ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

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「日本の未来論」の補足  


ゆとりが提唱する、日本の未来論では理想すぎる社会像を描いたけれど、これって普通に考えて社会主義の思想とほとんど同じで、でもなんだかんだ社会主義って無理なんだろうなっていう結論になってる。

で、僕もそうだろうなぁと思う。僕が掲げた未来論はあくまで夢だから、別にかなえようとは思ってない。
資本主義と社会主義って言い換えると「競争」と「共有」の文化の違いで、これはどちらも人間にとって必須の文化だ。
共有のない社会はいつも他人を警戒して、自分の身を守るために殺伐とした心になるし、
競争のない社会はみんながお互いに頼りきりになって考えることをやめるので、神様でもいないと存続しない。

共有と競争はいつだって社会の中でバランスを保たれてるような気がする。
ただ、今は「競争」の文化が行き過ぎてる面があるので、ちょこっと「共有」の方向に向かっていくんだろうなぁっていう感じだろうか。
なぜなら人が変わるし、人が変わるとビジネスが変わらざるを得ないからだ。
で、共有が行き過ぎるとまた今度は「もっと競争しよう!」ってなって競争に傾いていくんだろうな。
その頃には僕は生きてないと思うけど。

けれど、競争も共有も、より高度というか、少しづつ人の純粋な心に近づいていってる気がする。
例えば今はお金儲けが競争のテーマだけど、陣地の奪い合いとか食料の奪い合いが競争のテーマだったころからすると、随分平和な社会だ。
共有にしたって、お隣さんに余ったご飯をあげるとかいうレベルじゃなくて、こうやって誰でもブログで文章を発信できて、誰でも閲覧できるような体制が整ってる。

どっちも進歩してる。
で、その時々で競争の流れが強くなるのか、共有の流れが強くなるのか、といった具合だ。

はぁ。僕はこういうことを考えるとすごく無気力になる。だって僕が何をしようがしまいが多分世の中は変わるし、けど変わったとしても僕の理想なんて少なくとも僕が生きてる内には叶わないからだ。
でも生きていかなきゃいけない、稼いでいかなきゃいけない事実がすごくだるいけれどあるのは間違いないので、今回は今の時代に合った形での生き方、稼ぎ方を提案することにする。



なんで不景気なのかがわかった気がするで書いたことがこれからの本質だと僕は思っている。

僕の世代で「いい家が欲しい、高い時計が欲しい、外車が欲しい」とか言ってる人はほとんどいないと思う。
そりゃ山ほどお金があったら買うかもしれないけど、それを叶えるために人生を捧げる奴はいないんじゃないかなぁ。
そして、すごく優しくて、競争意識が低い。
後輩と話していても、出世がどうとか収入がどうとか、事業で一発あててやりたいですねー!とか言ってる奴を見たことがない。僕なんて彼らからするとまだ野蛮というか、腹黒いに違いない。
ちなみに余談だけれど、今生きてる人たちの中で一番がめついのは団塊世代なんじゃないかなぁ。
それが良い悪いではなくて、そういう人たちが生まれていく世の中の流れだったってことだ。

じゃあ僕らのようなとっても優しくて、他人を押しのけるよりは自分が引く、そんな人達を相手にお金を稼いでいくにはどうするか?

答えは簡単、本当に人の役に立つことをする。これだけだ。
もちろん今までの産業やビジネスも発端は人の役に立つことといえばそうだったんだけど、段々とお金の競争意識が強くなりすぎて、投資信託とか、株とかFXみたいなマネーゲームが横行したり、人の不安心を煽って危機感に訴えることで、そんなに必要ではないものを押し売りするようなビジネスがすごく増えた。

僕が銀行にいてすごく嫌だったのは、勉強すればするほど投信はお客さんが損するようにできていて、でもそんなものを利益のために売らなきゃいけないことだった。
2,000年代に流行した円ドル為替の商品なんて、それだけで会社に大損がでて、どれだけ裁判沙汰になったことか。先輩が売った金融商品で損をして裁判で訴えてる会社の担当に、僕らの世代がなることになる。
実際に担当になった奴はすごく病んでいた。当たり前だ。
そういう商品って、そりゃ損する可能性があるのはわかってるんだから、買ったお客さんの自己責任と言えばそうなのかもしれないんだけど、ほんとにそのリスクの高さを正しく訴えたり、きっと儲かりますよーっていう雰囲気で押し通そうとした行員がいなかったのかっていう話だ。
お互いが儲けにばかり目が眩んだ結果、自分も含めて深く人の心を傷つける結果になったわけだよね。
わかりやすいので金融の話をしたけれど、モノづくりにしたって何にしたって一緒だ。
儲けを念頭に置くやり方だけでは、人の心に響かない。一時的に儲けられたとしても、それは誰かの心を傷つけた結果そうなってるだけだ。

僕らの世代はそんなビジネスにすごく敏感だ。若い世代の人間っていつの時代でもそうだけど、純粋な分、自分に必要かそうでないかを見分ける目は鋭い。
だから極端な話、ボランティア活動をやってる人が陽の目を見る時代になると思う。
ボランティアって、ボランティアというぐらいだから利益なんてあげられない。
街に落ちてるゴミを拾ったって、お金をくれる人なんていないからだ。
でも、これからはそんな「人の心に優しい活動」が出来る人が人心を得て、世の中を動かしていくことになる。
ビジネスのレベルが、1つ上に上がろうとしているってことなのかなぁ…。

前回記事の引用でもあったように、これまで社会性と収益性は両立できないって思われていた。
けれどこれからの資本主義はその殻を破ろうとしているのかもしれない。
社会性があることこそが、本当の意味で人に感謝されて、利益を上げられる仕事になる。

僕は就職活動の支援っていうのをキーワードに動こうかなぁって思ってる。
個人的には大学なんて学問を修めるための機関なんだから、それをしたくない人はいかなくていいし、必ずしもいい会社に入る必要なんてない!って叫びたいけれど、それは僕の今までの経験と悩んだ期間があったから言える話であって、いきなりそれを学生に理解しろって言っても難しいように思う。
だから、内定を取る手伝いをしたいと思う。
それで不安が解消される人がいるならいいことだし、やっぱり疑問に思うから自分でいろいろやってみたいんですけど、っていう人の相談にものれる。
内定取ったらはいさよなら、じゃなくて会社に入ってからでも悩みがあったら聞いてあげられる、そんな就活支援の仕事をやってみようかなぁって思う。

はぁーぁ。こんな「儲けるためにどうするか」みたいなことを考えるのって、下らない。
金なんてなくてもお互いが助け合える社会が早くくればいいのに。何百年かは無理かもしれないけど。
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category: 社会

コメント

銀行の実態は分からないけど確かにお客さんを騙してるところはあって、それはとてもゆとりさとるさんの価値観には合ってなかったんだろうなというのは感じます。
営業は口八丁でお客さんをいかに騙すかが大事だって思ってる昔の人がいるかもしれないけど、今じゃそれが通用しないんじゃないかと思いますね。騙すのでなく隠されたニーズを発見し、それを満たすように正直な対応をすることが大事で、それが人の役にたつことだと思います。

就職支援としては、その人にとって仕事がどういう役割を持つものかを考えさせることも大切かもと思いました。
つまり、仕事はそれ自体にやりがいがあるものなのか、人の役にたつための手段なのか、お金儲けの手段なのかなどということです。
個人的には(古い言葉かもしれませんがw)善く生きることが大切だと思うので、こうすれば善く生きられると思うやり方を試す場、また、どうすれば善く生きられるかを考えさせるヒントや材料をくれる場が仕事であると考えたいです。

URL | taku #z9jllgzo
2013/01/21 18:01 | edit

Re: タイトルなし

>>takuさん

まぁ騙してるとまではいかないんでしょうけどね。お客さんもリターンを狙って投資するわけですし。
一方で事業に必要な資金を貸す方は特に違和感もなかったんですけど、こっちは不景気でなかなかお金を借りてくれるお客さんがいなかったです。

善く生きる。いい言葉ですね。ほんと、仕事について自分がどう思うかってもっと早くから考えるべきなのになぁって思います。学校教育でこういう話題がほとんどといっていいほど挙がらないのが不思議でしょうがないです。

URL | ゆとりさとる #-
2013/01/21 22:48 | edit

どんな良い言葉を並べようとも会社というのはあくまでも利益を追求し続ける団体でしかないと私は考えています。
故にやりたくないことも、どうでもいいものもケツを叩かれながらも売るようになることで人は葛藤するのだと思います。
自身のあるべきように生きられれば良いですよね。それでも収入を失うこと、所属する場を失うことを極度に恐れてしまう、常にそこで悩まされるのが現代の生きづらさでしょうか・・・。

URL | ますお #-
2013/01/21 23:09 | edit

Re: タイトルなし

>>ますおさん

そうですね。利益を追求するのを僕は悪いと思ってるわけじゃないんですけど、利益を追求していくと結果的に人の役に立つことをやらないと継続しないだろうなぁって思うわけです。
今までは自分のやりたくないことでも、そっちの方が儲かってしまう現実があったと思うんですけど、これからはそうでもないんじゃないかなぁって感じてます。

URL | ゆとりさとる #-
2013/01/22 00:19 | edit

儲けるとかそういうのを考えているのが下らないというのはよくわかります。
なんというか、所詮は損得の話ですから、それは知性をもってない動物でもやっていることなんですよね。
こっちより、向こうのバナナのほうが多いからそっちに向かうなんていうのは猿でもやっていることでして、
そのために能力を使うとしたら、一体何のための理性と知性なのか、私にはときどきわからなくなります。
私は、損得で儲けることを考えるより、宇宙のことを考えたり、
空を眺めて物思いに耽るほうが遥かに有意義に感じます。


ボランティア団体に陽の目が当たるのは私も最近思っていました。
私もよくボランティアの申込をしにいったり、やったりしてますが、
お金なんてなくても、人のためになるということをすると、仕事よりものすごく気持ちがいい。
人間は、人のためになるっていう事柄でないと、充実感を持てないのかもしれないと最近思っています。

それとゆとりさんの言うとおり現代では、物質的豊かさを求める人が減ってきているように思えます。
団塊世代のように、常に「もっともっと!」という人種がへってきて、
競争することを嫌う人たちのほうが全体的に増えてきているのかもしれません。
その結果、今現在の社会の競争が最も最優先である市場と噛み合わなくなってしまい
、非正規雇用や無職となっている人物も多いと思います。
事実、20代の非正規雇用の割合も無職の割合もどんどん増えていますからね。


もちろん、コスト削減と効率化によって、無駄な労力を雇わず、
今ある労働力を酷使させるという煽りもあって、非正規雇用以下の人間が増えているのかもしれませんが・・・・・・


今後、もしかしたら「善人はバカを見る」という言い回しが消えて、「善人でなければ生き残れない」となるのかもしれません。
だとすれば、実は今よりも難しく恐ろしいことになるのかもしれませんw
我々は、善く生きることこそが最上ですが、同時に善く生きることが最も難しいからです。
もし、全員がこれをできたら、それこそ世界を変えるのではなく命の在り方を変えるという「真の革命」なのかもしれません。

URL | 名無しの哲人 #-
2013/01/22 12:58 | edit

Re: タイトルなし

>>名無しの哲人さん

>>今後、もしかしたら「善人はバカを見る」という言い回しが消えて、「善人でなければ生き残れない」となるのかもしれません。
だとすれば、実は今よりも難しく恐ろしいことになるのかもしれませんw
我々は、善く生きることこそが最上ですが、同時に善く生きることが最も難しいからです。

そうかもしれません。
例えば僕は今の団塊世代に比べるとまだ無欲な人間なのかもしれませんが、自分の後輩たちを見ていて、彼らの善人ぶりにはとても適わないなぁってつくづく思います。
なので、ちょっと表現が変ですけど善人勝負みたいなことになったら、多分すぐに負けてしまうんだろうって感じます。
一瞬、人にやさしくはできても、それをストレスなく継続できる心ってなかなか手に入るものじゃないですもんね。

まぁでもそれが行き過ぎるとそれはそれで世の中のストレスが溜まって、「やっぱり競争だ!闘争本能こそが人間らしい生き方だ!」って言う奴が表れて、なんとなくそれを繰り返しながら良い世の中になっていく…と僕は願ってます。
その頃には僕らの世代は「あいつらは発展しようとする気概のない腑抜け世代だ」って言われてるんじゃないでしょうか。

URL | ゆとりさとる #-
2013/01/22 21:34 | edit

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