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一人前は自立しているか?  

一人前



お便りで頂いた話の続編。今回は「一人前は自立しているか」というテーマで書いていくね。

先に謝っておきたいのが、最終的な答えとしては「わからない」ということになります…。いや、その、なんというか、うん。これは難しいッ!
でも、「なぜわからないのか」に関してはもちろん答えがあるので、ぜひ続きを読んでもらえればと思います。



まずそもそも「一人前」ってなんなのか。とりあえずググってみたところWiki先生曰く、

「責任ある仕事をし、家族を養う能力のある者を指す」とか、
・作業能力。共同体の一員として、与えられた役割を臨機応変にこなせる能力。
・社会的能力。その場に相応しい言動が出来る能力。

こういう能力があることが一人前であることの要件らしい。ちなみにフリーターとかニート・ひきこもりは一人前じゃないんだってさ。

「責任ある仕事をし、家族を養う能力のある者を指す」っていうのはどうなんだろう。じゃあ例えば専業主婦は一人前とはみなされないんだろうか。この定義だと「働いていて、稼ぐ能力があるかどうか」っていうのが一人前の境目みたいな風に思える。

逆に、その次に書いてある2つの能力を持っているような人間っていうことであれば、ある意味小学生でも一人前と言えるよね。学校にいるときは小学生という役割をこなして、家に帰ったら子どもという役割を臨機応変にこなしてるし、小学生とか子どもとしての言動ができればオッケーってことだし。
そういう意味じゃニートとかフリーターも別に一人前といっていいかもしれない。「環境に適応して、その環境に準じた発言、行動を取る」という意味であれば。

ただ、環境っていうことを考えるのであれば、話はもっとややこしくなる。
例えば世界一の富豪とアフリカで暮らす原住民を比較した時に、どっちが一人前って決められるだろうか。資本主義で社会を形成した文化に放り込まれた時、富豪は間違いなく一人前だ。けど、そんな富豪もサバンナみたいな環境では3日もまともに生活できない半人前になってしまうだろうしね。もちろん、その逆も然りなわけで。

うーん…。どうもしっくりこない。数年前までの僕のイメージで一人前と言えば「一人暮らしができる」っていう感じだった。一人で生活をして、働いていける。
でもそれだと介護が必要な人は一人前じゃないのかとか、さっきも言ったように仕事が無い専業主婦は一人前じゃないのかみたいなことになってしまう。

そんな風にいろいろ考えていると、一人前の定義って難しい。難しいというか、言おうと思えば誰でも一人前と言えるし、条件を際限なく挙げれば誰しも一人前と言えないんだと思う。
だから、結局はその人次第なんだと思う。自分がそうだと思えば一人前だし、思えなければ半人前なんじゃないかなぁ。

あるいは、「ある環境の元で定められた基準をクリアしているかどうか」っていうことなのかもしれない。例えばどこそこの国のとある集落では15歳になると一人前、とか、どこそこの会社の営業部では契約を何本取ってきたら一人前、とか。そこだけのルールって感じのものであって、普遍的に「一人前」を決めることにあまり意味はない気がする。
なので、「一人前は自立しているか」っていう質問に対しては、「わからない」としか言いようがない。一人前でも自立していない人はいるだろうし、自立している人もいるということだよね。

じゃあ今度は自立って何なの?って話になるんだけど、これも実は厳密な定義がないみたい。なんということだ…。けれど、本当に大切なものにはいつだって答えなんか無いものだから、それだけ「自立」について考えるというのは大切なことなんだろうなって思う。

自立の中でも最も理解が困難なのが「精神的自立」だと思う。生活ができるかどうかとか、お金を稼げるかどうかとかっていう「表面に出てくる問題」に関しては、ある意味解決は簡単だ。必要な知識を身につけたり、人を頼ったり、会社に入ったり、考えられるいろんな手段を尽くして自分が「依存」できるものをたくさん確保すればいいんだと思う。もちろん一辺に変えるのは難しいことではあるけれど、少しずつでも進めていけば生きていくのに必要なくらいは手に入るものだよね。

けど精神的な部分っていうのは誰にも頼ることができなくて、知識も経験も人脈も財産も何の意味もなくて、むしろそんな知識やら経験やらを蓄えてきたことそのものに疑問を持ってしまったりするわけで、「人生は結局1人で、寂しいものだ」っていう言葉にはそんな心の叫びが表れてるんじゃないかって思う。

そんないつ狂ってしまってもおかしくないようなギリギリの所で人を分けるもの=「自立しているかどうか」を分けるのが、「自分の人生を受け入れられるかどうか」っていうことなんじゃないかって今の僕は考えてる。
自分のやりたいことをやる。あるいは、やりたくないことでもしょうがなくやる。けれど、その結果として自分がどうなるかということについて、あるがままに受け入れられる覚悟があるのかどうか、ということなんじゃないだろうか。
守りたいもの、大切なものが何かは人それぞれだろうけど、八方手を尽くした先にそれを守りきれなかったとしても、自分を見失わずに前を向いていけるか。「受け入れる」っていうのはそういう心の在り方なんだと思う。

だから僕は、何か大切なものを無くしたことでうろたえたり取り乱したりしてしまう人は、どれだけ知識も名誉も人脈も財産もあったとしても、自立してるとは言えないんだろうなって思う。
自分じゃできないくせに、すごく厳しいことを言ってるなぁ…。僕はもちろん全く自立してないので、何か少しでも欠けたらうろたえまくってしまうんだけど。多分それが嫌だから、人間関係にしろモノにしろ、僕はできるだけ何にも持たないようにしてるんだろうな。けどそれは根本的な解決じゃないから、これからの人生で克服したいとは思ってる。

さっき経済的な自立とか生活面での自立に関しては、お金なり人脈なりあらゆる手を尽くして依存できるものをたくさん抱えれば、自分の思うような生活ができるって言ったけれど、同時に「それらが無くなってしまったとしても挫けずに生きていけるか」っていうのが精神的な自立になるんじゃないか、というのが僕の考え。

なので「一人前は自立しているか」という最初の話に戻るけれど、やっぱり答えは「わからない」。なぜなら一人前であるかどうかということと、自立しているかどうかということには、何の関係性も無いからだ。

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category: 人間

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