ゆとりさとるの日々

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僕にとっての何より素晴らしい教師  

ドラム




今回はお便りのテーマ第2弾をお届け。ちなみに頂いた内容はこんな感じ。
「…(中略)…習い事の先生業に関わる人間が、考えた方がいいと思うこととか、より仕事が充実するにはどうしたらいいか…」

習い事の先生どころか、何かを教える仕事についたことすらない僕に一体何が言えるのだろうと思いもしたので、今回はあくまで何かを教わる側の立場として、「僕が考える良い教師」っていうテーマで依頼内容に応えようと思う。


これから書くことは教師や先生に限らず、上司、先輩、友人どころか後輩や友人に至るまで、「人に何かを伝える」っていうことについて、その一番の面白さ・醍醐味についての話になると思う。というわけでまずは良い教師とはどんな存在かっていうところから。

前回の記事ではっきりしたのは、教育とは本人の自立のためにあって、自立とは自分なりの感性を磨いたり見出すこと、ということだよね。となると、教わる側の立場からすると必要になるのは、まず他者の感性を知るということと、それを知った上で自分がどういう感性を持っているのかを知ること、となる。

一言で言うと「よく遊び、よく学べ」ということなんだと思う。
学ぶとは他者の知識・人生・思想・美意識・価値観を吸収することであり、遊ぶとはそんな他者の人生を鏡として、自分の心がどう動いていくかをありのままに追っていくということだ。

じゃあよく遊ばせてよく学ばせる教師が良い教師なんだろうか。
例えば音楽で言うなら、今からモーツァルトを聞きましょうモーツァルトの人生を学びましょう、そして皆さんそのメロディーを聞くなり弾くなりなんなりして、感じたままに今度は自分で楽器を触ってみましょう、で終わってしまうことになる。正直なところ、ちょっと予備知識さえあれば僕でも出来そうだ。

いやいや、それは違うだろ!と。
例えばギターなら、ギターの弾き方を教えるという部分があるじゃないか。それは素人には出来ないことだし、技術や経験が必要になるところだろ、と。全くもってその通りで、僕はギターなんか弾けないし、どうも僕では「ギターの良い教師」にはなれなさそうだ。
じゃあギターが上手に弾ける人だったら誰でもいいのかというとそうでもなくて、技術はもちろん高ければ高いほどいいんだけど、加えてその技術の伝え方が上手な人でないと良い教師には当てはまらないよね。

ここまで出てきた「良い教師」の要素をまとめてみると、「知識があって経験や実績があって、教え方が上手くて生徒がのびのびと学び遊べるような接し方が出来る人」という感じになる。ちなみにプロを目指すから厳しくしごく、みたいなのは教わる行為そのものより結果を出すことを重視しているのでちょっと横に置いておく。

とりあえずはそんな定義でおおよそ異論はないんじゃないかと思う。そんな教師がいたら間違いなく優秀な教師って言われると思う。けどまぁ、それだけの内容で話が終わったら僕がブログに書いてる意味がまるで無い。ようやくここから僕の主張になってくる。

さっきの定義を満たすだけの教師なんてのは、残念ながら僕に言わせるととても「つまらない教師」だ。なぜならその要素全てが「能力を磨けばどうにでもなること」だからだ。今の定義だけを満たす教師が良い教師というなら、能力が高ければ高いほど良い教師というなら、能力がより低い教師は良くない教師・要らない教師っていうことになる。なんてつまらない世界だ。
そんな馬鹿な話があるはずもないんだけど、でもこのことに真正面から反論出来る人は、もしかすると今みたいな能力重視・結果重視の社会には少ないんじゃないだろうか。
能力の高い・低いに囚われること無く、その人が胸を張って自分は教師であると言える理由はどこにあるのか。これが最初に言った「人に何かを伝える醍醐味は何か」というところにつながっているんだと思う。

結論から言うと、「その教師がどれだけ教えるという行為を楽しんでいるか」という一言に尽きると思う。


・例えば、高校生である僕に一人の家庭教師の先生がついてくれるとする。その先生は実績がそんなにあるわけじゃないし、お世辞にも教え方が上手とも言えないんだけど、でも勉強をすることがとても大好きな先生で、勉強ができるとか、大学を受験をするっていうのがどんなに楽しいことなのかを僕にいつも語ってきかせてくれるような、そんな先生だ。
そんな先生が家庭教師についてくれたら、どんなに楽しい勉強の時間になるだろうって僕は思う。確かに教え方がもっと上手い先生はいるかもしれない。志望校になんとしても入れさせてくれる先生もいるだろうし、その方がホントは正しい受験勉強の仕方なのかもしれない。

けど僕はこんなにも受験に熱くて、こんなにもワクワクしながら僕の勉強を見てくれる先生が、もう見てるだけでもおかしくて、自分もこんな風に生きれたらどんなに楽しいだろうってつい思ってしまう。
僕は残念ながら勉強の才能はないし、志望校にも合格できないかもしれないし、というかそもそも勉強にそこまで興味もないからこれから積極的に関わっていくこともないと思う。でも、僕はこの先生と巡りあえてとても良かった。この人の真剣さに何かを感じた。この先生にとっての勉強のような何かを、僕も見つけたいし、きっと見つけられると思った。この感覚はきっと、ただ志望校に合格させてくれるだけの先生では得られなかった何かで、僕の人生に大きな影響を与えてくれた。

・例えば僕がギターの先生でもやるようなことがあったら、僕はきっと誰よりも、ギターを楽しんでいる姿を伝えたいって思う。僕はギターを弾いているだけでとても楽しい。そりゃ人生楽しいことばっかりじゃなくて辛いことも嫌になることもたくさんある。ギターなんて辞めてやるって思ったことも何度もあったし、ギターなんかに何が変えられるのかって思ったこともある。でも、そんな時でもギターは黙って自分と共に在ってくれたし、音楽に救われたことは何度もあった。僕はギターが大好きだ。ギターと共にある人生がこんなにも心強いし、僕はギターを弾いている自分がとっても好きで、きっとこれからも僕はギターを弾き続ける。

だからそれを伝えたい。知ってほしい。ギターを弾く楽しさや、苦しい時や辛い時でもギターがそばに在る心強さをみんなにも感じて欲しい。もしかしたら僕が教えている子ども達の中には、単に親にさせられているというだけで、そもそもギターがそんなに好きでは無い子もいるかもしれないし、せっかく好きになって頑張っていてもなかなか上手く弾けなくてつらい思いをさせてしまうこともあるかもしれない。でも僕がそんな子と一緒にギターを弾いている時、僕がどれだけ楽しい気持ちでその子と接しているかがその子自身に伝わって、「一人で練習していても楽しくないけど、先生と一緒に弾くギターはとっても楽しい。」って思ってくれたなら。そしていつか辛い出来事があった時に、僕と楽しくギターを弾いていた時のことを思い出して、それが少しでも励みになったなら。それはきっと他の誰にもできない、自分にしかできないことで、自分がギター教えている意味は必ずあったんだって思えてくる。


人に何かを伝える一番の醍醐味は何か、と言われたら、僕は「自分の生き様を相手の心に伝えられることだ」って答えると思う。それは僕がこれまでいろんな人と接してきて学んだのが知識や経験ではなくて、過去の輝かしい経験それ自体でもなくて、何よりその人自身の、今自分と接している瞬間のその生き様にあったからだ。

背中で語るなんていう言葉があるけれど、人は他人が何をやっているかということよりも、何に突き動かされてやっているのか、その心の動きに惹かれるものなんだと思う。僕は何かに真剣に打ち込んでいる誰かの姿を見ている時、自分の感性は滝に打たれたように目覚めていく気がするし、何かを心から楽しんでいる誰かの姿を見ている時、自分の中で何か暗いものや重いものが消えていくような感じがする。それは、その人の感性に自分が何かを感じているという証なんだと思う。そうして気付いた自分の感性が、きっと何年経っても自分の心の中に残り続けて、自立への強い一歩を踏み出すきっかけになるんだと思う。

最後のまとめとして、僕にとっての素晴らしい教師、上司、先輩、後輩、友人、家族、恋人、知り合いとはどんな人か。
それは何かに対して真剣で、あるいは熱くて、あるいは楽しんでいて、あるいは愛していて、あるいは自分をいつも貫いている、そんな「自分の感性をあるがまま僕に見せつけてくれる人」だ。そんな感性のぶつかりを感じるとき、その人は僕にとって誰よりも良い教師で、いつまでも心に残り続ける人なんだって思う。

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category: 人間

コメント

感謝

初めまして。先週某大学を卒業し、晴れて「フリーター」になった者です。このブログに感銘を受けて自分のやりたいことをやる生き方に決めました。

もともと私は漠然と学校の先生を目指して勉強していたのです。なんとなく数学の教師に憧れていたりとか、公務員だから安定するかなとか、教師だったら恥ずかしくないなぁとかその程度の理由です。人に数学を教えて分かってもらった時はお金をもらわなくとも純粋に楽しいと感じる節はありました。

教師が自分に無理だなと思ったのは、大学4年次の教育実習で現場の厳しさを知ったからでした。地獄のような3週間でした。
テストなどの採点やら書類管理で山のようにある雑務も効率よく素早くこなさなきゃいけない。一つ行事が終わるとまた次の行事の準備をしなきゃいけない。生徒が問題を起こきたところに関与して解決を助けなきゃ生徒への裏切りだ。寝る時間以外は生徒のことを考えなきゃ学級経営なんて務まらない。ある程度予想はしてましたが現実を目の当たりにするとやはり辛いものです。

私のやりたいと感じていた数学を教える時間なんて全体の2割程度しかない。授業の準備をする間なんて殆どありませんでした。頭がパンクして自分のやりたいことを全然できず嫌で仕方がありませんでした。厳しいから無理ってのは甘えてるだけで、自分の能力がないだけなんだ、他のみんなは頑張ってるんだから自分も頑張らなきゃいけないんだと押し付けていました。

教育実習が終わるともぬけの殻になったように、何もやる気がおきませんでした。実際に教師になったらこれよりもっと時間を切り詰めてやらなきゃいけない。大した能力もない私じゃあひょっとしたら一生この地獄を味わうのかもしれない。だったら企業を探すか、と思い就職活動もしてみたのですが結局、塾業界を数社受けて、大した努力も出来ずすべて落ちました。何よりもきつかったのはどの企業も会社説明を受けた時点で、自分のやりたいことを全うできる企業ではなかったことでした。

そんな中で、このブログに巡り合って、どの記事も読む度に心が洗われるような思いでした。自分の心に従って生きることが大切なんだ。周りの意見に流されてはよくない。嫌なものは嫌と自覚して、どうしたら好きなことをして生きていけるか考えたらいいんだな。教師は自分に合わないってわかって良かった。周りのみんなは社会人になってるけど、その道が楽しくて生き甲斐がなかったら何の意味もない。自ら人生を無駄にするだけだ。そう思うようになりました。その中で私はただただ数学を教えたいんだと自覚しました。

心もすっきりとした状態となり、今では個別指導塾のバイトで「数学を教える」という仕事を全うしています。仕事をしているだけで心が温まります。もともと数学が好きでしょうがなくて、その魅力を語っているだけでも楽しい人間です。塾業界もやれ有名大学に合格しただの実績に拘るところがありますが、それを気にせず職務を行えるのはこのアルバイトでした。

所詮アルバイトです。将来性も大してないし、給料も低いです。でも現状の1分1秒を満足して楽しく生きれるならこんなに有難いことはないと感じています。私は今、すごく幸せに生きています。生きる活力が湧いていて関係ない趣味の作曲の方も調子が良いです。

私はこのブログ、ゆとりさとるさんには本当に感謝しております。ここの記事を読んでいなければ悩み続ける一方だったかもしれません。なんでコメントをするかといえば、感謝の気持ちを伝えたかったから以外にないです。記事とあまり関係なくてすみません。ありがとうございました。

URL | HEY #-
2013/04/04 03:47 | edit

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