ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

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2012年の印象深さといったらない  

一年の終わり



寝過ぎのせいかわからないけど、頭が痛い。
寝るのが大好きだからずっと寝てたいけど、そうもいかないらしい。
こういう時に、人は常に変化しなきゃいけない生き物なんだなぁって思う。
同じ考え方とか、同じ生き方はそんなに長続きするもんじゃない。
変わらざるを得ない。まぁそれはいいや。

大晦日な訳だけど、2012年は本当に、きっと死ぬまで忘れないほど最高にしんどい一年だった。
普通、「しんどかったなぁー!」とかいったら、「辛かったけど充実感あるね」みたいなニュアンスあるけど、そんなものも全くない。
ただただなんとか生き続けるのに必死の一年だった。よく耐えたなと思う。
僕の予想だけど自分がジジイになって、もし自分を褒めてあげることがあるとしたら、この一年を乗り切ったことだと思う。
まぁまだしばらく続きそうなんだけど。はぁぁ…。




年初の自分と今の自分を比べると、驚くほど考え方や価値観が変わった、というか整理がついた。
あの頃はまだ会社で働いていて、訳の分からない圧迫感や疲労感に常に襲われていた。
なんでそんなふうになってしまうかもよく分からないまま、でもなんとか頑張ってかなきゃなぁとか思ってた。
それは結局、2月くらいに我慢の限界が来て、辞意を伝えることになったんだけど。

その頃は「なんで辞めるの?」って聞かれてもあんまりちゃんと答えられなかった。
自分が感じてるこの途方も無いしんどさ、頭にモヤがかかったような状態をどうやって伝えたらいいのかもわからないし、原因も分からない。
「1人でやってみたいことがあるんです」とかなんとか言ったような気がするけど、そんなものは全然なかった。
何はともあれ辞めることが僕にとって最重要事項で、あとはフリーターになろうがホームレスになろうが関係なかった。辞めてからのことは辞めてから考える、という感じだった。

でも随分引き止められたなぁ。
僕は銀行で勤めていて、金融ってドライなイメージがあるかもしれないけど、仕事がドライな分、人間関係には意外と篤かったりする。人道的というか。まぁそうじゃないとこもたくさん有るのかもしれないけど。
上司はそりゃ僕の倍くらい生きてきてる訳だから、僕の知らない人生の大変さみたいなものもたくさん知ってて、辞めないほうがいいよってずっと説得されてたんだけど、どんな言葉も僕には響かなかった。
それは普通に生きれる人(=世の中の多数派の人間)には喉から手が出るほど欲しいものもたくさん在ったのかもしれないけど、僕にとっては大して価値のないものだった。
紙切れをいくら積み重ねても宝石にはならないというか。

そんなこんなで5月末に会社を辞めて、それからこのブログを始めた。
最初は絶対続かないだろうなぁとか思ってたけど、意外と続いてる。
僕の頭はいつもこのブログで書いてるようなことばっかり考えていて、それを言葉にする作業は割りと楽しい。

それは良かったんだけど、辞めてからが人生の危機の本番だった。
辞めたいという気持ちが在ったのはいいとして、それはなんでなのか?結局何がしたいのか?っていうのを紐解いていかなきゃいけない。
それをしないまま次に進むのは僕の性格上出来ないし、考える時間と環境だけはあったし。

でも、どうすれば攻略できるかとか上手くいくかとか、戦略を考えたりするのは大好きでよく考えてたけど、自分の心を見つめるとなるとまるで勝手が違う。
赤子が四つん這いで歩きまわっていろんなモノを手で触ったり口に入れたりするのと同じように、僕も自分っていう人間を手探りで解き明かしていくしかなかった。
普段自分が何気なく選んでる行動とか、思考パターン、今持ってる価値観はなぜそういう風になったのか、親の影響、世間の影響、自分のトラウマなんかを思い出していくしか無いんだよね。

そうやって自分を解体していくと、自分がこれまで「自分らしい」とか「大切だ」って思っていたものが、ほとんどどうでもいいというか、後付けでしかないことがわかってくる。
わかってくるんだけど、でもそうじゃないものもある。
それが真にその人をその人として形作っている、魂みたいなもんなんだなぁっていうことに気付いた。
どんな時代に生まれても、どんな環境に育ったとしても、共通して発揮されるその人らしさ。
僕の場合は考えることであったり、自由であることだったりする。
それが僕にとって唯一の、自分を表現する方法なんだろうな。
それが無いなら、生きていたとしても死んでるのと同じ気がする。

自由って言っても、そりゃみんなそれぞれ自由に生きたいって思ってるんだろうけど、僕の場合は自分が傷つこうが損しようが、それでも自由でいたいっていう気持ちが勝ってる。
普通はそこまで拘るものでもないんだろうなぁ…。
なんで僕はそんなに拘るのかっていうと、それはまだ分からない。
というかそれが僕という人間なんだという結論で一応止めておいてる。
そこまではまだ分からなくていいや。
僕は人より自由が大好きで、飢え死に寸前になっても自由でいようとするくらいに頑固な人間だったりする。
それが分かっただけで良かった。

結論だけ書くと実に端的でそんなに悩むほどのことでも無いのかもしれないけど、ここに辿り着くのにどえらい苦労したなぁ。
なんせ自分は普通の性格でやっていけてるとか思ってる勘違いを正すところから始まるんだもん。
物心ついた時からサングラスをかけていて、それに何の疑問も持っていない人間が、「なんだか僕はみんなと見えてる色が違うらしい、なんでだろう?」っていう疑問を抱くところから始まって、「そうかサングラスをかけてたからか!」って気づくのがどれだけ大変だろうかってくらい。何この例え分かりづら。

ふぅ…。こんな具合に書き始めると思考が溢れてくるのが僕だ。
僕はまだまだ自分の中にとんでもないものが眠ってるような気がするし、それを見るために生きてるような気もする。

来年もゆとりさとるのブログをよろしく。
引き続き、自分でも謎なくらい頑固で自由が大好きな僕がこれからどういう生き様を刻んでいくのか、小説でも読むくらいの感覚で見てもらえれば嬉しいです。


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category: 未分類

コメント

あけましておめでとう。

いや、おっしゃっていることがよくわかります。
私も現在20代で、前にも瞑想をという話をしましたが、
私も18歳ぐらいの時、どうにも異常な違和感を感じ、そしてそこからなぜ違和感があるのか、何が違うのかを考え続けて哲学をし、仏教を読みながらひたすら思考していたので、さとるさんのその手探り感は私にとってはまさに同じ体験をしていたと確信できます。

そして同じく私もまだ分かりません。
むしろ、前までは「わかってない」ということすら分かってなかったのです。
まさに、サングラスをかけて世界を見ていることにすら気付かなかったのと同じですね。


悩むことのほどではないのも、考え続けて考え続けて、出た結論があるから言えるんですよね。「なんだ、こんなことで私は考えていたのか・・・」といった感じに思えます。
ですが、当たり前のことほど、実は当たり前などではないということです。
私たちは、常にそこを問い続けていないから、いつのまにか足元を救われてしまうのかもしれません。


当たり前ということは、本当は考えても考えても実体のない得体のしれない不可思議だったりするということ、そしてそれらについて考える時はいつだって情報も他人の意見も通用しないのです。
自らだけで思考するしかない手探りの感覚こそ、まさに無知の知なのではないでしょうか。


今年も度々コメントで長文を書くかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
個人としては、一度会ってゆっくりと対話をしてみたいですけどね。

URL | 名無しの哲人 #-
2013/01/02 15:45 | edit

すいません、補足ですが。

哲学しているとき、本当に感じたのは、私が私だと思っている事柄は、ほとんどが付随であったという事実です。
しかし、同時にそれらを全て捨てていくということをしていくと、なぜか自分でも気づかないのに「そうとしかできない」という事柄が見えてきてしまいました。
それに関しては、もう説明ができないといいますか、なぜかわからないけど、
そうしてしまっているということです。
思い込みを全部捨てて空っぽになったはずなのに、なぜかある形になってしまっている在り方、それがプラトンの語った魂なのかもしれないと感じました。


ゆとりさんも多分それを言いたかったのだと確信しているのですが、
違いますでしょうか?


自分とは、自らが思うような付属された要素を全て捨てて初めて見えるものなのかもしれません。

URL | 名無しの哲人 #-
2013/01/02 16:19 | edit

Re: タイトルなし

あけましておめでとうございます。
いつもコメントありがとうございます。

>>思い込みを全部捨てて空っぽになったはずなのに、なぜかある形になってしまっている在り方、それがプラトンの語った魂なのかもしれないと感じました。

そうですね。
端的に表現できないのがもどかしいですけど、僕が思う自分らしさというのもそういうことのように感じます。
どんな些細な体験もその人の血肉になっている、ということなのかもしれないですね。

核となる魂があって、それはある種の引力のような働きがあって、周囲の環境からどんどんいろんなモノを体験として自分に取り込んでいく。
けどそれは何でもいいというわけではなくて、その魂によって何かしらの選別がなされているような。
だから、一つ一つの体験は自分にとっての核ではなくてあくまで付随なんですけど、血肉となっている以上、それなくして自分という人間は出来上がらない、というイメージでしょうか。

仮にそうだとすると、まずその魂が何なのか、どういう傾向を持っているのかというのが分かれば、自分らしい生き方をよりスムーズに選ぶことができるかもしれないんですけど、今のところヒントになるのはこれまでの自分の行動ぐらいなんですよね。
つまり過去に引き寄せた血肉の部分から、魂の引力の傾向を類推するしかない。
まぁ簡単に言うと自己分析ということになるんですけど。

あるいは直感、でしょうか。なんとなくイヤとか、よく分からないけどしっくりくるとか。
直感で生きるというのは、魂に素直になるということと同じなんでしょうね。


>>今年も度々コメントで長文を書くかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
個人としては、一度会ってゆっくりと対話をしてみたいですけどね。

こちらこそ、コメントいつも楽しみにしています。
そうですね。
人間ってホント不思議だなぁってつくづく思うので、その辺を語り合いたいですね。
もし関西に住まわれてるなら、会えるかもしれません。

URL | ゆとりさとる #-
2013/01/03 06:52 | edit

今年も頑張ってください!

ゆとりさとるさんのかっこいい生き方を応援しています!

URL | tarou #-
2013/01/06 12:32 | edit

今年も応援しています!

ゆとりさとるさんの、温かみのある優しい文章が大好きです!

URL | tarou #-
2013/01/06 12:35 | edit

↑ ミスで2回投稿してしまいました

すみません

URL | tarou #-
2013/01/06 12:39 | edit

Re: タイトルなし

ありがとうございます。

そんなに大したことをしているわけでもないですが、これからの僕の様子を楽しんでもらえればと思います。

URL | ゆとりさとる #-
2013/01/06 19:39 | edit

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