷惑だとか人としてどうのとか言うつもりは全くない。別に何やったっていいと思う。ただ、そういう行為って何より自分にとって良くないっていうことを言いたい。そんなことしてても自分が気持ちよくない。心からその行為を楽しんでる時って、結果がどうなっても「ふーん」程度にしかならないし、そういう感覚で何でもやっていく方が人生楽しい。もちろん、いい結果が出たら素直に喜べばいいんだけどね。

この辺りが「嬉しい」と「楽しい」の感情の違いなんだろうなぁ。僕は今まで「喜怒哀楽」の意味がずっとわからなかった。怒と哀はわかるけど、喜と楽ってほとんど一緒じゃね?と思っていた。でも、それはやっぱり大きく違っていたんだな。喜っていうのは結果に対して出る感情で、楽っていうのは行為の過程で表れる感情なんだ。

だから仕事の紹介で「お客さんの喜ぶ顔が見たくて仕事をしています」っていうのはよく聞く言葉だけど、僕からするとちょっと危ないなと思う。なぜならそれは「結果だけを追い求める」状態になってしまってる可能性があるから。そういう状態になってしまうと、「お客さんが喜んでくれないのなら、自分の仕事に意味なんてない。結果が全てだ」とか言ってしまうことになって、やりきれない気持ちになってくる。それがもっとひどくなると、「この人はただサービスをして欲しいだけで、別に自分が必要ってわけでもないんじゃないかな…」みたいに、なんだか疑心暗鬼みたいな感覚にもなってくる。何かのジャンルの売れっ子が「自分は世間から○○をすることだけ求められてるんだな…それ以外に自分の価値なんてないんだ…」とか思って虚しさを感じるとかいう話を聞いたことあるけど、それも結果ばかりを追い求めてしまったからなんだと思う。

きちんと過程も「楽しんで」いれば、お客さんが喜んでくれなくても「うーん、今回は残念だったけど、次からはこういう風に工夫してみよう!」って素直に思えるし、そもそも相手がどう思おうがあんまり関係ない。だって楽しくやってることだから。それがある種の心のゆとりになって、ほんとにこの人は充実した仕事をしているんだな、って周りから見て「生き生きした感じ」に映ってくる。そうすると不思議と「良い仕事」になってくるんじゃないかな。

このブログだって、読んだ人にこう思って貰いたいなーとか、ゆくゆくは本にでもできねーかなとか、もっとアクセス増えねーかなとか、コメント下さいお願いしますとか、そりゃ僕だって欲を言い出せば限りないけど、でもそれはどんなに取り繕ったって「結果」でしかない。僕は結果だけを見て行動することは、会社を辞めたと同時にやめた。僕は自分が楽しめることしかしたくない。それなら、どんな結果になったって後悔はないから。

そうは言ってもやっぱり最高点が出せそうになってくると「うぁぁこれはいけるかもしれない…!」と思ってしまって逆に焦ってミスることなんてしょっちゅうなんだけどね。純粋に行為だけを楽しむことがどれだけ難しいかってことなんだと思う。まだまだ僕も下心があるなぁ。

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category: 人間

コメント

小学生のころ、何気なく落書き帳に喜怒哀楽のめいめいの表情を描いたことがあります。喜と楽は表情に殆ど差が無かったですね。表情に差はなくてもこんなに意味が違うのも面白いですね。なるほど、と納得しました。楽しいという感情はなかなか非の打ち所がないというか、いいですね。

自己顕示欲は誰しもがあって当然ですよ。面白い内容であれば、ゆっくり時間がかかっても自然に目立っていくと思います。応援してます。

URL | HEY #-
2013/04/07 03:14 | edit

Re: タイトルなし

>>HEYさん

そうですね、今のところ楽しいっていう感情にデメリットというか、何か自分にとって良くない要素って見当たらないです。何でも楽しめれば楽しめるほど良いもののような気がします。

自分の気持ちのメモ用とは言え、ブログに書いてる時点で僕だって誰かに声を聞いて欲しい気持ちがありますからね…。悪いことではないですが、それが行き過ぎないようにバランスを保つ感覚が、成功すればするほど難しいんじゃないかと思います。応援ありがとうございます!

URL | ゆとりさとる #-
2013/04/07 13:19 | edit

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 |  #
2014/08/11 16:25 | edit

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