ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

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人生の目的  

ペンギン




自立、っていうのを最近よく考えてる。ちょっと前までは自立というと経済的自立が一番大切なのかなぁとか思ってたけど、精神的自立のほうがよっぽど大切だったんだなって思う。

僕はこれまで親だの世間だのの周りの意見に流されてというか、本心から望んだことじゃないことをたくさんしてきて、それじゃどうも行き詰まるなぁってようやく思えてきたところだけど、これってつまり僕が親や世間、常識と呼ばれる価値観に依存して生きてた証拠なんだなって考えるようになった。



自立の対義語は何だろうっていうと依存かなと思うんだけど、要するに僕は何かに依存して判断を他者に委ねることで楽しようとしてきたのかもしれない。そうでもないつもりだったけど、いろんな価値観にある意味救われてたんだろうなぁ。

そんな風に考えてると、人生の目的みたいなものがもしあるとしたら、それは自立ということなのかもしれないと思った。自分に依ってたつ。そこで完結してる。自分さえあれば他には何もいらない。お釈迦さんってなんかずっと瞑想してるイメージだけど、それはもしかすると究極の自立みたいなものを象徴してるんじゃないだろうか。ただ一人そこに在るだけで満足というか。まぁそうは言っても凡人にはそんなこと出来ないし、自立してる人なら結局何やっても満足できるはずだから、別に敢えて人を避ける事もないし普通に暮らせばいいんだと思うけど。

ただそうなると自分が自立した時ってどんなんなんだろう?って考えたりする。これが答えかはわからないけれど、僕は自分の幼少期がそのヒントなんじゃないかって思う。あの頃ってとにかく無邪気で、そりゃ虫をつぶすみたいな残酷なこともやったけど、何か嫌なことがあってもすぐに忘れたし、基本的に毎日すごく楽しかった。喜怒哀楽がクルクル切り替わって、よくわからないけどいろいろ全力だった。明日のことすら考えてなかったしね。この頃って他のどんな価値観にも依らないという意味では、ある種精神的に自立した存在だったんじゃないかなぁ。

そこから年齢を重ねる毎に、どうにも対処しなければならないらしい「現実」とやらが少しずつ降り掛かってくるんだけど、僕の場合はその対処に追われまくった結果しんどくなったのでやーめたというわけ。でもそれでよかったなと心から思う。そんな「現実」って実は現実でもなんでもなくて、ただ今の社会が作り出した人為的なタスクでしかなかった。そのタスクを真面目にこなしていると「世間」っていうグループの仲間入りが出来るらしいんだけど、それが依存の始まりなんじゃないのかな。

あー。でも自立してる人は別になんでもいいわけだから世間の仲間だろうが一人だろうがどっちでもいいわけか。ということはまだまだ僕は依存している何かがあるってことなんだろうな。何かはわからないけど。
けど、死ぬまでに「自分は自立した!」なんて言ってみたいと思う。どんな気分なんだろう…。悟りを開いたって感じなのかなぁ。そういえば僕のペンネームであるゆとりさとるというのは、ゆとり世代である僕が何かをさとっていきたいという願いを込めてつけたものだった。すげぇーどうでもいいけど。

僕はまだまだ決めつけや特定の価値観に囚われてる。やりたいことをやるっていうのも、まぁ言ってしまえば決めつけの部類みたいなものだし。けどそれは今までの自分とは違うアクションだから、やりたいことをやりまくっていれば何か見えてくるものがあるかもしれない。というかそうだから会社を辞めたいと思ったんだと思う。よくはわからないけれど次のステージに向かってる感覚。みんなそうやって人生戦ってるんだろうな。

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