ゆとりさとるの日々

人として自然な生き方を目指す

100万年ぶりにON会でも  

前回動画をあげまして、仏教やら人生やらについて語り合うON会みたいなのやってみよーかなーという気分になったので、参加者募集します。僕としゃべってみたいなという人はぜひ参加してください。

いつやるとかはまだ決めてないけど、ここのコメント欄なりメールなりTwitterなりで言ってもらえれば。ON会なのでLINEとかDiscoとかSkypeとかまぁとにかく通話でやろうということです。よろしくお願いします。

募集期限は人が集まり次第って言いたいところなんですが…今月中くらいでしょうか。

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たまには  

え~…大変恐縮ですが仏教語りの動画をあげさせていただきました…
長い・音質悪い・雑音混じりの三重苦ですが、興味ある方のもとへ届くことを祈りながら投稿。



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まさかの河の上  

いやーなんか昨日に引き続き二回目の動画を録ってしまった。暇つぶしにいいよね…

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本日2本目  

自分でもなぜやろうと思ったかわからないけど、エンタメ動画作ってみました。毎日僕はyoutubeで暇をつぶさせてもらっているので、これがそのお礼になればいいな。

ちょっとおもしろいと思うよ。ちょっとだけね。



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ぼくは担々麺  

こんにちは、ゆとりさとるです。またひとつ、自分の人間性について言語化できそうなので書きます。

さてさて、みなさんは愚痴を言うことってあるだろうか?

僕は愚痴は極力言わないように努めている。ブログに書いたり、ツイートしたりもしないように努めている。けど、日々心の中は愚痴でいっぱいだ。その有り様を表現するととても人様に見せられるようなものにはならないのだけど、今回はその中の一例を取り上げながら僕の目指す人間像についても書いていきたい。

ウチの親はよくテレビでスポーツ観戦をする。

その時に、応援しているチームの選手がミスというか、素人目にみてもちょっと今のは下手なんじゃないの~、と思ってしまうようなプレーをしたときに決まって「えぇえー!?なぁ~~んでもっとこう○○せぇへんの!?なぁ?」みたいなことを言ってくる。今まで家にいてそういうたぐいの愚痴を何百回聞いてきたかわからない僕にとっては、もはや親がそういうセリフを吐くことそのものにストレスを感じる。

僕がそういう時に思うのは、「いやその選手だって頑張ってプレーしようとしてるわけで、でもうまくいかないときだってそりゃあるだろ」とか、「なぜ自分がやったことがあるわけでもないことをこんなにも偉そうに語ることができるんだろう」とか、「いい加減そのパターンの愚痴を繰り返し言っている自分の姿に気づかないのか?」とまぁそんなことが瞬時に浮かんではストレスがたまる。

しかし、僕は今書いたようなことを口にすることは決して、無い。なぜなら、それを言葉にしてしまったらその自分こそまさに親がテレビの中のスポーツ選手に対して言っていることと同じ行為をしていることになるからだ。その内容がいかに正当であろうが真実であろうが相手が100%悪い状況であろうが、ストレスを感じてそれを相手にぶつける行為というのはすべて愚痴であり、つまり相手がやってることと同レベルのことをしているのだ。けど、だからといってそういう親の発言を受け入れて楽しく会話してあげられるほどの器もないし心の余裕もないので、僕はいつも相槌だけうってさっさと自分の部屋に行くようにしている。

こういうようなことが家でもそうだしバイト先でもどこでも、人間関係が築かれている場所においては必ず発生する。相手の何気ない一言に「は?」と感じる。こめかみが一瞬ピクっと動く。しかし、それを相手にぶつけ返さない。相手にも事情があるのだと無理矢理言い聞かせてぐっと飲み込んで自分がダメージを受ける。それが僕だ。

かくいう僕もかつては抱えたストレスをすぐに周囲にまきちらすタイプの人間で、そういう時のほうが物事もうまくいっていた気がするし、人生スッキリ楽しかったなと振り返ってみて思う。「憎まれっ子世にはばかる」という言葉があるけれど、そのとおりだと思う。社会におけるメリットだけを享受して、抱えたストレスは他人にぶつけていくのがこの世の成功法則だ。そしてさらに貪欲にメリットを求めていく。まさに弱肉強食といったところだよね。

しかし逆に言うと、一つの物事で成功するということはそれに値するストレスや他人からの負のエネルギーのようなものを飲み込んで、しかもそれを周囲に吐き出すことに抵抗のないような状態じゃなければならないのだ。だから僕はその仕組みを知ったときに、成功するということに対して手放しで喜べなくなった。むしろ自分の中の成功体験を振り返ってみた時に成功することのデメリットとか負の面に対する気付きが多くなって、成功や失敗に振り回されず「ただ淡々と生きていく」ということに対して興味をもつようになっていったんだよね。

けれど世の中を眺めてみると、どこもかしこも成功を賛美する話ばかりだ。書籍なんかは特にそうだし、人気を集めるものというのは必ず何かしらの成功を伴ったものばかりのように思う。確かに自分のことだけを考えれば成功するほうが楽なように見えるし、実際に人間の心はそう感じるようにできている。けれど「光あるところに影あり」という言葉が示すように、自分の成功が周囲に与える負の影響は計り知れないものがある。「宝くじ当たった(・∀・)」とツイートするだけで世の中の有象無象からのおめでとうの裏側に嫉妬ややっかみや反感が生まれるのはそういうことだ。もちろん、誰かの成功が「自分もこの人みたいになりたい!」という希望にもなりうるんだけども、僕はどちらも経験した上でどっちにしても結局はストレスを与えているだけなんだなと今のところ考えている。


だから、淡々と生きる。

自分が使うものは自分で準備する。自分が使ったものは自分で片付ける。自分が食べるものは自分で作る。またはそれらに見合った労働をする。常に上振れることも下振れることもなく、日々プラスマイナスゼロを意識して生きる。楽しいことがあったら嫌なことがあることを受け入れる。心地よいことがあったらしんどいことがあることを受け入れる。自分の心は嫌なことがあったときだけ、ことさらに強調して主張してくるけれど、その反面良いこともあったことを思い返して感情に振り回されず、淡々と生きることに努める。それが僕が目指す人間像だ。担々麺だ。

その一つの挑戦として、僕は今日も自分のことを棚に上げてニュースに愚痴を言う親に愚痴を言いたい衝動をぐっとこらえる。ここで僕が言いたいことを言ってスッキリするのは、確かに僕にとって一つの成功だ。親もそんな成功の甘い汁を味わっているからこそ、さも自分は全てをわかっているかのように毎日飽きもせず愚痴を言っているのだ。けど、そんな成功は捨てる。低レベルな負のスパイラルはここで断ち切る。親が死ぬまで愚痴を言うなら、僕は親が死ぬまで言い返さない。職場で「は?」と思ったら、「はい、わかりました」と言葉にする。心にとらわれず、体を動かす。感情の下僕になって成功という名の飴を舐める日々と、少しずつ距離をおくのだ。


…は~ぁ。(これは深呼吸)

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