ゆとりさとるの日々

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嫌だって感情はもっと尊重されるべき  

雲間



嫌だっていう感情はもっと尊重されるべきなのかも、って最近思うようになった。

今までにも僕は嫌なものは嫌だと思ってはいたんだけど、そもそも「嫌」っていう感情に対してマイナスのイメージをずっと持ってた。知らず知らずのうちに「何でも我慢できること、耐えられること」っていうのが美化されてて、嫌なことでも我慢出来る人が立派なんだ、それが出来ないうちは所詮子どもだ、みたいな価値観が何故か育ってしまってたような気がする。

けど、「何かが好き、これがやりたい」っていう感情よりも、「嫌だ」っていう感情の方がよっぽどストレートに人に対して何かを訴えてくるし、訴えているものがある以上、それは理屈で押し潰したり無視していいものじゃないんだろうなぁって思う。



僕はずっと「やりたいこと」「面白いこと」はどこにあるんだろうっていうベクトルで人生を測ってたところがあったけれど、逆に「これは嫌だ」っていうものを虱潰しに消していけば、その内自分の人生には少なくとも「まぁこれぐらいならいいや」っていうものばっかりが揃うようになってきて、そうすると自然に自分らしい生き方になってるっていうやり方も有ることにふと気がついた。

楽しいとか、面白い・好きっていう感情はどちらかと言うとふわふわした感じで、例えるなら泡みたいなものだと思う。膨らんではすぐ消えるような。あればあるに越したことはないんだけど、無くてもまぁしょうがないって思えたりする。
でも「嫌だ」っていう感情はもうなんというか、そんな感情でいる今の自分を早く消し去りたいくらい緊急というか、居ても立ってもいられない、よりリアルに、ダイレクトに心に訴えかけてくる。服がずぶ濡れで肌にまとわりついて気持ち悪くて、早くシャワー浴びて着替えたいっていう感じ。これは無いに越したことはない。

そうすると、いきなり幸せになろうとかやりがいを見つけよう、目標を立てようっていうのは難しいかもしれないので、とりあえず直感で「嫌だな」と思うものを自分の生活から引いていく作業をしたほうが良さそうな気がする。日本人は和の心を重んじるだとか、武士道に代表されるような○○道みたいなものがたくさんあって、自分が嫌な思いをしたらそれを解消するというより全員で共有したがったり、高みに到達するためには艱難辛苦を飲み込んで乗り越えていかねばならないみたいな根性論もすごく根強くて、僕もそれに騙されかけていたけれどやっぱりそれは違うなと思った。嫌なものは嫌だと声を大にして言いたい。

嫌っていう感情は幼稚な発想でもわがままな振る舞いでもなんでもなくて、単にその道は自分の進みたい道とは違う道っていうだけだ。嫌なことをしないっていうことは自分の心を守るっていうことと同じことなんだって気がつけば、背負ってたものが一気に軽くなっていくような気がする。

けど、自分が嫌だからと言ってそれを人に求めるのはなんだか違うんだろうな。僕は上下関係っていうものが嫌で嫌でしょうがないけれど、上下関係が好きな人ももちろんいるんだろうし、そういう人たちに対して「こんなの嫌だ」って面と向かって言ったら争いになるのは目に見えてるので、そういう場合は自分から軽やかに逃げていく必要がある。

そういう意味では前にWebデザインの事務所を作ろうかなぁとか言ってたけれど、実はこれもなんとなく嫌だと思っているところがある。Webの仕事をすること自体はまったくもって構わないんだけれど、自分の仕事に対して値段をつけるっていうのがなぜか気に入らないんだよなぁ。僕としてはサービスなんて言い値でやればいいように思うんだけど、それじゃ成り立たないんだろうか。その人が満足してくれたのならたくさん払ってもらえばいいし、不満だったり予算が無いのなら安くてもいいと思う。
実はWebデザイン事務所のホームページを今作ろうと思ってるんだけど、「料金」っていうページだけが一向に作れないんだよね。「お値段は張りますがサービスはすごいんです!」って自分でいうのも面の皮が厚いというか図々しい感じでなんか違うし、かといって「激安です。最安です。うちのサービスはとにかく安いです!」みたいなのもなんか自分を安売りしてるみたいで卑屈で嫌だ。

「求められたことに精一杯応えます。出来上がりを見て納得していただいた分だけ料金を頂きます。」っていうのが僕の中での仕事の理想像だ。とても気持ちがいい。これは誰のためでもなく、自分のために言ってることだと僕は思う。なぜなら最初に値段を決めてしまうと、その値段分だけやればいいっていうことになってしまって、その瞬間からやらされ仕事になってしまうんだよね。それは僕が一番やってて苦痛だと思うことの1つだ。
アルバイトがとてもいい例で、「時給分だけ働く」みたいな考え方は僕は大嫌いなのだけど、でも実際「キミ1時間800円ね」とかって言われると、その値段以上は働きたくなくなるのが人間だと思う。でもそれって、すごく気分が悪い。これ以上働いたら時給分超えるなーとか頭の中で計算してしまうのも嫌だし、かといって「今回は楽だったなー」とかいうのも別に嬉しいって感じじゃない。どちらにせよ、自分の行動に対して値段を付けられるっていうのがうっとおしくてしょうがない。
僕にとっては報酬は言い値で貰うっていうのが、すごくしっくり来てる。報酬に惑わされることなく、誰に対しても真摯に仕事に打ち込めるような気がする。

何の話だったかというと、つまり嫌なことはしない。嫌だと思ったらどんどん自分の生活から差し引いていこうっていうことだよね。楽しいことに執着しすぎるのも極端だし、嫌なことは絶対しない!っていうのも極端だから、何となくグルグル回していく感じになるのかなぁ。良い事は楽しく味わって、嫌なことはさっと抜く。そんな生き方をこれからも守って行きたいと思う。

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category: 人間

コメント

主体性って何か?それをネットに探していたら夏目漱石からこのブログへ。
自分の言葉でしっかり書いているあなたに感じるものがありました。
ありがとうございました。

URL | たかさん #-
2015/03/30 07:34 | edit

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