ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

妥協することは良いことか悪いことか  

落ちる




同期で今も会社に勤めてる友人に久しぶりに電話をしていると、今勤めてる会社に満足してるのかどうかみたいなことがやっぱり気になって、「最近どうよ?」ってどうしても聞いてしまう。すると返ってきたのが、「まぁ不満もあるけど我慢できる範囲で妥協してるからなぁ」ってコメントだった。あぁー…うーん……んー…??となりながらも、妥協できるっていうのもそれはそれで素晴らしいことなのかもしれないと思ったりもした。


どんな形であれ才能には良し悪しはないし、どんな価値観も裏返せば良くも悪くもなるんだから、妥協だっていいところがあって当然だったのかもしれない。僕は何をするにしても妙にこだわりというかなんというか、自分でもコントロールしきれない思いみたいなものが溢れてきてしょうがなくて、だから妥協っていうのがなかなか認められない性分ではあるんだけど、でも妥協できるならどんなに楽なんだろうとも思う。
人より多くのことを許せる、妥協できるっていうのは、逆に言うと「自分にとって大切な何か」は既に守られているから満足だ、ともとれるし。

どっちがいいんだろうな。
なんでもかんでもこだわりがあって、よく言えば自分を持ってるとも言えるのかもしれないけど、その分衝突も多い人生と、自分の命さえあれば十分だから、どんなことがあっても諦められるし、悪く言えば自分がない人生と。僕はどうしても後者が羨ましいと思うんだけど、ゆとりさとるさんは自分を持ってて羨ましいなぁなんて言われたりもするから、よくわからない話になってくる。

うーん。いやでもどうなんだろう。妥協が出来るっていうのは、よく言えば世界をあるがままに受け入れているんだけど、悪く言えば無関心というか、情熱がないというか。僕からするとちょっと寂しい気もする。もっとみんな何か「これだっ!!」ていうものにこだわれよ!と思ったりもするんだけど、飄々と生きていくほうが心は楽なのかなぁ。

妥協できる、諦められるってのはとても大人な感じがするんだけど、でも僕の中で「大人」っていうのは危険ワードの一つだったりする。何故かというと子どもは感情的なのに対して、大人っていうのはとても理性的だからだ。現実を正しく認識するっていう点で理性はとても大切なのかもしれないけど、でも自分にとって何が大切かと言われれば、現実じゃなくてやっぱり自分の心だ。
だから僕は「大人になっても子どもみたいに夢を語れるような社会がいいなぁ」なんて言ったりもするんだけど、そんな社会になるのは何百年先だろうか。衣食住さえ確保できれば案外いける気もするんだけどな。

そんなわけで、妥協すること・諦めることがいいことなのかはわからないけど、妥協しない人間ってどんな人間かというと、それは答えがあるんじゃないかって思う。僕はどちらかと言うと妥協しない人間だと思うから言わせてもらうと、それは感性があるかどうかっていう話だ。

日々満員電車に揺られて、車両にはうつろな目で毎度おなじみのメンツばっかりで、あー…今日もしんどい1日が始まるなぁ…って思いながら働いていると、もうなんだか自分の感性ってものがどんどん失われていくような気がしてたまらなかった。この電車に乗ってる人たちはみんな現実に押しつぶされて感覚がマヒしてるんじゃないかって思うくらい、もうとにかくどうしようもなかった。

言ってみれば、僕はそういう人たちよりも敏感っていうことなのかもしれない。その生き方、その心の在りようがたまらなく気持ち悪くなるというか。いくら現実を乗り越えるとは言ってもちょっとこれは流石にヤバくないか?っていう警鐘がガンガン鳴ってきて、でも周りを見渡してみるとそうでもないらしいから、「あれっ…勘違いか…」なんて思ったりもするんだけど、でもやっぱり警鐘はガンガンガンガンうるさくて、止めようと思って行動したら気が付くと上司に退職届を出していた、という感じだ。

妥協しない人間に在るのは、間違いなくその人ならではの感性なんだと思う。何が美しくて、何が心に響くのか、という心の在りようの違いなんだろうな。ただ、さっきの妥協できるのが良いことか悪いことかの話にもなるけど、感性っていうのが果たして在っていいものかどうなのかっていうのも、わからないんだよね。僕はもう僕なりの感性がおそらくあって、これからどうなってもその感性にそぐわないことは出来ないって思ってるんだけど、それが逆に足かせになることもとても多いと思う。

以前の記事で「人生の目的は自立すること」なんて言ったけれど、感性を磨くというのは、自立するということにつながるのかどうか。全てを諦観して現実を受け入れられる心の広さを持つことが自立なのか、自分だけの価値観にのみ従って行動することが自立なのか。これは言ってみれば大人と子どもの全面戦争みたいな話だ。理性と感情の取っ組み合い。
僕はとりあえず後者の生き方をしてみようと思う。というか僕には後者の生き方しか出来ないんだけど。
なので、感性を磨くっていうことは一応僕としては応援したい出来事になるな。何かを美しいと思えるということは逆に言うと何かが醜いと思うようになることでもあるんだけど、その心のうねりみたいなのが人間らしさであって、僕はそれが好きだっていうことだ。

あ…、なるほど。妥協することが良いのか悪いのかじゃなくて、僕はただ妥協しない感性が好きなんだ。
この話終わった。

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