ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

桜が咲きはじめた。  

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桜が咲きはじめた。

僕は咲き始めの桜と、散り終わるくらいの桜が好きだ。その頃の桜には何かこう「動き」みたいなものを感じて、僕の心もそれに影響されて何かが動いている感じがする。
満開の桜はなんというか、とても綺麗なんだけど完成されすぎていて興味がわかない。単に綺麗だな、で終わってしまう。
桜は散るからこそ美しい、って言うけれど、その通りだと思う。完成したものを留めておけないところに起承転結のストーリーを感じて、そこに生き生きとした何かを読み取ることができるんだと思う。

僕は毎日空を眺めるのも好きだけど、それは晴れていたり曇っていたり雨がふったり、日々変化していてどれ一つとして同じ空が無いからだ。別に眺めて何かを考えるわけでもないけど、ただ眺めているだけで飽きない何かがある。

けど桜にしても空にしても、それが事実としてどうかというより、僕がそういう風に感じる人間であるっていうことの方が重要なんだと思う。僕はそういう「移り変わるもの」とか、「手に入らないもの」みたいなところに良さを感じる人間だから、結局僕の生き方もそういう生き方になるんだと思う。

人間関係なんてその最たるものだ。僕は特定の誰かとずっと一緒にいることなんて今までしたことがないんだけど、今でもする気がないし、先のことはわからないけどこれからも多分しないんじゃないかと思う。大学時代に1人だけ付き合ってくれた彼女がいて、その子の事は好きだったけど、「付き合う」という行為に何か得体のしれないストレスを異常に感じて、結局半年も続かなかった。あれは今思えば、会社にいた頃と同じ類のストレスだったような気がする。
友達同士でワイワイ遊んでる姿とか、恋人同士で仲良くしている姿とか、親子で手をとって歩いていたりする姿にはとても心暖まるものを感じるけれど、それを自分が手に入れるっていうのは、なんとなく自分の性分じゃないんだろうな。

僕が人生をかけて手に入れたいと思うのはただひとつだけで、それが「自由」だ。いつ、どこで、何をするかは、どんな瞬間でも自分の気分のままでいたい。そういう自分が好きなんだと思う。
けど生きてる限り、社会の一員として生活してる限り、そんな「自由」なんて決して手に入らないだろうなぁとも思う。仮に一時的に手に入ったと思っても、そんなのはすぐに何かしらの事情で崩れてしまうものだろうし。

でも、それでいいとも思う。だって僕は「手に入らないもの」が好きだから。
本当に「自由」なんてものが手に入ってしまうのであればそれは一瞬にして下らないモノと思ってしまうだろうし、一生かけても手に入らないからこそ、僕はそれが欲しいと思う。

今日散歩していて、咲きはじめた桜とか道を歩いている親子を見て、そんなことを考えていた。
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